2005年07月25日

「酒と泪と男と会社」drink4:エロビス

『酔うと、いつもとちがう自分がいた。
 奔放で、奇妙な、恥知らず。
 際限のない自分。
 そんな自分を、だれかが待っている。
 「やあ、また会ってしまったね。」』

 サラリーマンのJ氏・総務部長51歳は、飲み方にパターンがあった。まず1軒目は同僚たちと、会社の近くの小料理屋で和気あいあいと飲む。日本酒を好み、4合くらいをペロリと飲んでしまう。ツマミは極力食べずに空っぽの胃袋に酒を流し込む。「若くないんだから、体に毒だ」と同僚に言われても聞く耳をもたない。キューッと沁みこむ酒の味わいがたまらない。ほんの小一時間でかなりデキあがる。

 その店を出るとJ氏は同僚たちと別れ、彼らとは反対方向に歩きはじめる。裏道をくねくねと歩き、先ほどの小料理屋よりさらに小さな小料理屋にたどり着く。時間にして8時半頃。その店は馴染みしか来ないので、J氏は居合わせた客と冗談を交わしながら、さらに日本酒をあおる。3合ばかり飲み、店の女将と『銀恋』『愛しちゃったのよ』『高校三年生』などを続けざまに歌い、さらに2合ほどたいらげる。

 10時頃、店を出る。J氏は、財布のなかをドロンとした目つきでのぞき込む。すでに1升近くを空きっ腹に流し込んでいることになり、かなり酔いを深めている。うなるような鼻歌がはじまる。酩酊する一歩手前だ。千鳥足。タクシーをつかまえ、ワンメーターほど走らせる。とある駅前からのびている商店街のはずれ、ひっそりとたつスナックの前で降り立つ。
 ゆらゆらと進み、勢いよく扉を開けるやいなや、J氏の第一声が高らかに店内に響きわたる。

 「ヘ〜イ、エブリバディ、ハウ、アー、ユー! ハ〜イ、マダ〜ム、フアット、ア、ファンタスティック、ナイト、ドンチュー! アイウォナ、バーボン、オン、ザ、ロック、ストロング、ファック、プリーズ、プリティ、ベイベー! アイ、ウォナ、シング、プレスリー!!」

 常連客は笑って見ているが、はじめての客はあっけにとられている。J氏は、これから数時間にわたってこの店を賑わすが、日本語はひとことも発しない。ほとんどめちゃくちゃな英語らしきものを、延々とまくしたてながらバーボンをグビグビ飲みほし、プレスリーを歌いまくる。店の女の子の胸を、カウンター越しに撫であげながら「ナイス、ダイナマイト、バスト! サンキュー!」とほえる。毎度のことに、女の子はあきれ顔で体をよじってかわそうとする。
 Jは、この店では自分のことを「エルビス」と名乗っている。が、みんなは彼を「エロビス」と呼んで、ゲラゲラ笑っている。

 J氏のガイジン飲みは、はるか学生の頃に端を発している。友だちとふざけて「変な日系2世」を演じたのがあまりにも面白くて、その後も飲むたびにたわいもなくガイジン遊びをしていたのが、いつしか10年、20年と月日が流れ、すっかりわが身に染みついてしまった。さすがにシラフではそんなことはしない。また会社の人間の前では、酔ってもそんなところをさらすことはない。泥酔する前に同僚たちから逃げるのである。いや、そうではない。同僚たちから解放されると、堰を切ったように酔いがまわり、ガイジンJへの助走がはじまる。

 そして謹厳実直な勤め人J氏は、酔いの極まりのなかで「いつもとちがう自分」としてガイジンJへ豹変する。行きつけのそのスナックは彼の格好の舞台なのである。誰にはばかることなく際限なくガイジンJになり、エロビスとして振るまう時間。驚くことに、本人はほとんど記憶にとどめることのない時間。

 そんなJ氏が、ある夜そのスナックで役者志望R子19歳と出会った。2人とも泥酔していた。R子は、初老男の恥知らずな言動が、素晴らしい奇行に思えた。真のアーティスト、隠れたる非凡のように思えた。意気投合し、どちらからともなく誘い、酔いまみれのなかで2人は寝た。
 J氏は、生涯たった1度の無断外泊の朝を、R子のアパートのベッドのなかで迎えた。そこには「ガイジンJ」はいなかった。J氏は「いつもの自分」にもどっていた。謹厳であることに疲れきった51歳・総務部長の、ただの二日酔いのオヤジにもどっていた。うすくなった頭がいたましかった。しょぼつく目には目ヤニがこびりついていた。もぞもぞとわびるように日本語を発するJ氏を、19歳R子は枕に顔半分うずめたまま茫然と見つめていた。けがらわしいものを見る目だった。R子のこわばった口からなにか音が漏れたようだったが、J氏には聞きとれなかった。
 R子はベッドから飛び出すと、裸のままトイレにかけ込んだ。それっきり出てこなかった。J氏が声をかけても反応はなかった。
 51歳の初老男と19歳の若い女の、あまりにも無惨な朝だった。J氏は、R子のアパートを逃げ出した。
 
『あなたが飲むのは、なぜ?
 ちょっぴり、いつもとちがう自分になるため?
 でも、気をつけてくださいね。
 「いつもとちがう自分」を愛されることほど、
 つらいことはないのですよ』 

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