2005年07月24日

ラブ・フォーティ 第51話 〜バッグ〜

(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第50話より続く

 女にしては肝のすわった、しゃがれた声が凛(りん)と響いた。返事をする前に、バッグはすでに晴美の懐(ふところ)に押しつけられていた。
 その女は手があくと、恥ずかしがる老婆をなだめながら背負い、人がまばらになった階段をすいすいと上がっていってしまった。人並みはずれた脚力だった。晴美はバッグを抱え呆然と階上を見あげるままになっていたが、はたと気づいてあわてて女を追った。

 階上に上がりつくと、女は老婆を背負ったまま改札を出るところだった。行きかう人はみな彼女たちをけげんそうに見ていた。老婆は女の背中で縮こまっていたが、女のほうはまったく臆することもなく悠然と進んだ。相当な歩速だった。晴美は小走りになっていた。
 改札を出たところで、晴美はやっと女に追いついた。女が立ちどまり、晴美に対した。わずかに息が弾んでいる晴美をおもしろそうに見つめながら、女が口を開いた。

「お住まいはどちら?」
「あ、あの、本町ですけど……」
「本町何丁目?」
「さ、3丁目ですけど……」
「3丁目……」女はちょっと考える表情になった。「じゃあ、本町2丁目の稲荷神社は通り道ね?」
「“稲荷神社”?」
「隣に古本屋がある、お稲荷さん」
「ああ、はい、その前を通りますが……」
「申し訳ないんだけど、そのバッグを持って、そこまでつきあってくださる?」

 その女の口調には有無を言わせない迫力があった。それは脅すという感じのものではなく、初対面にもかかわらず深い親しみを抱かせるもので、拒みがたい強さがあった。晴美は事情がよく呑みこめぬままに「ええ」と答えていた。駅前でするはずの夕飯の買い物は後まわしとなった。

 神社まで10分ほどの道のりだった。
 女の背中で老婆が身の上話をぼそぼそと語り、それを、後方やや離れて歩いている晴美も聞く格好となった。
 老婆は最近とみに神経痛がひどくなり、きょうはとくに痛むというのに無理して出かけたのが災いして、先ほどのように歩けなくなってしまったらしい。男の人が声をかけてくれたのだが、いきなり「駅員呼ぼうか」と言われ、なぜか恐くなってしまってつい追いはらうようにしてしまった、悪いことをした、と言う。

 女はしゃがれた声で大らかに笑った。
「最近の人は、自分で助けようとは思わないみたいねえ。のっけから“駅員呼ぼうか?”じゃなくて、まずは“どうしたんですか? 私に何かできますか?”って聞くのがスジってもんじゃないかしら。その男の人も、悪い人ではないけれど、その辺の気持ちがちょっと冷たいわねえ。お婆ちゃんが気おくれするのも、わからないでもないわ」

「そうかい? そう言ってくれるだけで、なんだかほっとするよ。歳をとると、いまの人のことがすっかりわからなくなって……。心細くなるばかりだよ。でもきょうは、足はとても痛いけど、なんだかとても幸せだよ」
 老婆は女の背中で気持ちよさそうに笑った。女も老婆の笑い声に合わせるように笑った。
 晴美は、気持ちが落ちつくにつれ、自分があのときすぐに老婆に声をかけられなかったことをいくぶん恥じたが、それよりも、いま目の前の光景に出会えたことにほのぼのとした幸せを感じていた。

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