2005年07月24日
ラブ・フォーティ 第6話 〜キャリア〜
(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )
第5話より続く
新田の勤める「多喜食」は加工食品会社としては中堅に位置していた。一般にはほとんど知名度のない会社だが、業界では知らぬ者はなかった。
「多喜食」は大正時代に佃煮屋として店を開いたが、その後、創業者の才覚で商売を次々と拡大し、昭和初期に缶詰め食品に着手した。太平洋戦争が終結するまでは紆余曲折があったが、昭和25年の朝鮮戦争勃発で特需景気に乗り、今日にいたる基盤をつくりあげた。
現在は缶詰めをはじめとした保存食品全般を取りあつかっているが、受注先は主に“軍事関係”である。つまり“兵士の携帯食”である。日本のみならず海外にもお得意さんを多く持ち、いまでは保存食品のいちメーカーというよりも専門商社といった観を呈している。
一般市場に商品を流してないわけではないが、“軍需企業”としての性格上、民間への派手な広告展開は極力避けているため、売ろうという意志がないのも同然ということになる。やめてもいいようなものだが、わずかながらでも“市民社会”と関係を保っておきたいとの意味合いから、営業を続けている。
つまり「多喜食」の営業対象は3つに分かれている。営業1課が受けもつ海外軍需、2課の国内軍需、そして3課の国内民需だ。社が最も力を注いでいるのが営業1課で、当然この課には選りすぐりの者が集められている。ついで2課、そして残った者が3課となる。「花の1課、並の2課、日陰の3課」という言葉が公然と交わされているのである。
営業3課課長補佐・新田真一のテニスコートでの一件は、軽いジョークのように喧伝されていった。新田は縮こまって、ただただ嵐が過ぎさるのを待つしかすべがなかった。
食品研究部・主任研究員の日下部(くさかべ)律子が新田に向かって嘆いたのはそのころだった。
「新田ちゃん、あなたのところの早川久美って女、あれは何? あなたのちょっとした失敗を誰彼となく吹聴してるわよ。それも、いかにも自分が被害者であるかのように」
「被害者?」
「そう。“浴衣姿でだらしなく歩きまわるような人の下で、どうして私は働かなければならないのか。私の精神的被害を考えてくれ”って……。たかが慰安旅行でちょっとハメをはずしただけじゃないの」
「日下部さんにそう弁護してもらえるのは嬉しいんだけど、僕に無作法があったことは間違いないことだから。非は僕にあるわけだし……」
「私が言いたいのは無作法がどうのこうのってことじゃないの。会社に入ってまもない、仕事の何たるかもわからない人間が、誰の下では働けないとか何とかわめきちらすことに、私は腹を立ててるのよ。ねえ、新田ちゃん、あなた、この会社に勤めて何年になるの? 20年近くになるんでしょ? 3課は何かと言われる部署だけど、あなたの仕事自体は昔っから定評があったじゃないの。あなたの下で育った人間だっていっぱいいるじゃないの。もっと自信をもちなさいよ」
日下部律子が多喜食の人間になったのは32歳の時だった。それまでに栄養士として充分なキャリアを積み、ヘッドハンティングされて途中入社したのである。「多喜食」という名を初めて聞いたときは、業務用の中華素材でもつくっている会社かと思って難色を示したものだった。
入社したときにはすでに日下部は子育てをひと段落させていて、仕事に専念できる状態になっていた。実力派の知的美人の登場は、当時の多喜食マンの話題の的だった。彼女にちょっかいを出そうとした男も少なからずいた。
入社早々あるプロジェクトで新田と組むことになった日下部は、そこで新田の手腕に感心した。とともに彼の純朴な性格に、日下部は同僚として好感を抱いた。同年齢ということもあって遠慮のない友だちづきあいが始まった。以来8年が過ぎ、ふたりとも40歳に達していた。
日下部が含み笑いを浮かべて言った。
「新田ちゃんは、女の雑誌って読んだことある? たまには手にとってごらんなさいよ。ときどきおもしろい特集が載っているから。たとえば“世界のキャリアウーマンから学ぶファッション”とか“仕事ができる女に見えるメイクアップ”とか……。驚きでしょ? 有能な女になるのではなくて、有能な女に見えるテクニックを、女は当然のように学ぶわけ。つまり……」
「“つまり?”」
「早川久美はその代表選手。彼女のいちばん恐ろしい点は、彼女には事実はあるけど真実というものがないことよ」
「真実というものがない……。それ、どういうこと?」
「ひまなときに考えてごらんなさい」日下部は教えてくれなかった。「とにかく、彼女には気をつけなさいよ」
日下部がもたらした謎はその後も解けぬまま新田の頭にこびりついていたが、やがて日を追うにしたがって薄らいでいった。
事件はそんなときに起こった。
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Posted by love40 at 15:09
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