2005年07月24日

ラブ・フォーティ 第34話 〜ボサノバ〜

(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第33話より続く

 藤永の用件は、あしたの土曜日、新田に予定が入っていなければ、早朝あるところへ連れていきたいのだがどうだろうか、というものだった。
「用事はとくにない」と答えると、「では明朝4時に車でお迎えに行きます」と言う。「そんなに早くどこへ行くんだ?」と聞くと、「それはお楽しみに」と答えるだけで明かそうとしない。

 ずいぶん強引で失礼な誘いにも思えたが、気晴らしにいいかもしれないとも思った。いまの自分にはこういうことが似合っているような気がした。それに、飯田橋のホテルで飲んで以来、新田は藤永とゆっくり話をする機会をもてなかった。当然、早川の一件も彼とは話していなかった。彼の感想を聞いてみたくもあった。行くことにした。
 了解して、自宅の位置を藤永に伝え、電話を切った。妻には「ヘンなヤツなんだよ」としか説明のしようがなかった。あすの早朝4時に迎えに来るが、じつは用件不明であると話すと、「そんな妙な約束を受けるあなたも、じゅうぶんヘンよ」と妻はいぶかりながらもクスクス笑った。まったくそのとおりだ、と新田は思った。口もとを大げさにゆがめ、苦笑してみせた。

 午前3時45分、目覚まし時計に起こされた。
 あんな約束をした自分を呪った。新田は時計のアラームを黙らせ深いため息をついた。隣のベッドで妻が起きあがろうとしたが、それをやさしく制した。妻はふたたび眠りについた。新田はあくびをひとつしてからよろよろと寝室を出た。
 居間で着がえながら窓のカーテンを掻きあげると、外は闇にうずもれていた。こんな暗闇の中に“お楽しみ”なんてあるのだろうか。そう思いながら今度は藤永を呪ってみた。

 ガラス窓を引き開けた。梅雨どきの湿った空気がどろりと流れこみ、一日の初めとしてはじつに最低な気分をもたらしてくれる。
 ベランダへ出て見おろすと、街灯の光を斜めにうけた藤永が、車に寄りかかって腕時計を覗きこんでいた。いつ来たのだろうか。車の音にまったく気づかなかった。おそらくこちらが眠っている間に着いたのだろう。
 3階の高さから小声をそよがせた。充分に聞こえたようだった。藤永が車にもたれたまま上半身を反りぎみにし、顔を真上に向け笑みを浮かべた。

 10分ほど待たせて、新田がマンションのエントランスから現れると、藤永が足早に寄ってきた。「おはようございます」と言いながら周囲を見まわし「……と言うにはまだ暗すぎるようですね」と頭を掻いた。
 ふたりは小さく笑いながら車の左右に別れ、ドアを開けてシートに滑りこんだ。藤永がキーを回すと、車が静かに息を吹きかえした。CDが回りボサノバがだるそうに流れはじめた。
「さて、我々はいったいどこへ行くのかな?」
 新田が聞いた。
 藤永は意味ありげな笑みをつくり、人さし指を唇の前に立てた。
 新田は肩をすくめた。どうとでもしろ、という気持ちだった。

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