2005年07月24日
ラブ・フォーティ 第31話 〜リーク〜
(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )
第30話より続く
理沙の声で我に返った。
「お父さん、どうしたの?」
茶碗と箸をそれぞれの手に持ったまま、新田の動きは止まっていた。
「あ、いや」
「お父さん、ご飯よりも飲みが足りないんじゃないの?」
9歳の娘に真顔で言われ、新田は苦笑した。飲みが足りない、か……。
新田が営業部から食品研究部へ転属となって2週間がたっていた。
早川久美とのトラブルはあっけないほど簡単に終結した。早川と北見弁護士が突然押しかけてきた翌々日には、すみやかに多喜食側が新田配転を正式回答し、早川側がそれに合意。その翌日には合意書が交わされた。合意書を前にして早川は「私に過ちがなかったことがこのように証明されて嬉しいです」と発言した。そのときの彼女の目はなかば恍惚としていて、居合わせた多喜食側の人間をぞっとさせるものがあった。春日は、新田をこの場に立ち合わせなくてよかったと思った。
北見は終始満足げな表情だった。園田弁護士は、北見弁護士が早川からかなりの報酬を受けとることになっているのだろうと見て、それだけのものを払ってまで自分の執念を果たし終えた早川を無気味に思った。ちょっと前までなら、それだけの貯えがあれば海外旅行でも行ってストレス解消するのが20歳そこそこの女のすることだったが、ひょっとすると、こんな金の使い方をする若者が増えるのではなかろうかと思い、薄ら寒い気持ちにおちいるのだった。
食品研究部に突然異動してから一週間ほどは、否応なく新田は好奇の目にさらされた。
健康上の問題から営業的な勤務ができないというやや不明瞭な異動理由を、新田は同僚たちに言ってまわった。じつはこれは会社側つまり春日専務の指示にしたがったものであった。ところが春日は一方で、隠密裡に今回の真相——早川久美の言動ならびに弁護士騒動——を社内じゅうにリークした。水面上の新田発言と水面下の真相があいまって、真相を語らずに堪えしのぶ被害者・新田と、法を乱用する加害者・早川に、善悪を際立たせていった。
社内の者はその老若男女を問わず、新田の行為が過度のセクハラとはどうしても思えず、彼女に対する嫌悪と反感を募らせるばかりだった。
被害妄想を振りまわすトラブルメーカーとして烙印を押された早川に、みんなは当たり障りのない態度を努めてとった。彼女に対しては、当たりもしなければ障りもしない、かと言って避けるような気配も見せないようにした。早川のようなタイプにはそれがいいと、みんなが思うようになっていった。それがトラブルに巻きこまれない最善の方法だ、と。
社内はそれなりに落ちつきを取りもどしはじめた。それに従って新田の身のまわりも静かになり始めた。
静かになり始めると、新田は自分がいままでに味わったことのない静けさに身を置いていることに気がついた。新田はいま、絶えず電話が鳴りひびく営業部ではなく、ひたすら黙して研究を進める部屋の一遇にいた。
昼間の得意先回りもなければ、夜の接待もなくなった。同僚たちとの仕事帰りの一杯からも、自然と遠のいていった。ほとんど毎日“午前様”だった新田の生活がにわかに変わり始め、夕刻まっすぐ家へ帰るようになっていた。
続き(第32話)を読む
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第30話より続く
理沙の声で我に返った。
「お父さん、どうしたの?」
茶碗と箸をそれぞれの手に持ったまま、新田の動きは止まっていた。
「あ、いや」
「お父さん、ご飯よりも飲みが足りないんじゃないの?」
9歳の娘に真顔で言われ、新田は苦笑した。飲みが足りない、か……。
新田が営業部から食品研究部へ転属となって2週間がたっていた。
早川久美とのトラブルはあっけないほど簡単に終結した。早川と北見弁護士が突然押しかけてきた翌々日には、すみやかに多喜食側が新田配転を正式回答し、早川側がそれに合意。その翌日には合意書が交わされた。合意書を前にして早川は「私に過ちがなかったことがこのように証明されて嬉しいです」と発言した。そのときの彼女の目はなかば恍惚としていて、居合わせた多喜食側の人間をぞっとさせるものがあった。春日は、新田をこの場に立ち合わせなくてよかったと思った。
北見は終始満足げな表情だった。園田弁護士は、北見弁護士が早川からかなりの報酬を受けとることになっているのだろうと見て、それだけのものを払ってまで自分の執念を果たし終えた早川を無気味に思った。ちょっと前までなら、それだけの貯えがあれば海外旅行でも行ってストレス解消するのが20歳そこそこの女のすることだったが、ひょっとすると、こんな金の使い方をする若者が増えるのではなかろうかと思い、薄ら寒い気持ちにおちいるのだった。
食品研究部に突然異動してから一週間ほどは、否応なく新田は好奇の目にさらされた。
健康上の問題から営業的な勤務ができないというやや不明瞭な異動理由を、新田は同僚たちに言ってまわった。じつはこれは会社側つまり春日専務の指示にしたがったものであった。ところが春日は一方で、隠密裡に今回の真相——早川久美の言動ならびに弁護士騒動——を社内じゅうにリークした。水面上の新田発言と水面下の真相があいまって、真相を語らずに堪えしのぶ被害者・新田と、法を乱用する加害者・早川に、善悪を際立たせていった。
社内の者はその老若男女を問わず、新田の行為が過度のセクハラとはどうしても思えず、彼女に対する嫌悪と反感を募らせるばかりだった。
被害妄想を振りまわすトラブルメーカーとして烙印を押された早川に、みんなは当たり障りのない態度を努めてとった。彼女に対しては、当たりもしなければ障りもしない、かと言って避けるような気配も見せないようにした。早川のようなタイプにはそれがいいと、みんなが思うようになっていった。それがトラブルに巻きこまれない最善の方法だ、と。
社内はそれなりに落ちつきを取りもどしはじめた。それに従って新田の身のまわりも静かになり始めた。
静かになり始めると、新田は自分がいままでに味わったことのない静けさに身を置いていることに気がついた。新田はいま、絶えず電話が鳴りひびく営業部ではなく、ひたすら黙して研究を進める部屋の一遇にいた。
昼間の得意先回りもなければ、夜の接待もなくなった。同僚たちとの仕事帰りの一杯からも、自然と遠のいていった。ほとんど毎日“午前様”だった新田の生活がにわかに変わり始め、夕刻まっすぐ家へ帰るようになっていた。
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Posted by love40 at 16:01
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