2005年07月25日

「酒と泪と男と会社」drink17:スケジュール

大学生D君は、学校で仏文学を学ぶ一方、数年前に趣味で始めたアンティーク・ショップを、今ではかなりの規模で経営している。店頭は従業員にまかせ、D君自身は仕入れルートの開拓や、高額顧客への対応などに時間をさくようにしている。学生でありショップ・オーナーでもある彼の毎日はいたって多忙だ。

彼のスケジュール帳は、1日が時間単位でたっぷりと書き込めるタイプのものである。デザインはシンプルで味もそっけもないほどだが、使いやすさをとことん追求した、いかにもドイツ製といった感じのスケジュール帳だ。彼の父親も愛用しているもので、D君の家の「定番品」なのだそうだ。このスケジュール帳をたいへん気に入っているため、ふたりとも電子ツールには手を出そうとしない。

D君の父親W氏は、スタッフを50人ほど抱えるイベント企画会社を経営している。W氏も社長という要職ゆえ、さすがに多忙を極める毎日で、スケジュール帳が大いに活躍している。
W氏とD君という親子の、一番似ている点というと、人並みはずれて「多忙」であるところかもしれない。そんな「多忙」なふたりが、ときどき朝の食卓で出会うことがある。ダイニングテーブルをはさんで、同じ型のスケジュール帳を同じように開いて、きょうの予定を確認していたりすると、D君のほうはつい父親の手元をのぞいてしまうのだそうだ。ある種のライバル意識なのかもしれないが、何となく気になるのだ。

毎日の予定が時間刻みでびっしり埋まっている、父親のスケジュール。その点は自分のスケジュールも同じなのだが、「自分のとは、どこか違う」とある日ふと思ったらしい。内容は当然違うのだが、そういうことではなく「どこか“感じ”が違う」のだ。どこが違うんだろう? D君は、その後、機会あるごとに父親のスケジュールを眺めているうちに、それが何であるかがわかった。それは、父親のスケジュールの、とくに夕方から夜にかけての様子が、自分のとは明らかに違っていることだった。

W氏の場合、夕方から夜にかけては、いわゆる「会食」が連日のように入っている。接待をしたり、接待をされたり。先方の会社名や人名が記入され、料亭とおぼしき名称やホテル名が添えられ、用件が記入されている。だいたいは「7時以降」が、それに割り当てられている。W氏が、各方面とのパイプを強化する時間帯だ。

D君のスケジュールは、父親W氏のにくらべると、この夕方から夜にかけての時間帯に、じつにこまかくアポ(約束)が入っている。「5時〜6時・バイヤー◯◯氏と打ち合わせ」「6時半〜7時半・ショップ◯◯見学、打ち合わせ」「8時〜9時半・友人◯◯と食事」「10時・シアター◯◯でレイトショー」──D君はこの日、5時以降に3人の人間と会って話をし、なおかつ10時からは前々から見たかった映画をレイトショーで見て、12時過ぎに帰宅、さらに1時間ほど明日の講義の予習をしている。W氏が「会食」という用件を1本クリアする間に、彼は以上のような種々の事柄をこなしている。だいたい両者はそのような毎日をくりかえし消化していると言っていい。

両者のスケジュールの相異点は、W氏が「7時以降」という時間帯をひとくくりで使っているのに対し、D君は夕方から夜半にかけて4〜5パーツくらいに時間を切り分けて使っている。それぞれ立場や考え方の違いもあるから、両者の良否をとやかく言うことはできないが、D君のスケジュールの立て方には注目すべきものがある。3人の人間とそれぞれ話をし、食事をし、さらに映画を見てしまう「濃密」な時間感覚。
D君の場合、「多忙」とか「忙殺」という言葉ではどうも言い表しにくいものを感じるのである。「多忙」「忙殺」は、どこかプライベートを滅している印象があるが、D君の生き方にはあまりそれを感じない。見たかった映画を見て、さらには帰宅後に本を読み、好きな音楽をしばらく聴いてから、寝入っている。彼は「多忙」かもしれないが「忙殺」されてはいない。個人として「濃密」な感じがする。

彼にその辺のことを尋ねると、「オヤジにはオヤジの道があるわけだし、それで成功したわけだから、とやかく言うつもりはないんですが。まあ、世代の違いってことで、あえてナマイキに言わせていただくと」と多少テレながら、次のようなことを説明してくれた。

(1)学業とビジネスの二股をかけているから「濃密」なのではない。かりに学業だけに専念しても、自分のスケジュールはびっしり埋まってしまうという気がする。現に、高校生の頃からスケジュールはつねに「フル」だった。要は、いろいろなことがしたい、いろいろな人に会ってみたい、話してみたい。自分は欲張りなのだと思っている。

(2)父親の時間の使い方は、夕方からの飲む時間が、もったいない気がする。飲むことを媒介に、商談などのコミュニケーションを促進させているのだろうけど、自分には考えられない。まず、3時間も4時間もかけて話さなければ成立しない用件というのは、きわめて稀(まれ)だ、と自分の経験上ではそう思っている。かりにそういう“難解”なテーマがあるとしたら、のんびり酒を飲みながら討議するというのは、ビジネス上どうもヘンだ。そもそも接待というものが、プライベートとオフィシャルが混交しているのだから仕方ないが、それぞれの楽しみを半減し合っているようで、好きになれない。まるで「計算機つきボールペン」のような、一見便利そうだけど、「計算機」にとっても「ボールペン」にとっても使い勝手が悪いもののように思えて仕方がない。だから自分は父親のような時間の使い方はしない。

(3)酒が介入すると、少なくともひとつのコミュニケーション(商談)に3時間くらいは必要となってしまう。どうしてそうなるかというと、酒は「楽しく飲む」という暗黙の了解事項があって、それがある程度満たされた気分に両者がならないと、コミュニケーション(商談)の達成感がともなわない。ともなわない限り酒宴は完結しない。ゆえに、ある程度の時間を必ず要することになる。

D君の場合は、ビジネス・ミーティングは1時間以内で解決することにしている。
「だから、バーのような“ゆったりとした時間世界”よりも、スタンドカフェやファーストフード店みたいな“せっかちな時間世界”のほうが、打ち合わせには向いていると僕は思っています。しかもアルコールではなく、コーラか何かのほうが、話はパチパチとハジケますよ」と、D君は快活に語ってくれた。

──D君と、そんな話を1時間ほど交わした。じつに楽しく、豊かで、濃密な1時間だった。
人生の中で、1時間という時間は、短い。短いけど、長い。
ある人には長く、ある人には、ただ短い。

人気blogランキングに参加しています

この記事へのトラックバックURL

http://app.blog.livedoor.jp/love40/tb.cgi/50033551