2005年07月24日

ラブ・フォーティ 第8話 〜ドア〜

(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第7話より続く

 会議に10分ほど遅れてコピーはまとまった。新田はそれを抱えてブースを出ると、営業部フロアーの出入り口へ向かった。営業部員の視線が新田の顔に集まった。
 早川久美は営業1課のデスク付近で若手数人と立ち話をしていた。新田に気づくや、早川の表情が恨みがましいものに変わった。他の数人も、彼女の表情に引きずられるように、険しい視線を新田に浴びせた。そんな彼らのことなど、新田には気にしている余裕がなかった。一刻も早く会議室へ持っていかなければならない。新田はドアをめざした。ドアノブに手を伸ばしかけた。が、それをさえぎる者がいた。早川がドアの前に立ちはだかった。青白い顔でまくしたてた。

「課長補佐にお願いがあります。先ほどの件では、私に非がなかったことを認めてください」
 新田は手で払いのけるような仕草をし、荒い息の下から言葉を吐きだした。
「あとにしてくれ。これを会議室に届けなければならないんだ」
 早川は背中をドアに押しつけるようにして体をこわばらせた。
「いますぐ認めてください。でないと、私、これからこの会社で仕事をやっていく自信がもてなくなります。私の一生を台無しにしないでください」
 一瞬、新田の中で何かが圧縮し、それが炸裂した。新田の怒声が営業部全体をつらぬいた。
「貴様ぁ! 入社して1年そこそこの人間が何をぬかしてんだ。何が“一生を台無し”だ。この俺はどうなるってんだ。20年近くもこの会社に尽くしてきたんだ。この俺の一生はどうでもいいってのか!」

「新田さん!」営業1課の泉岡が、自分のデスクから立ちあがり声を投げてきた。「いまのは暴言じゃないですかね。1年そこそこの社員はどうでもいいような趣旨にとれますが。しかも長く勤めればそれだけで正義のような言い方は、ちょっと古くありませんか?」
「な……」
 新田は言葉に詰まった。詰まったとたんに途方もない脱力感に襲われた。がくんと体が重くなり、その場にうずくまりそうになった。なんとか体を支え早川に顔を向けた。視線を合わせる気力はなかった。目を伏せたまま口を動かした。
「先ほどの件は……、君には……、ミスはない……」
「ならいいんです。これで安心しました。失礼します」

 早川は手を前にそろえて一礼すると、新田の前からあっさりと退いた。新田はドアノブに手を伸ばした。そのドアが反対側から勢いよく押しひらかれた。ドアの向こうに木島の赤く上気した顔があった。新田の姿をとらえ、たちまち気色ばんだ。自分の腕時計を指先で叩きながら言った。
「おい、もう20分過ぎてるんだ。何をやってるのかね。40歳で、もうボケか?」
 木島は新田の懐の紙束をひったくると、会議室へあわてて戻っていった。
 新田は空(から)になった懐をしばらく見おろしていた。その空(から)の重さに堪えかねて、だらりと腕を解いた。きびすを返し、自分のデスクに戻った。座ることなく通勤カバンをつかみ、3課の伝言板に“顧客まわり”と書きしるすと、課員に声をかけることもなく、消えるように社を出ていった。

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