2005年07月24日

ラブ・フォーティ 第28話 〜レール〜

(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第27話より続く

 その日の夕方だった。新田の説得には、神岡営業部長が当たることになっていたが、急きょ春日専務みずからが話し合うことにした。
 新田にどのように言うか、春日は考えた。今回の決定が、組織を優先しなければならなかったゆえであることを説明したうえで異動を命ずるか、それとも、新田の行動に非があったからこそ、このような結果になったのだと威圧まがいのことをするか。組織優先を聞かされて、自分の人権が無視されたことに逆上する男なら、「おまえが悪いからこうなった」と言うべきだが、組織というものをわかっている男なら、なるべく本当のことを知らせて、そして謝りたい、と春日は思った。
 春日は目をつぶり、自分の知る限りの18年間の新田を頭に浮かべてみた。そして、決心した。新田には何もかもありのままに伝えてやろう、と。

 専務室で新田は泣いた。柔らかなソファーに腰を沈め、背を丸め、こうべを垂れて、ときおり「わかります」と嗚咽まじりに返事した。
 新田が人前で泣いたのは小学生のとき以来だった。男は泣いてはいけないと言われて育った。だから30年間、人前で泣くことはなかった。でも、泣いてしまった。40にしてぼろぼろ泣いてしまった。
 春日は、自分の息子の悲嘆を目の当りにするような思いで、熱くなる目をこらえて語った。話の節々で「わかります」と答える新田の声が、胸の奥へ奥へ刺しこんでくるのだった。
 新田は異動を承諾した。その瞬間、家族に申し訳ないと思った。

 春日は言った。
「男というのは、ざっと20歳で就職して60歳で退職する。新田君はいま、会社という旅路のちょうど真ん中くらいにいることになるんじゃないだろうか。40歳というのは、じつに酷な年齢だ。すべてをやり直したいと思っても、ひき返すにはあまりにも歩きすぎた。だからといって、あとを投げやりに過ごすには、あまりにも先が長い……。
 君のいまの気持ちが痛いほどわかるだけに、こんなことは慰めにも何にもならないことはよくわかっているが、どうかあきらめずに仕事に励んでくれたまえ、そうすれば、かならずよくなるときが来るはずだ。どうか気を落とさないでくれたまえ」
 新田は「わかりました」と答え、一礼し専務室を退いた。
 春日は、新田が扉を閉めたとたん、あふれだした涙に肩を揺らした。

 翌朝、新田は神岡営業部長からさっそく異動先の候補を伝えられた。春日の計らいで、新田の気持ちを聞いたうえで行き先を決めることになっていた。昨夕はどこへでも行ってやれという気になっていたが、神岡からの提案を聞いたとき思わずためらいが生じた。候補は総務部だった。新田は“宴会部長”を思いだしていた。
 宴会部長を務めたことが今度の事件の引き金になっていると思うと、宴会部長を引き受けた10年前に、すでに因縁の総務部へレールは敷かれていたように思えてならなかった。その思いはあまりにも悲しく滑稽だった。

 承諾せざるをえないにしても、しばらく時間が欲しかった。考えたうえで決めたことにしたかった。新田は夕方まで回答の猶予をもらい、外出した。得意先を回って近々担当が変わることを伝えなければならなかった。すべてが正式に決まってからでもよかったが、デスクに座って早川の顔を見ているのだけは何としてでも避けたかった。

 新田は昨夜一睡もできなかった。深夜、トイレへ立ったさいに、自分の目と気持ちがキッチンのガス栓に走り、ほんの一瞬のことではあったが一家心中を考えてしまった。その衝動の余韻がいまだにぬぐいきれぬままにいた。自分の中でこのどす黒い気持ちがくすぶっているかぎり、新田は早川を殺すことなどそうたいした罪ではないと思っている。だから、早川を避けたかった。避けなければならなかった。こんな女に殺意をたぎらせ、万一過ちを犯して自分が転落していくことだけはくい止めなければならなかった。

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