2005年07月25日

ラブ・フォーティ 第52話 〜アパート〜

(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第51話より続く

 老婆が名前を尋ねると、女は汗のにじんだ顔を後ろに振り向け「塚越と申します」と答えた。
 晴美は心の中で「つかごしさん」と言ってみた。するとその女が少しだけ身近なものに感じられた。落ちついて彼女を見直すと、先ほどはものすごく大柄に感じていたのに、晴美よりわずかに背が高い程度であることに気づいた。165センチくらいなのだろう。あのときやけに大きく感じたのは、彼女の毅然とした態度がそう見せたのではないだろうか、と晴美は思った。

 塚越は長いこと老婆をおぶっていてもしゃんとしていた。化粧っけのない陽焼けした顔が、彼女をいっそうたくましく感じさせた。歳は50代のように思えるが、本当はいくつなのだろうか。晴美は塚越を斜め後ろからじっと見つめた。

 老婆の住まいは、稲荷神社の真向かいのアパートだった。結局、晴美はドアの前までつきあった。老婆が、お礼のかわりに冷たい麦茶でも飲んでいってほしいと申し出たが、ふたりとも戸口で引きあげた。帰りぎわに塚越は電話番号をメモすると、老婆に手渡しながら「困ったことがあったら遠慮なく電話してくださいね」と言うのだった。老婆は玄関口でうっすら涙ぐみながら「ありがとう」を何度もくり返した。

 塚越は駅の反対側へ戻るらしく、晴美とはアパートの前で別れることになった。
「悪かったわね、こんなにつきあわせちゃって」
「いえ、帰り道ですから」言いながら晴美はバッグを塚越に差し出した。「変わった形のバッグですね」
「これね、テニスバッグなんだけど、特注ものだから、みんなわからないみたいね」
「あっ」
“テニス”という言葉を、まさかこんなところで聞くとは思っていなかった。晴美は虚をつかれ、口が動かなくなってしまった。

晴美の中途半端な表情を、不思議そうに眺めながら塚越が聞いた。
「テニス、なさるの?」
「あ、いえ……」
 晴美は何か言いたいのだが、なぜか言い出せない。塚越が腕時計に目を落として声をあげた。
「あら、もうこんな時間! 行かなくちゃ!」
 言うなり塚越はバッグを脇に抱えこみ、走りだした。15メートルほど行って振りかえり、「また、どこかで!」と叫びつつなおも速度をあげ、顔を前に戻すとたちまち走り去ってしまった。

 あっというまの出来事だった。
 とり残された晴美は、なかばぼんやりとした気持ちの中で、塚越にテニスのことを相談してみなかったことを悔いたが、その反面、老婆の一件の直後にさらに彼女を煩わさせることにためらいのようなものがあり、これでよかったのだとも思った。
 夕陽が頬を撫でた。不意に晴美は夕飯の仕度を思い出し、理沙のことが気になった。と同時に、塚越のことはひとまず忘れることにした。

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