2005年07月24日

ラブ・フォーティ 第49話 〜マネージャー〜

(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第48話より続く

 翌日、日曜日、晴美の行動は早かった。自宅付近のテニススクールを探しだすと、朝寝坊している新田をたたき起こし、見学のために連れだした。
 新田は、降りかかった災難を、声を上げて嘆きたかったが、それをなんとか体の中に封じ込んで妻に従った。まるで刑場に引きずりだされる罪人のような気持ちだった。
 晴美と理沙は、新田の心中などてんでお構いなしに、ピクニック気分をかしましく楽しんでいた。
「お父さんがうまくなったら、教えてもらおうかな」
 理沙がそう言うと、晴美が笑った。
「理沙が先にうまくなって、お父さんに教えたほうが、きっとレッスン料が安くすむわね」

 テニススクールは意外と近かった。
 晴美が受付で見学を申し込むと、手すきのインストラクターが案内に出てきてくれた。20代半ばと思えるその男は、色黒の顔に真っ白な歯を光らせ親切に説明してくれた。初心者から上級者までそれぞれクラスがあって、とくに初心者クラスはどの時間帯にも設けてあるので、お客様には最適だ、と言う。土・日の初心者クラスの生徒さんは、ご覧のように全員女性なので気楽にレッスンが受けられます、とも言う。
「皆さん女性同士なので、初心者でもまったく恥ずかしくありません」
 そのインストラクターは、晴美がレッスンを受けるものと思いこんで説明しているのだった。彼のセールストークは、中年男の新田には不適なことばかりだった。
 新田は晴美に向かってそっとかぶりを振った。晴美も仕方なく同意した。

 晴美は夫と娘を引き連れ、もうひとつのスクールへ向かった。
 理沙は少し疲れたぶん足どりが重くなり、反対に新田はいくぶん軽くなっていた。新田の胸に、ひょっとするとスクールに通わなくてもすむかもしれないという希望が湧いてきていた。
 もうひとつのスクールは、コートが2面のこぢんまりとしたものだった。マネージャーはキザな男だった。晴美は今度は抜かりなく自分の夫がテニスを始めたい旨を伝えた。マネージャーは新田をうさん臭そうに眺めた。ちょうどいま初心者クラスのレッスンをやっているからご覧ください、と彼は言いながら口もとに気になる笑みを走らせた。新田は窓越しにレッスンの様子を見て、そのマネージャーの胸の内がなんとなくわかった。

 新田は尋ねた。
「あの方たちは、どのくらいやってるんですか?」
「1〜2年といったところでしょうか」
「1〜2年やっていて初心者ですか?」
「うちの場合、お客様の入れ替わりが少ないものですから、どのクラスも自然とキャリアの長い方が多くなってはおりますね。しかし、あの方たちが“初心者”であることは間違いないですよ。ここでは5〜6年の方で“中級者”ですから。あの……、ひょっとしてお客様は“入門”では? ……なるほど、そうですか。ほかのスクールでは“入門者”も“初心者”も十把一絡(じっぱひとから)げに教えているようですが、あれはどんなものでしょうか」
「入門者と初心者は違うんですか?」
「ええ。入門者は経験ゼロの方。初心者は限りなくゼロに近い方ですがゼロではありません。どちらも大差ないようですが、じつは大違いです」

 初老にさしかかったマネージャーは身を伸ばすようにして新田に耳打ちをした。
「たとえはよくないですが、“童貞”と“1回経験あり”では雲泥の差でしょ? その差はたった1回ですが、人生を語るうえで大人と子供くらいの差がありますですよね」
 マネージャーは薄ら笑いを浮かべた。
 新田はできる限りそのマネージャーから顔を遠ざけた。
「なるほど。では、私向きの入門者クラスは、ここにあるんですか?」
「残念ながら、ここは小さなクラブですのでそこまで手が回りませんです。申し訳ございません」
 新田が晴美の顔を見た。
 晴美は肩を落としてうなずいた。

続き(第50話)を読む

人気blogランキングに参加しています