2005年07月25日
シャリ喰い
子供のころ、僕はネタよりシャリのほうが好きだった。なにしろ、ネタをはずしてシャリだけ食べていたほどだから、それはもう“マニア”の域に達していた。
シャリだけ食べていれば満足する子供だったのだから、金のかからない子として親は喜んだかというとそうではなかった。
「そんなにシャリが好きなんだったら、シャリだけいっぱい作ってあげよう」と親は当然のこととして考え、酢めしをふんだんに作り、それらしい形に握って僕の目の前に出したのだが、1個食べて「No!」だった。似て非なるものとはこのことで、味や食感がまるで違うのだ。そりゃそうだろう。プロの寿司職人が握るシャリと、一主婦が作るシャリが同じわけがない。
結局、寿司屋へ行くことになる。当時は回転寿司などない。基本的に寿司は高級料理だったから、あの頃もし僕が“ママ・シャリ”で満足する子供であったならば、どんなに経済的にラクであったかと思うと今さらながら悔やまれてならない(てほど深刻ではないけどな)。
さて、親もいろいろ考えたようで、寿司屋でシャリだけ注文しわが子に食べさせてみるという試みもしている。しかし、ダメだった。わが子──つまり僕は、何か物足りないものを感じ、1個で「No!」と言っている。何かおいしくないのだ。やはり、一度はマグロとかコハダと数の子とかネタがシャリの上にのらないとダメなのだ。
当時はまだ子供だったから、サビ抜きなのだが──いやサビ抜きだったからこそ、サビの放つ鋭い香りに邪魔されることもなく──いったんネタがシャリにのることにより、そのネタの移り香がシャリに微妙な味わいを加え、その味のほのかなアンサンブルを僕は「おいしい」と味覚していたのかもしれない。しかし、その辺の記憶が定かでないのだ。
あるいは……。味覚ではなく、視覚の問題だったのかもしれない。つまり、寿司としてネタとシャリが一度完成した形を見て満足したのち、「ネタはずし」という子供ながらのプチ調理をほどこし自我の充足感を得たうえで、シャリのみを頬ばっていたのかもしれない。
たとえて言うならば、(ちょっとお下品で申し訳ないが)どうせ裸になるんだからと言って最初から裸でいる女人には興奮のしようもなく、やはり服を脱がせるプロセスがあるからこそ男はエクスタシーを倍加できるのと同じなのかもしれない。
もし、そういうことだとすると……、あの「ネタはずし」の「シャリ食べ」は、どえらくエロな行為ということになってしまう……。ヤバイ。
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Posted by love40 at 15:40
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