2005年07月04日
まぼろし(!?)のジャズ喫茶漫画の原作
突然、5年前に書いた漫画原作のことを思い出した。当時ボツになってしまったが、僕自身はお気に入りの作品だ。丈賀沙映子という美女が、自分のジャズ喫茶を舞台に人間ドラマを展開するというもの。
下に紹介するのはその第1話で、第10話まで書き上げたがボツに(涙)。
当時「ネット上で漫画化して、曲が聴けたら面白いんじゃないか」という意見もあった。誰か漫画化してくれないかなあ……。
漫画の原作なんて滅多にお目にかかることがないと思うので、ぜひご覧ください。
────ジャズ喫茶漫画:『沙映子の店』の原作────
●青山のジャズクラブ“ブルートーン”の前(夕暮れ)
入口付近に黒山のような人だかり。彼らに向かって、制服を
着た店のスタッフが大声で説明している。
店の者「誠に申し訳ございません。本日のライブはすでに満席
です。立ち見もいっぱいです!」
説明を聞いて、驚きと落胆を表わす人々。店のショウケース
の中に貼りだされたポスター。そこには次のように記されて
いる。
『21世紀のジャズは、この男が創る! レオ・ジェンキンス
ついに初来日』
●店内
立錐の余地もない。
無数の小テーブルと、それを囲んで酒を飲んでいる客たち。
壁ぎわにカウンターバーがあり、そこも立ち見の客がびっし
りと立ち並んでいる。
ステージで黒人四人(カルテット)が演奏している。トラン
ペット(レオ・ジェンキンス・35歳)、ピアノ、ベース、
ドラムス。
レオ・ジェンキンスの演奏姿がカッコいい。曲が終わると、
熱狂的な拍手と声援が起こる。それに応えて、レオは会釈を
するが、ほとんど無表情。
●楽屋
演奏しおわった4人が着がえている。
仲間がニヤニヤしながら、レオに向かって言う。
メンバーA「レオ。これからロッポンギで騒ごうぜ」
メンバーB「今夜はジャパニーズギャルをお持ち帰りってわけ
だ」
と言って、仲間たちはゲラゲラ笑う。
レオ、ちょっと顔をしかめて──
レオ「俺は疲れた。先にホテルへ帰っているよ」
“なんて欲がないヤツなんだ”と言わんばかりに、あとの3
人はあきれた顔をしてレオを見る。
●店の前
メンバーたちとは別に、ひとりでタクシーに乗りこむレオ。
●タクシーの中
レオ「ホテル・ニューオープリ」
運転手「ニューオープリですね」
タクシー、走りだす。と、ほとんど同時にレオがあわてて言
う。
「NO! SORRY.……シ・ブ・ヤ」と言いながら、運
転手に紙切れを渡す。運転手、そのメモを見ながら──
運転手「渋谷の……、道玄坂上がって……、OK」
レオの顔のアップ。
【回想場面に入る】
●ニューヨークの、あるジャス・クラブ
ステージではレオが演奏している。
レオのソロパートが終わり、ドラムスがソロで叩き始める。
レオは、ピアノのそばに歩み寄り、苦りきった表情でピアニ
ストに話しかける。
レオ(客席のほうを横目で見て)「あいつら、あれでも音楽を
聴いているのか? それとも酒を飲みに来ているだけなのか
?」
レオの視線の先、客たちはステージを見もせずに、それぞれ
のテーブルで飲み食いしている。
レオの問いに、ピアニストはニヤニヤしながら──
ピアニスト「そのどちらでもないね。ヤツらの目的は“恋の駆
け引き”ってやつさ。音楽と酒は、ただの小道具よ」
よく見ると、どのテーブルも男と女がベタベタしている。
レオ、うんざりするが、ふと店の片隅に目が行く。
そこの席では、ひとりの東洋系の女が、目をつぶり真剣に演
奏を聴いている。
レオのトランペット演奏がふたたび始まる。しばらくすると、
演奏中だというのに、女は帰りじたくをして、店を出ていっ
てしまう。レオは女が気になる。
レオ、ピアニストに耳打ちをする。
レオ「しばらく席を外す。その間、おまえのロングソロで、あ
のスケベどもを酔わせておいていくれ」
ピアニスト、ウインクをする。
●ステージ裏の通路〜クラブの裏口〜
レオはステージをそっと降り、クラブの裏口、さらには表通
りへと走り出ると、あたりをキョロキョロと見まわす。
ブロードウェイらしき夜景。
例の女が歩道を颯爽と歩いている。彼女を発見するなりレオ
はまた走りだす。
女に追いつくと、レオは女の横に付き、歩調を合わせて歩き
始め──
レオ「まだ演奏は終わってないぜ」
女はレオを横目で捉えると、さして驚いた様子もなく──
女「そのくらい私にもわかるわ」
と、さらりと言って、相変わらず颯爽と歩きつづける。
それを見て、レオは肩をすくめる。
レオ「これでも“一流”とか言われてるんだけど、お気に召さ
なかったかい?」
女の表情がきっと鋭くなり、いきなり立ち止まる。レオもあ
わてて立ち止まる。人の往来は、彼らふたりを避けて、流れ
つづける。
女は両手を腰に当て、レオの顔をにらみつける。
女「じゃあ、ミスター“一流”にお尋ねしますけど、きょうの
演奏はいったい何? 手抜きの大バーゲンね」
レオ、むっとして──
レオ「誰も聴いてないんだ。そんな客にはバーゲン品でじゅう
ぶんさ」
女「“誰も聴いてない”? それは違うわ。99パーセントの
客が聞いてなくても、残りは違う」
レオは苦笑しながら、女を指さし──
レオ「あとの1パーセントとは、つまり君のことかい?」
女「そんなことはどうでもいいの。どんなマヌケなクラブにも、
ちゃんと聴いてる客は必ずいるってこと」
レオは大げさに目を見開き、肩をすくめ両腕を広げてみせる。
女は、レオのおどけた態度を取り合おうともせず、真剣なま
なざしで──
女「クリシェ※の洪水のようなアドリブをやってるようじゃ、
レオ・ジェンキンスもおしまいね」(※クリシェ→型にはま
ったフレーズのこと。ジャズの特徴は即興演奏=アドリブだ
が、そのさいに“クリシェ”が多すぎるものは凡庸とされる)
女の言葉を聞いて、レオの顔がはっとする。
レオ(真顔になって)「君は英語がうまいけど、中国系アメリ
カ人か?」
女「日本人よ。……あなたの名前だけ出るのは不公平だから、
私も名乗っておく。サエコ・ジョウガ」
レオ「サエコか。……いったい君は何者なんだ?」
沙映子、含み笑いをしながら──
丈賀沙映子「日本でジャズを聴かせるお店をやっているの。あ
なたより凄いミュージシャンが、連日連夜パフォーマンスし
てるわよ」
レオ、真剣な表情になって──
レオ「何ていうお店だ?」
沙映子(含み笑いのまま)「日本に来たら教えてあげるわ」
レオ「俺は飛行機嫌いだ。海外では演奏しない」
沙映子「飛行機は墜落するから? じゃあ、もう心配する必要
ないわよ。だって、あなたの演奏、すでに墜落しているもの」
と言って、沙映子は不思議な笑みを残し、人混みに消える。
レオ、呆然とする。
【さらに回想の中】
●飛行機の中のレオ・ジェンキンス一行
●成田空港に降り立つレオ一行
【回想から醒める】
●タクシーの中のレオ。タクシー、止まる。
運転手「この辺ですね」
レオ「サンキュー」
レオ、タクシーから降りる。
●渋谷のはずれ。
繁華街と住宅街が入り混じった区域。
ひとけのない路地。
レオ、地図を頼りに夜道を歩く。
路地の行き止まりに、アンティークな扉を構えた、渋い雰囲
気のバー風の店。扉には『FOUR BEAT』と刻さてい
る。それを見て、レオは得たり顔になる。
レオ、扉をわずかに開ける。
扉の隙間から、店の中の様子が一部見える。カウンターの中
で、沙映子が煙草を物憂げに吸いながら(レオには気づかず
に)立っている。レオ、かすかに微笑む。
レオ、店の中に入っていく。
入ったとたん、何かに驚いた表情になる。
●“フォービート”店内
年季の入ったアンティークなインテリア。小作りなカウンタ
ー。さらに小さなテーブルが3つ、という小さな店。
テーブルのひとつには、いかにもジャズファンといった気む
ずかしそうな男性客。
壁には、ジャズマンの写真がずらりと飾られている。
カウンターの背後の壁は、全面がびっしりとレコード。
沙映子、戸口の気配に気づき、それがレオとわかって、静か
に微笑む。
レオ、店内をけげんそうに見まわしながら、カウンターのほ
うへ歩み寄り、スツールに腰かける。
沙映子、うやうやしいジェスチャーで歓迎の意を表わす。
沙映子「ウェルカム・トゥ・フォービート」
レオ「サンキュー。なかなかの長旅だったよ」
沙映子「長旅のすえに申し訳ないんだけど、この店はコーヒー
しかないの。それでいい?」
レオ(驚いて)「酒はないのか? シブヤは禁酒法の街かい?」
沙映子(微笑んで)「私の主義なの」
レオ「なるほど……。この店のボスはサエコだ。従うしかない
な」
沙映子「ありがとう。ところで“ブルートーン”はどうだった
?」
と言いながらコーヒーの用意を始める。
レオ「まずまずってとこだ。仲間はロッポンギのほうが好きな
ようだけどな」
レオ、真顔に戻って──
レオ「ところで、この店はどこにステージがあるんだい?」
沙映子(含み笑い)「ステージなんて、ないわよ」
レオ(ひどく驚いて)「“ない”? だけど君は、この店で凄
いミュージシャンが連日パフォーマンスしてるって言ってた
じゃないか!」
沙映子、右手の親指を立てて、背後のレコード棚を指さしな
がら──
沙映子「そうよ。チャーリー・パーカー、バド・パウエル、マ
イルス・デイビス、ジョン・コルトレーン※……。凄いヤツ
ばかりでしょ?」(パーカー・パウエル・コルトレーン……
いずれもジャズ史に残る偉大なミュージシャン)
レオ(困惑した顔で)「でも、それはレコードじゃないか」
沙映子「レコードじゃいけないの?」
レオ「い、いや、しかし……。サエコ、ここはいったいどうい
う種類のお店なんだい?」
沙映子「アメリカにはジャズクラブはあっても、こういうお店
はないわね。日本では“ジャズ喫茶”って呼ばれている」
レオ「“ジャズ喫茶”?」
沙映子「日本のジャズファンは、ジャズを芸術として愛してき
たの。ここはいわばジャズサウンドのギャラリーね」
レオ「コーヒー一杯でジャスを鑑賞するってわけか」
沙映子「昔はこの東京だけでも百軒近いジャズ喫茶があったの」
レオ「百軒も!」
沙映子「そう。そのあまりの多さに、欧米のジャズ研究家は驚
いて、日本人のジャズ熱に敬意を払っていたほどなの」
レオ(自戒するように)「……まったく知らなかった」
沙映子はくすりと笑って──
沙映子「知らないわけよ。私もレオもまだ生まれていない昔の
話だもの。いまの若い日本人は流行り歌しか聴かないからね」
レオ「じゃあ、こういう店は?」
沙映子(しんみりとして)「いまでは、この東京で数軒だけ。
つまり私の店は、日本のジャズ伝説の最後の砦ってわけ」
レオ、感心した様子で、店内をぐるりと眺める。膨大なレコ
ード、立派なスピーカー、そして……、真剣にジャズを聴く
客の姿に、視線が行く。
沙映子、レオの視線を見て──
沙映子「ニューヨークの客より、ジャズに真剣でしょ?」
レオ、テーブルの客を興味深げに見つめる。沙映子は微笑み
ながら──
沙映子「たった1人の客だけど、酔っぱらい百人分くらいの価
値はあるわね」
客のテーブルにはコーヒーカップがのっているだけ。
レオの目つきがやや皮肉っぽくなり──
レオ「でも、客が1人じゃあ、トランペットを掃除する布さえ
買えないぜ」
沙映子「あなたは布を買うために演奏しているわけ?」
レオ、笑いながら沙映子の顔を指さして──
レオ「おもしろいジョークだ。ところで、こういう会話を楽し
むために、わざわざ俺を日本へ呼んだのかい?」
沙映子、突然まじめな顔つきになる。
沙映子「あなたに聴いてもらいたいレコードがあるの」
と言うなり、レコード棚のほうへくるりと向き、一枚のレコ
ードを引きだす。それから、ふたたびレオのほうへ振りかえ
る。手にあるのは、何も印刷されていない真っ白いジャケッ
ト。
沙映子「これは、あるミュージシャンのプライベート盤※。お
そらく、いまでは世界に数枚しかないはずよ」(プライベー
ト盤……“私家盤”などとも言う。レコード会社によって正
規に制作されたものではなく、個人によって制作されたレコ
ード)
沙映子、レコードを持って、金魚鉢に入り、ターンテーブル
にのせる。
沙映子、レオのほうを見て──
沙映子「誰が演奏しているか、あなたに当ててもらいたいの」
レオ「ブラインド・フォールド・テスト※かい?」(プライン
ド・フォールド・テスト……つまり目隠しテストのこと。
レコードの音だけを聴いて演奏者を当てる一種のゲーム。
ジャズファンが好んでする)
沙映子「そういうことね」
と言いながら、レコードに針を下ろす。
レコードの溝を、針が滑る。
N「ピアノ、ベース、ドラムが、アップテンポで演奏をはじめ
た」
ピアノトリオのシルエットや、音符などをあしらって、サウ
ンド感を出す。
レオ、右腕で頬杖をつき、あまり気乗りしないような表情で
聴く。
レオ「ほォ、ロリンズ※の名曲《オレオ》か。しかし、こりゃ
ひどい録音状態だな」(ソニー・ロリンズ……テナーサック
ス奏者の大御所)
(間)
レオ(苦笑しながら)「録音もひどいが、演奏はもっとひどい。
アマチュアバンドかい?」
沙映子、レオを見つめたまま、回転するレコードを指さし──
沙映子「これからが本番よ。よーく聴いて」
N「ピアノトリオの演奏に、突然きらめくような鋭いトランペ
ットが加わった」
トランペッターのシルエット。
レオ(驚いて)「ワオッ! こりゃ、すげぇトランペットだ。
誰なんだい?」
沙映子(ニヤリとして)「それを当ててほしいの」
レオ、真剣な表情に変わる。
レオ「誰だろう……? 攻撃的で、野性味にあふれた演奏だ。
白人の音じゃないな。このノリは黒人だ」
レオの表情、さらに真剣さを増す。
レオ(自問するように)「誰だ、いったい……?」
レオ、眉間にしわを寄せ、首をかしげ──
レオ「しかし、妙な演奏だ。一級品のトランペットと、ヘタく
そなバック演奏……」
沙映子「どこかのジャズ研究家が、資料的な意味でレコード化
したんだと思う。このトランペット演奏はそれだけの価値が
あるもの」
レオ、はっとした表情になり、沙映子のほうをにらむように
見て──
レオ「ひょっとして、このトランペッター、無名のミュージシ
ャン?」
沙映子、うなずく。
レオ、あきれ顔になり──
レオ「じゃあ、わかるはずないよ」
沙映子、回転するレコードを指さし──
沙映子「ここ、ちょっと聴いて!」
レコードの溝を走る針先をクローズアップして──
N「1曲目が終わると、物静かな男の声がレコードから流れは
じめた」
トランペッターのシルエット「じつは……、もうすぐ私の子供
が生まれます。それにちなんで次の曲を演奏します。ミスタ
ー・サッド・ジョーンズが昨年発表した美しい曲《ア・チャ
イルド・イズ・ボーン》です」
N「演奏はトランペットのソロだった。まるで子守歌のように
繊細で、日の出のように厳粛な調べが響きわたる……」
レオ、両腕を広げて──
レオ「オオーッ、素晴らしい! この男が無名だなんて……」
沙映子、耳に手を当てて、“もっと注意深く聴いてちょうだ
い”と言わんばかりのジェスチャーをしながら──
沙映子「ほら、ここの長いレガート※部分」(※音と音の間を
なめらかに、切れ目のないように演奏すること)
レオ「ノンブレス奏法※……」(※口から息を吐きながら、同
時に鼻から空気を吸いつづける特殊奏法。これによって途切
れることなく長時間吹奏できる)
沙映子「そのようね」
沙映子とレオ、しばらく演奏に聴き入る。
(間)
沙映子「ねえ、レオ。もう一度聞くけど、このトランペッター
に心当たりはない?」
レオ、しばらく考えこみ、それからあきらめたように、かぶ
りを振って──
レオ「いや、まったくないね」
沙映子、白いジャケットを手にして──
沙映子「じつはこのレコード、データがまったくなくて、誰が
演奏しているのか謎なの。専門家筋にも尋ねてみたけど、誰
もわからなかった。
そこで私は自分で、このレコードの素性を推理してみること
にしたの。私の推理を聞いてくださるかしら?」
レオ(興味津々に)「ぜひ聞きたいね、ミス・シャーロック・
ホームズ」
沙映子(真剣なまなざしで)「私は、これはもともとデモテー
プ※だったのではないかと思うの。(デモテープ……この場
合は、アマチュアがレコード会社など似自分を売り込むため
に、自分の演奏を録音したテープのこと)
たぶん彼らはアマチュアのジャズバンドで、その中で飛び抜
けてうまいトランペッターがプロを志し、仲間の伴奏でデモ
用に録音をした。さっきレオが不思議がっていた、力量のア
ンバランスはそのためじゃないかしら。
次に、録音の時期だけど……。男は曲紹介で“昨年発表され
た《ア・チャイルド・イズ・ボーン》”と言っていた。この
曲は1969年の作だから、つまり録音は1970年。とい
うことは……」
沙映子、眉根を寄せ、さらに神経を集中させて──
沙映子「このトランペッターの子供は、いま35歳になってい
る」
と沙映子が言った瞬間、レオの顔がわずかにうごめく。
沙映子「ところで、レオ。あなた、いま何歳?」
レオ(こわばった表情で)「3…、35だ……」
沙映子「以前インタビュー記事で、あなたのお父さんは、あな
たが生まれる直前に交通事故で死んだと語っていたわよね。
さらにお母さんは、あなたが生まれてまもなく病死した。だ
から、あなたは両親の顔をまったく知らない、と……。
ただ、親戚の話では、お父さんはアマチュアのトランペッタ
ーで、かなりの腕前があった。しかも息継ぎなしで吹けた…。
でしょ?」
レオ、こわばった表情のまま、かすかにうなずく。
沙映子「じつは私、あなたの出生のことで、ずっと気になって
いたことがあるの」
レオ(いぶかしげに)「な、何?」
沙映子「あなたの名前“レオ”は、いったい誰がつけたのかし
ら?」
レオ(途惑いぎみに)「マ、ママだと、叔父さんが言っていた」
沙映子「“レオ”は“獅子座”という意味なのに、あなたは獅
子座の生まれではないわよね」
レオ「アメリカ人はそういうことを、あまり気にしないんだ」
沙映子「だからといって、ぜんぜん理由もなく命名するはずな
いわ」
レオ(いらだたしげに)「そりゃ何かあるだろう」
沙映子「私、どうしても気になるの。なぜお母さまは“レオ”
と名づけたのかしら?」
レオ、いきなり半身を乗り出し、沙映子に顔を突きつけ──
レオ(怒気あらわに)「俺が知ってるわけないだろ!」
と言うなり、へなへなと椅子に体を戻し、うなだれる。
レオ「……知りたくても、ママはずっと昔に死んでしまったん
だ。俺には何もわからない」
沙映子、レオに憐憫のまなざしを向けながら──
沙映子「そう、いまとなっては謎」
レオの目がうるんでいる。
沙映子、意味ありげにかすかに微笑み──
沙映子「でもね、このレコードがその謎を解いてくれたの」
と言いながら、胸の前でジャケットを大切そうに抱え、それ
を見おろす。
レオ「えっ!」
と驚き、涙目のまま沙映子を見あげる。
沙映子、白いレコード・ジャケットをレオに見せつけるよう
にしながら──
沙映子「デモをつくるとき、ミュージシャンがまず考えること
は?
最初に聴かれることになる一曲目は、自分がいちばん好きで
得意なものを演奏しよう、と……」
レオ、はっとする。
レオ「《オレオ》……」
沙映子「あなたのお母さまは、夫が愛した曲を片時も忘れなか
った。そしてあるとき、その短い曲名の中に“獅子(レオ)”
がひそんでいることに気づいた」
レオ(なかば呆然と)「《オレオ》……」
沙映子「お母さまはどうしても男の子がほしかった。亡き夫の
夢をつぎ、トランペッターとなって、獅子のように吠える息
子が」
レオの目から涙がこぼれ始める。
沙映子「そして念願の男の子が生まれた。つまりレオ・ジェン
キンス、あなたが!」
レオ、カウンターに両肘をつき、うなだれるように頷いてい
る。涙がしずくとなってカウンターに落ちていく。
沙映子(表情をやわらげ)「この事実に行きついたとき、私は
一刻も早くあなたに知らせてあげたいと思った。そしてニュ
ーヨークへ飛んだ」
【回想風に】
沙映子「あなたの中にはお父さまがいて、二人でひとつのトラ
ンペットを吹いている……。そんな思いを抱いて、あなたが
出演するクラブの前に立ったとき、私は少女のように興奮し
た。でも……、手抜き演奏するあなたを見たとき、私は悲し
くて、聴きつづけることができなかった。
私は席を立ち、店を飛び出した。すると、あなたが追いかけ
てきた。あなたと話しているうちに、悲しさは怒りに変わり、
私は鬼のような気持ちになっていた」
【回想、終わる】
沙映子、胸もとのジャケットをじっと見つめ──
「あなたがこのレコードと出会うためには、それなりの“苦
労”をしてくれなければ気がすまなかった」
レオ、顔を上げ、沙映子を見る。涙目ではあるが、眼光はし
っかりしている。
レオ「それで、飛行機恐怖症の俺に、日本へ来い、と」
沙映子(苦笑まじりに)「そう。レオ・ジェンキンスがこの店
に来たら、このレコードをプレゼントしよう、と」
沙映子、ターンテーブルからレコードを外し、白いジャケッ
トに入れる。それからレオの正面に歩み、ジャケットを差し
出す。
レオ、手を出しかけ、途中でその手を止める。
レオ「このレコードは、この店で愛されつづけたほうが、いい
のかもしれない」
と呟きながら、テーブル客のほうをちらと見やる。それから、
ふたたび沙映子へ視線を戻す。
沙映子「いいの?」
レオ「ああ。パパの音は、この僕の心の中で生き返ったからね」
沙映子「あなたの中で一生鳴りひびく音……?」
レオ「そう」
レオの手もとのアップ。白いジャケットにマジックでサイン
をしている。
沙映子、レオからジャケットを受け取り、それをディスプレ
イ棚に飾る。
ジャケットには次のように記されている。
《“FATHER” LEO JENKINS LOVES
(レオ・ジェンキンスが愛する“父”)》
【完】
ご精読、ありがとうございました!
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下に紹介するのはその第1話で、第10話まで書き上げたがボツに(涙)。
当時「ネット上で漫画化して、曲が聴けたら面白いんじゃないか」という意見もあった。誰か漫画化してくれないかなあ……。
漫画の原作なんて滅多にお目にかかることがないと思うので、ぜひご覧ください。
────ジャズ喫茶漫画:『沙映子の店』の原作────
●青山のジャズクラブ“ブルートーン”の前(夕暮れ)
入口付近に黒山のような人だかり。彼らに向かって、制服を
着た店のスタッフが大声で説明している。
店の者「誠に申し訳ございません。本日のライブはすでに満席
です。立ち見もいっぱいです!」
説明を聞いて、驚きと落胆を表わす人々。店のショウケース
の中に貼りだされたポスター。そこには次のように記されて
いる。
『21世紀のジャズは、この男が創る! レオ・ジェンキンス
ついに初来日』
●店内
立錐の余地もない。
無数の小テーブルと、それを囲んで酒を飲んでいる客たち。
壁ぎわにカウンターバーがあり、そこも立ち見の客がびっし
りと立ち並んでいる。
ステージで黒人四人(カルテット)が演奏している。トラン
ペット(レオ・ジェンキンス・35歳)、ピアノ、ベース、
ドラムス。
レオ・ジェンキンスの演奏姿がカッコいい。曲が終わると、
熱狂的な拍手と声援が起こる。それに応えて、レオは会釈を
するが、ほとんど無表情。
●楽屋
演奏しおわった4人が着がえている。
仲間がニヤニヤしながら、レオに向かって言う。
メンバーA「レオ。これからロッポンギで騒ごうぜ」
メンバーB「今夜はジャパニーズギャルをお持ち帰りってわけ
だ」
と言って、仲間たちはゲラゲラ笑う。
レオ、ちょっと顔をしかめて──
レオ「俺は疲れた。先にホテルへ帰っているよ」
“なんて欲がないヤツなんだ”と言わんばかりに、あとの3
人はあきれた顔をしてレオを見る。
●店の前
メンバーたちとは別に、ひとりでタクシーに乗りこむレオ。
●タクシーの中
レオ「ホテル・ニューオープリ」
運転手「ニューオープリですね」
タクシー、走りだす。と、ほとんど同時にレオがあわてて言
う。
「NO! SORRY.……シ・ブ・ヤ」と言いながら、運
転手に紙切れを渡す。運転手、そのメモを見ながら──
運転手「渋谷の……、道玄坂上がって……、OK」
レオの顔のアップ。
【回想場面に入る】
●ニューヨークの、あるジャス・クラブ
ステージではレオが演奏している。
レオのソロパートが終わり、ドラムスがソロで叩き始める。
レオは、ピアノのそばに歩み寄り、苦りきった表情でピアニ
ストに話しかける。
レオ(客席のほうを横目で見て)「あいつら、あれでも音楽を
聴いているのか? それとも酒を飲みに来ているだけなのか
?」
レオの視線の先、客たちはステージを見もせずに、それぞれ
のテーブルで飲み食いしている。
レオの問いに、ピアニストはニヤニヤしながら──
ピアニスト「そのどちらでもないね。ヤツらの目的は“恋の駆
け引き”ってやつさ。音楽と酒は、ただの小道具よ」
よく見ると、どのテーブルも男と女がベタベタしている。
レオ、うんざりするが、ふと店の片隅に目が行く。
そこの席では、ひとりの東洋系の女が、目をつぶり真剣に演
奏を聴いている。
レオのトランペット演奏がふたたび始まる。しばらくすると、
演奏中だというのに、女は帰りじたくをして、店を出ていっ
てしまう。レオは女が気になる。
レオ、ピアニストに耳打ちをする。
レオ「しばらく席を外す。その間、おまえのロングソロで、あ
のスケベどもを酔わせておいていくれ」
ピアニスト、ウインクをする。
●ステージ裏の通路〜クラブの裏口〜
レオはステージをそっと降り、クラブの裏口、さらには表通
りへと走り出ると、あたりをキョロキョロと見まわす。
ブロードウェイらしき夜景。
例の女が歩道を颯爽と歩いている。彼女を発見するなりレオ
はまた走りだす。
女に追いつくと、レオは女の横に付き、歩調を合わせて歩き
始め──
レオ「まだ演奏は終わってないぜ」
女はレオを横目で捉えると、さして驚いた様子もなく──
女「そのくらい私にもわかるわ」
と、さらりと言って、相変わらず颯爽と歩きつづける。
それを見て、レオは肩をすくめる。
レオ「これでも“一流”とか言われてるんだけど、お気に召さ
なかったかい?」
女の表情がきっと鋭くなり、いきなり立ち止まる。レオもあ
わてて立ち止まる。人の往来は、彼らふたりを避けて、流れ
つづける。
女は両手を腰に当て、レオの顔をにらみつける。
女「じゃあ、ミスター“一流”にお尋ねしますけど、きょうの
演奏はいったい何? 手抜きの大バーゲンね」
レオ、むっとして──
レオ「誰も聴いてないんだ。そんな客にはバーゲン品でじゅう
ぶんさ」
女「“誰も聴いてない”? それは違うわ。99パーセントの
客が聞いてなくても、残りは違う」
レオは苦笑しながら、女を指さし──
レオ「あとの1パーセントとは、つまり君のことかい?」
女「そんなことはどうでもいいの。どんなマヌケなクラブにも、
ちゃんと聴いてる客は必ずいるってこと」
レオは大げさに目を見開き、肩をすくめ両腕を広げてみせる。
女は、レオのおどけた態度を取り合おうともせず、真剣なま
なざしで──
女「クリシェ※の洪水のようなアドリブをやってるようじゃ、
レオ・ジェンキンスもおしまいね」(※クリシェ→型にはま
ったフレーズのこと。ジャズの特徴は即興演奏=アドリブだ
が、そのさいに“クリシェ”が多すぎるものは凡庸とされる)
女の言葉を聞いて、レオの顔がはっとする。
レオ(真顔になって)「君は英語がうまいけど、中国系アメリ
カ人か?」
女「日本人よ。……あなたの名前だけ出るのは不公平だから、
私も名乗っておく。サエコ・ジョウガ」
レオ「サエコか。……いったい君は何者なんだ?」
沙映子、含み笑いをしながら──
丈賀沙映子「日本でジャズを聴かせるお店をやっているの。あ
なたより凄いミュージシャンが、連日連夜パフォーマンスし
てるわよ」
レオ、真剣な表情になって──
レオ「何ていうお店だ?」
沙映子(含み笑いのまま)「日本に来たら教えてあげるわ」
レオ「俺は飛行機嫌いだ。海外では演奏しない」
沙映子「飛行機は墜落するから? じゃあ、もう心配する必要
ないわよ。だって、あなたの演奏、すでに墜落しているもの」
と言って、沙映子は不思議な笑みを残し、人混みに消える。
レオ、呆然とする。
【さらに回想の中】
●飛行機の中のレオ・ジェンキンス一行
●成田空港に降り立つレオ一行
【回想から醒める】
●タクシーの中のレオ。タクシー、止まる。
運転手「この辺ですね」
レオ「サンキュー」
レオ、タクシーから降りる。
●渋谷のはずれ。
繁華街と住宅街が入り混じった区域。
ひとけのない路地。
レオ、地図を頼りに夜道を歩く。
路地の行き止まりに、アンティークな扉を構えた、渋い雰囲
気のバー風の店。扉には『FOUR BEAT』と刻さてい
る。それを見て、レオは得たり顔になる。
レオ、扉をわずかに開ける。
扉の隙間から、店の中の様子が一部見える。カウンターの中
で、沙映子が煙草を物憂げに吸いながら(レオには気づかず
に)立っている。レオ、かすかに微笑む。
レオ、店の中に入っていく。
入ったとたん、何かに驚いた表情になる。
●“フォービート”店内
年季の入ったアンティークなインテリア。小作りなカウンタ
ー。さらに小さなテーブルが3つ、という小さな店。
テーブルのひとつには、いかにもジャズファンといった気む
ずかしそうな男性客。
壁には、ジャズマンの写真がずらりと飾られている。
カウンターの背後の壁は、全面がびっしりとレコード。
沙映子、戸口の気配に気づき、それがレオとわかって、静か
に微笑む。
レオ、店内をけげんそうに見まわしながら、カウンターのほ
うへ歩み寄り、スツールに腰かける。
沙映子、うやうやしいジェスチャーで歓迎の意を表わす。
沙映子「ウェルカム・トゥ・フォービート」
レオ「サンキュー。なかなかの長旅だったよ」
沙映子「長旅のすえに申し訳ないんだけど、この店はコーヒー
しかないの。それでいい?」
レオ(驚いて)「酒はないのか? シブヤは禁酒法の街かい?」
沙映子(微笑んで)「私の主義なの」
レオ「なるほど……。この店のボスはサエコだ。従うしかない
な」
沙映子「ありがとう。ところで“ブルートーン”はどうだった
?」
と言いながらコーヒーの用意を始める。
レオ「まずまずってとこだ。仲間はロッポンギのほうが好きな
ようだけどな」
レオ、真顔に戻って──
レオ「ところで、この店はどこにステージがあるんだい?」
沙映子(含み笑い)「ステージなんて、ないわよ」
レオ(ひどく驚いて)「“ない”? だけど君は、この店で凄
いミュージシャンが連日パフォーマンスしてるって言ってた
じゃないか!」
沙映子、右手の親指を立てて、背後のレコード棚を指さしな
がら──
沙映子「そうよ。チャーリー・パーカー、バド・パウエル、マ
イルス・デイビス、ジョン・コルトレーン※……。凄いヤツ
ばかりでしょ?」(パーカー・パウエル・コルトレーン……
いずれもジャズ史に残る偉大なミュージシャン)
レオ(困惑した顔で)「でも、それはレコードじゃないか」
沙映子「レコードじゃいけないの?」
レオ「い、いや、しかし……。サエコ、ここはいったいどうい
う種類のお店なんだい?」
沙映子「アメリカにはジャズクラブはあっても、こういうお店
はないわね。日本では“ジャズ喫茶”って呼ばれている」
レオ「“ジャズ喫茶”?」
沙映子「日本のジャズファンは、ジャズを芸術として愛してき
たの。ここはいわばジャズサウンドのギャラリーね」
レオ「コーヒー一杯でジャスを鑑賞するってわけか」
沙映子「昔はこの東京だけでも百軒近いジャズ喫茶があったの」
レオ「百軒も!」
沙映子「そう。そのあまりの多さに、欧米のジャズ研究家は驚
いて、日本人のジャズ熱に敬意を払っていたほどなの」
レオ(自戒するように)「……まったく知らなかった」
沙映子はくすりと笑って──
沙映子「知らないわけよ。私もレオもまだ生まれていない昔の
話だもの。いまの若い日本人は流行り歌しか聴かないからね」
レオ「じゃあ、こういう店は?」
沙映子(しんみりとして)「いまでは、この東京で数軒だけ。
つまり私の店は、日本のジャズ伝説の最後の砦ってわけ」
レオ、感心した様子で、店内をぐるりと眺める。膨大なレコ
ード、立派なスピーカー、そして……、真剣にジャズを聴く
客の姿に、視線が行く。
沙映子、レオの視線を見て──
沙映子「ニューヨークの客より、ジャズに真剣でしょ?」
レオ、テーブルの客を興味深げに見つめる。沙映子は微笑み
ながら──
沙映子「たった1人の客だけど、酔っぱらい百人分くらいの価
値はあるわね」
客のテーブルにはコーヒーカップがのっているだけ。
レオの目つきがやや皮肉っぽくなり──
レオ「でも、客が1人じゃあ、トランペットを掃除する布さえ
買えないぜ」
沙映子「あなたは布を買うために演奏しているわけ?」
レオ、笑いながら沙映子の顔を指さして──
レオ「おもしろいジョークだ。ところで、こういう会話を楽し
むために、わざわざ俺を日本へ呼んだのかい?」
沙映子、突然まじめな顔つきになる。
沙映子「あなたに聴いてもらいたいレコードがあるの」
と言うなり、レコード棚のほうへくるりと向き、一枚のレコ
ードを引きだす。それから、ふたたびレオのほうへ振りかえ
る。手にあるのは、何も印刷されていない真っ白いジャケッ
ト。
沙映子「これは、あるミュージシャンのプライベート盤※。お
そらく、いまでは世界に数枚しかないはずよ」(プライベー
ト盤……“私家盤”などとも言う。レコード会社によって正
規に制作されたものではなく、個人によって制作されたレコ
ード)
沙映子、レコードを持って、金魚鉢に入り、ターンテーブル
にのせる。
沙映子、レオのほうを見て──
沙映子「誰が演奏しているか、あなたに当ててもらいたいの」
レオ「ブラインド・フォールド・テスト※かい?」(プライン
ド・フォールド・テスト……つまり目隠しテストのこと。
レコードの音だけを聴いて演奏者を当てる一種のゲーム。
ジャズファンが好んでする)
沙映子「そういうことね」
と言いながら、レコードに針を下ろす。
レコードの溝を、針が滑る。
N「ピアノ、ベース、ドラムが、アップテンポで演奏をはじめ
た」
ピアノトリオのシルエットや、音符などをあしらって、サウ
ンド感を出す。
レオ、右腕で頬杖をつき、あまり気乗りしないような表情で
聴く。
レオ「ほォ、ロリンズ※の名曲《オレオ》か。しかし、こりゃ
ひどい録音状態だな」(ソニー・ロリンズ……テナーサック
ス奏者の大御所)
(間)
レオ(苦笑しながら)「録音もひどいが、演奏はもっとひどい。
アマチュアバンドかい?」
沙映子、レオを見つめたまま、回転するレコードを指さし──
沙映子「これからが本番よ。よーく聴いて」
N「ピアノトリオの演奏に、突然きらめくような鋭いトランペ
ットが加わった」
トランペッターのシルエット。
レオ(驚いて)「ワオッ! こりゃ、すげぇトランペットだ。
誰なんだい?」
沙映子(ニヤリとして)「それを当ててほしいの」
レオ、真剣な表情に変わる。
レオ「誰だろう……? 攻撃的で、野性味にあふれた演奏だ。
白人の音じゃないな。このノリは黒人だ」
レオの表情、さらに真剣さを増す。
レオ(自問するように)「誰だ、いったい……?」
レオ、眉間にしわを寄せ、首をかしげ──
レオ「しかし、妙な演奏だ。一級品のトランペットと、ヘタく
そなバック演奏……」
沙映子「どこかのジャズ研究家が、資料的な意味でレコード化
したんだと思う。このトランペット演奏はそれだけの価値が
あるもの」
レオ、はっとした表情になり、沙映子のほうをにらむように
見て──
レオ「ひょっとして、このトランペッター、無名のミュージシ
ャン?」
沙映子、うなずく。
レオ、あきれ顔になり──
レオ「じゃあ、わかるはずないよ」
沙映子、回転するレコードを指さし──
沙映子「ここ、ちょっと聴いて!」
レコードの溝を走る針先をクローズアップして──
N「1曲目が終わると、物静かな男の声がレコードから流れは
じめた」
トランペッターのシルエット「じつは……、もうすぐ私の子供
が生まれます。それにちなんで次の曲を演奏します。ミスタ
ー・サッド・ジョーンズが昨年発表した美しい曲《ア・チャ
イルド・イズ・ボーン》です」
N「演奏はトランペットのソロだった。まるで子守歌のように
繊細で、日の出のように厳粛な調べが響きわたる……」
レオ、両腕を広げて──
レオ「オオーッ、素晴らしい! この男が無名だなんて……」
沙映子、耳に手を当てて、“もっと注意深く聴いてちょうだ
い”と言わんばかりのジェスチャーをしながら──
沙映子「ほら、ここの長いレガート※部分」(※音と音の間を
なめらかに、切れ目のないように演奏すること)
レオ「ノンブレス奏法※……」(※口から息を吐きながら、同
時に鼻から空気を吸いつづける特殊奏法。これによって途切
れることなく長時間吹奏できる)
沙映子「そのようね」
沙映子とレオ、しばらく演奏に聴き入る。
(間)
沙映子「ねえ、レオ。もう一度聞くけど、このトランペッター
に心当たりはない?」
レオ、しばらく考えこみ、それからあきらめたように、かぶ
りを振って──
レオ「いや、まったくないね」
沙映子、白いジャケットを手にして──
沙映子「じつはこのレコード、データがまったくなくて、誰が
演奏しているのか謎なの。専門家筋にも尋ねてみたけど、誰
もわからなかった。
そこで私は自分で、このレコードの素性を推理してみること
にしたの。私の推理を聞いてくださるかしら?」
レオ(興味津々に)「ぜひ聞きたいね、ミス・シャーロック・
ホームズ」
沙映子(真剣なまなざしで)「私は、これはもともとデモテー
プ※だったのではないかと思うの。(デモテープ……この場
合は、アマチュアがレコード会社など似自分を売り込むため
に、自分の演奏を録音したテープのこと)
たぶん彼らはアマチュアのジャズバンドで、その中で飛び抜
けてうまいトランペッターがプロを志し、仲間の伴奏でデモ
用に録音をした。さっきレオが不思議がっていた、力量のア
ンバランスはそのためじゃないかしら。
次に、録音の時期だけど……。男は曲紹介で“昨年発表され
た《ア・チャイルド・イズ・ボーン》”と言っていた。この
曲は1969年の作だから、つまり録音は1970年。とい
うことは……」
沙映子、眉根を寄せ、さらに神経を集中させて──
沙映子「このトランペッターの子供は、いま35歳になってい
る」
と沙映子が言った瞬間、レオの顔がわずかにうごめく。
沙映子「ところで、レオ。あなた、いま何歳?」
レオ(こわばった表情で)「3…、35だ……」
沙映子「以前インタビュー記事で、あなたのお父さんは、あな
たが生まれる直前に交通事故で死んだと語っていたわよね。
さらにお母さんは、あなたが生まれてまもなく病死した。だ
から、あなたは両親の顔をまったく知らない、と……。
ただ、親戚の話では、お父さんはアマチュアのトランペッタ
ーで、かなりの腕前があった。しかも息継ぎなしで吹けた…。
でしょ?」
レオ、こわばった表情のまま、かすかにうなずく。
沙映子「じつは私、あなたの出生のことで、ずっと気になって
いたことがあるの」
レオ(いぶかしげに)「な、何?」
沙映子「あなたの名前“レオ”は、いったい誰がつけたのかし
ら?」
レオ(途惑いぎみに)「マ、ママだと、叔父さんが言っていた」
沙映子「“レオ”は“獅子座”という意味なのに、あなたは獅
子座の生まれではないわよね」
レオ「アメリカ人はそういうことを、あまり気にしないんだ」
沙映子「だからといって、ぜんぜん理由もなく命名するはずな
いわ」
レオ(いらだたしげに)「そりゃ何かあるだろう」
沙映子「私、どうしても気になるの。なぜお母さまは“レオ”
と名づけたのかしら?」
レオ、いきなり半身を乗り出し、沙映子に顔を突きつけ──
レオ(怒気あらわに)「俺が知ってるわけないだろ!」
と言うなり、へなへなと椅子に体を戻し、うなだれる。
レオ「……知りたくても、ママはずっと昔に死んでしまったん
だ。俺には何もわからない」
沙映子、レオに憐憫のまなざしを向けながら──
沙映子「そう、いまとなっては謎」
レオの目がうるんでいる。
沙映子、意味ありげにかすかに微笑み──
沙映子「でもね、このレコードがその謎を解いてくれたの」
と言いながら、胸の前でジャケットを大切そうに抱え、それ
を見おろす。
レオ「えっ!」
と驚き、涙目のまま沙映子を見あげる。
沙映子、白いレコード・ジャケットをレオに見せつけるよう
にしながら──
沙映子「デモをつくるとき、ミュージシャンがまず考えること
は?
最初に聴かれることになる一曲目は、自分がいちばん好きで
得意なものを演奏しよう、と……」
レオ、はっとする。
レオ「《オレオ》……」
沙映子「あなたのお母さまは、夫が愛した曲を片時も忘れなか
った。そしてあるとき、その短い曲名の中に“獅子(レオ)”
がひそんでいることに気づいた」
レオ(なかば呆然と)「《オレオ》……」
沙映子「お母さまはどうしても男の子がほしかった。亡き夫の
夢をつぎ、トランペッターとなって、獅子のように吠える息
子が」
レオの目から涙がこぼれ始める。
沙映子「そして念願の男の子が生まれた。つまりレオ・ジェン
キンス、あなたが!」
レオ、カウンターに両肘をつき、うなだれるように頷いてい
る。涙がしずくとなってカウンターに落ちていく。
沙映子(表情をやわらげ)「この事実に行きついたとき、私は
一刻も早くあなたに知らせてあげたいと思った。そしてニュ
ーヨークへ飛んだ」
【回想風に】
沙映子「あなたの中にはお父さまがいて、二人でひとつのトラ
ンペットを吹いている……。そんな思いを抱いて、あなたが
出演するクラブの前に立ったとき、私は少女のように興奮し
た。でも……、手抜き演奏するあなたを見たとき、私は悲し
くて、聴きつづけることができなかった。
私は席を立ち、店を飛び出した。すると、あなたが追いかけ
てきた。あなたと話しているうちに、悲しさは怒りに変わり、
私は鬼のような気持ちになっていた」
【回想、終わる】
沙映子、胸もとのジャケットをじっと見つめ──
「あなたがこのレコードと出会うためには、それなりの“苦
労”をしてくれなければ気がすまなかった」
レオ、顔を上げ、沙映子を見る。涙目ではあるが、眼光はし
っかりしている。
レオ「それで、飛行機恐怖症の俺に、日本へ来い、と」
沙映子(苦笑まじりに)「そう。レオ・ジェンキンスがこの店
に来たら、このレコードをプレゼントしよう、と」
沙映子、ターンテーブルからレコードを外し、白いジャケッ
トに入れる。それからレオの正面に歩み、ジャケットを差し
出す。
レオ、手を出しかけ、途中でその手を止める。
レオ「このレコードは、この店で愛されつづけたほうが、いい
のかもしれない」
と呟きながら、テーブル客のほうをちらと見やる。それから、
ふたたび沙映子へ視線を戻す。
沙映子「いいの?」
レオ「ああ。パパの音は、この僕の心の中で生き返ったからね」
沙映子「あなたの中で一生鳴りひびく音……?」
レオ「そう」
レオの手もとのアップ。白いジャケットにマジックでサイン
をしている。
沙映子、レオからジャケットを受け取り、それをディスプレ
イ棚に飾る。
ジャケットには次のように記されている。
《“FATHER” LEO JENKINS LOVES
(レオ・ジェンキンスが愛する“父”)》
【完】
ご精読、ありがとうございました!
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Posted by love40 at 01:00
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この記事へのコメント
はじめまして。 なかなか面白かったです。 ジャズを聴く趣味は無いんですが、ジャズが聞きたくなりました。
Posted by
CB1000
at 2005年07月24日 18:36
>ジャズを聴く趣味は無いんですが、ジャズが聞きたくなりました。
おおっ、それはとっても嬉しいお言葉です。聴いたことがない方に、聴いてみたいと思っていただけるなんて! これを機会に、ジャズと縁ができるといいですね。
ところで、長いシナリオを最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。
もしよろしければ、「ラブ・フォーティ」という連続小説を書いてますので、ぜひご覧ください! 今後とも、よろしくお願いします。
おおっ、それはとっても嬉しいお言葉です。聴いたことがない方に、聴いてみたいと思っていただけるなんて! これを機会に、ジャズと縁ができるといいですね。
ところで、長いシナリオを最後まで読んでいただき誠にありがとうございます。
もしよろしければ、「ラブ・フォーティ」という連続小説を書いてますので、ぜひご覧ください! 今後とも、よろしくお願いします。
Posted by
オヤジライター
at 2005年07月24日 21:12




