2005年07月24日

ラブ・フォーティ 第20話 〜コピー〜

(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第19話より続く

 午後1時、早川久美は弁護士をともなって出社した。自分のデスクではなく、応接室にまっすぐ入っていった。
 会社側は神岡営業部長と春日専務が、会社の顧問弁護士・園田の立ち会いのもとに応接した。
 北見と名乗る弁護士は、どこか油断のならない雰囲気を漂わせていた。中途半端な長髪をていねいに頭に撫でつけ、油っぽい整髪料を匂わせている。やけに狭い額の下に、落ちくぼんだ目を暗く光らせ、相手を無遠慮ににらみつけるのだった。歳は30代にも40代にも50代にも見える。若づくりの中年なのか、老けた青年弁護士なのか、よくわからない。

 早川久美はうつむいたまま、まったく顔を上げようとしない。
 簡単な自己紹介をすませると、さっそく北見が口火を切った。
「昨日の、コピーにまつわる一連のやりとりに関しては、確かな物証が残りにくく、“言った、言わない”の水掛け論になりかねません。依頼人は、今後も末長く多喜食に籍を置き職務に専念したい意志を明らかにしておりますので、そのような水掛け論のすえに互いの印象を損なうことは、依頼人の就業環境をいたずらに悪化させる結果となりますので、それだけは極力避けたいと考えております。したがって本日は、まず、新田真一なる人物の人となりを確認することで、双方の事実確認の第一歩としたいと思いますが、いかがなものでしょうか」

「結構です」
 春日専務が柔和な面だちをひき締めて答えた。春日は60代半ばにさしかかっていたが、胸の厚い頑強そうな体を、仕立てのいい濃紺のダブルのスーツに包みこんだ姿は、歳とは無関係な旺盛さを感じさせた。きれいに整えられたロマンスグレーの頭がゆっくり縦に振られ、北見の次の言葉を促した。

「では」と言いながら北見は書類ケースから1枚の紙を抜きだした。
「新田氏に関しまして、依頼人がこれまでに実際に遭遇しましたことをまとめたものがありますので、ここで読まさせていただきます。ええ……、早川氏の上司、営業部第3課課長補佐・新田真一氏は、勤務中において早川氏に用命するさい、早川氏に近寄り、早川氏の肩などの身体に触れることが再三にわたってあった。その回数は、早川氏が入社し同課に属してからの2年ほどの間に11回に及ぶ。また早川氏に限らず、新田氏に身体を触れられたことのある女性社員を、早川氏は多数目撃している。

 また、新田氏は、会社主催の宴会などではみずから司会者をつとめ、酔ったうえで乱痴気騒ぎの先頭に立つなどして、一部の社員からひんしゅくを買っていた。たとえば、腹踊りなるもの――腹に人の顔のようなものを描き、腹を露出し、ぶるぶるとくねらせて踊るものですね――をおこなった。女性の目からは堪えがたい代物であった、と早川氏は申しております。そのようなことがあるたびに、上司に対する敬愛の精神、さらに愛社精神とともに勤労意欲を喪失させられていったことを、早川氏は訴えております。

 また、先般、5月下旬におこなわれた社員旅行においては、早朝ホテルのテニスコートにて早川氏が会社の人間とともにテニスをしていたところ、そこに新田氏が浴衣姿で闖入するという事件が起きた。早川氏は、新田氏の人間性を疑わざるをえなかった、と申しております」
 北見弁護士は手に持っている紙から目を上げると、春日をまっすぐ見つめて言った。

「以上述べたこと以外にも、新田氏に対する早川氏の訴えは枚挙にいとまがありませんが、冒頭でも申しましたように“言った、言わない”“やった、やらない”の水掛け論は極力避けたいと思いますので、物証もしくは第三者の証言を求めにくいものはあらかじめ割愛しました。したがって、昨日、新田氏と早川氏の間で起こった口論に関しても、早川氏は自分に非はないと主張しておりますが、状況を考えますと第三者の公正な証言がとりにくいと判断し、本日の話し合いには上(のぼ)せることは控えました。

 しかしながら、昨日の一件が、早川氏の精神的被害をさらに深めたことは確かで、本日のこの場に至る契機となっていることは否めるものではありません」
 北見は、読みあげた文章のコピーを、応接テーブルの向こうに腰掛けている3人に1部ずつていねいに手渡した。3人は各自その文面に目を通した。

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