2005年07月25日

名前のトラウマ


僕の本名は、ちょっと変わっている。
いわゆる“姓名”の“名”によくある名前が“姓”なのだ。たとえば、一般的にある「ヤマダ タロウ」なら、その「タロウ」が姓で、「タロウ ヨシオ」みたいになっている。

ここで、実際に「◯◯◯◯」ですと名乗れば、なるほどね!とすぐわかっていただけるのだけど、それは伏せさせてください。珍しい名前なだけに、それだけで人物特定ができてしまってブログ生活がしにくくなる(笑)。

子供の時は、この名前でたいへん苦労した。
苦労した原因はおもに2つある。ひとつは、いまお話ししたように、名前が“名名”状態(タロウ ヨシオ、みたいに)なっていることの珍しさそのものなのだが、もうひとつは日本語の慣習上の問題だ。
いわゆる「名前」と言うと、一般的には「姓名の“姓”」を指すことが多い。本当は「姓名の“名”」が「名前」であるにもかかわらず、「お名前は?」と聞かれれば、たいていの人が“姓”つまり“名字”のほうを答えるのが慣例だ。

子供の時に困ったのは、まさにそれで──便宜上ここでは僕の名前を「タロウ ヨシオ」ということにして──僕は、人に名前を聞かれるたびに「タロウ」と答え、そのたびに「それは名前でしょ? じゃなくて、姓名の“姓”を教えて」と問い直されるのだ。で、また「タロウ」と答えると、「だ・か・らぁ、それは、名字じゃないでしょ。名字は?」となる。
思いあぐねたすえに僕は「ヨシオです」と答える。すると相手の大人は、自分の目の前に「タロウ君」と「ヨシオ君」を見出すこととなり、困惑する。
たいていの大人はそこで“名字”や“姓”という(子供には難解と思われる)言葉を使ったことを反省し、聞き直す。この聞き直し方にはいろんなバリエーションがあるので、その中でも、とくに混乱を極める例をご紹介する。

「ごめんね。“名字”という言葉がよくわからないんだよね。じゃあ……、おうちでは、お母さんはキミのことを何て呼んでるの?」

要するにファーストネームを聞き出そうという戦法だ。そうすれば、この少年が「タロウ」か「ヨシオ」か判明するだろう、と。まずはその辺を固めておいて、それからこの少年のファミリーネーム(名字)の究明に取りかかろうという算段だ。
僕はおずおずと答える。

「ボクちゃん……です……」
「ボ……、ボクちゃん? あ、そうなの……。じゃあ、友だちはキミのこと、何て呼ぶの?」
「タロウって言います」
「先生は?」
「ヨシオくんって……」

現実にそうだったのだから仕方がない。友だちは僕の“姓”を呼び捨てにし、先生は“名”に“くん”をつけ、親は“ボクちゃん”と呼んでいた。

それからさらに数分間、すったもんだをくり返したのち、僕の名前をなんとか認識すると、たいていの大人たちが「タロウ ヨシオくんか。へええ! 珍しい名前だね!」と驚く。相手が子供の僕だからなのか、大人たちはわざと思い入れたっぷりに(まるでNHK教育放送の子供番組のように)大げさなリアクションをしてくれるのだが、それだけにその「へええ! 珍しい名前だね!」が僕の頭の中で「へええ!〜へええ!〜へええ!〜〜〜珍しい!〜珍しい!〜珍しい!〜」とエコーがらみで反響しちゃって、しかも何か珍種の生き物を見つめるような大人のまなざしがつらくて、散々な思いをしたものだ。

ま、そんなことを再三再四くり返したものだから、僕はすっかり名前にトラウマができてしまった。
だから、子供の時は“スズキさん”や“サトウさん”に憧れた。「なんてメジャーな名前なんだろう! それにくらべて、僕の名前は、なんてマニアックなんだろう……」と。

そんな傷心の僕が、立ち直る日が来た。

それは、エルトン・ジョンの登場だ!

それまでの僕の常識では、「ジョン」はファーストネームだった。
まずは誰をおいても「ジョン・レノン」。そのほかにも「ジョン・F・ケネディ」「ジョン・ウェイン」……などなど。“ジョン”といえば、ポールやジョージやジャックやベティーやトムやスージーと同じように、ファーストネームの代名詞のようなものだ。
その「ジョン」を、エルトンさんはファミリーネームに持っているではないか!

Elton John!

僕は、彼を知ったその日、悟ったわけだ。「そうだ! 何でもアリなんだ! エルトン・ジョンがいいんだったら、タロウ・ヨシオでもいいだ!」

というわけで、名前のトラウマは終わった。

だから、僕は今でもエルトン・ジョンに感謝している。

彼にはいつまでも、“何でもアリ”のワガママ・オヤジでいてほしい。

がんばれ、エルトン・ジョン!


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