2005年07月25日
究極の神頼み
そこそこ長く生きてきて“オヤジ”となってしまった僕は、そこそこ偏屈になってしまって、結論から言ってしまうと「ゲンかつぎ」や「神頼み」というのはしない──と言うよりは、してはいけないと思っている。
しかし、矛盾しているようだけど「究極の神頼み」というものが、じつはある。
まずは、僕の周りで起こった「ゲンかつぎ」や「神頼み」の顛末(てんまつ)をいくつかご紹介する。
僕の友だちで「(家の近くの)松の木の下で願い事をすると成就する、うまくいく」という男がいた。
そもそも、彼のそのゲンかつぎの始まりは──。ある夏の夕方、にわか雨に見舞われて松の木の下で雨宿りしていた彼が、翌日おこなわれる大学入試を案じて、ふと「幸運をマツ!」とシャレがらみで祈ったそうだ。そして、全部で4校7学部受けた中で、「幸運をマツ!」と願を掛けたその大学にだけ合格した。その大学が最も偏差値が高く、合格率が低かったにもかかわらず!
それ以降、彼は事あるごとにその松の木の下に立ち、目をつぶり「幸運をマツ!」と念じるようになった。大学を好成績で卒業し、希望の職種にもつき、業績と呼べるほどの大仕事もこなすようになっていた。松の木との付き合いも、すでに10年ほどが経った。
そんなある日、彼は、意中の人と初デートをすることになった。このデートはなんとしてでも素晴らしいものにしたいと彼は思った。彼が初めて、結婚というものを意識した女性だった。
デート当日、彼は「きょうこそは絶対に幸運をマツ!」と心に決め、家を出ると松の木をめざして勇躍歩いた。そして、その木がある公園にたどりついて、彼は愕然とした。公園整備のため松は掘り出され、無くなっていたのだ。その途端、彼はすがるものを失った反動で、失わなくてもいいはずのフツーの平常心さえも失ってしまった。デートは散々だったと彼は言う。
松という“モノ”にゲンを託したために、味わわなければならなかった運命。“モノ”みなすべて、壊れたり無くなったり失ったりするものなのだ。「形あるものはすべて壊れる」とは、誰もが一度や二度は耳にしている言葉ではないか。
僕も、中学生の時、とても大切にしていたコルゲンコーワのカエルのマスコットをお守り代わりにして、いつもポケットに忍ばせていたことがあった。
このカエルがなかなか霊験あらたかだったのだが、3年生の2学期の期末試験(つまりいちばん大切な試験!)の、英語(つまりいちばん大切な教科のひとつ!)の試験の前の休み時間に、ポケットから引っぱり出したハンカチにからまってそのカエルがトイレの便器の中に落ちてしまったのだ。とっさに「縁起悪!」と僕は思った! つまり……、この瞬間すでに、僕の心は負け戦に足を踏み入れていたわけだ。
カエルのマスコットという“モノ”に、“運命”を託したばっかりに……。
「コルゲンコーワのカエルのマスコットin学校のトイレ」事件という、悲しくも愚かしい事件の教訓を踏んで、僕は新たな「ゲンかつぎ」「神頼み」方法を開発した。
つまり、“モノ”という形ある対象に弱点があるのであれば、形のない“コト”をゲンかつぎの対象にしようというわけだ。
実際にどうしたかと言えば──その方法とは──願い事を念じながら手のひらに「◯」を書き、その「◯」を、口の中に放り込んで呑み込むというものだった。「自分の願い事が◯=まるくおさまりますように!」という、とてつもなくベタなまじない。
ベタではあったが、これもけっこう効いた。「いいまじないだ」と僕は悦に入っていた。「このまじないだったらトイレに落とすこともないしな」と勝ち誇ってさえもいた。当然ながら試験でも常用し、まずまずの戦火をおさめていた。
ところが、災難はまたもや襲ってきた。
高校2年の2学期、進路決定のための学力テストという大切な試験でのこと。今度は数学──
すでにテストが始まり、僕は快調にテスト用紙の空欄を埋めていた。そして、3分の1ほどスラスラと解答した頃、僕は突然思い出したのだ。
「いっけねえ! おまじないするの忘れてた!」
シーンと静まり返る試験会場で、僕は、声ならぬ声、悲鳴ならぬ悲鳴を上げてしまっていた。
言うまでもなく、この時すでに、カンペキに、勝敗は決していた。ゲンかつぎを忘れていたという、背信の事実が僕を責め立てたのだ。「きっと、今ごろ“◯の神様”が怒って、僕に罰を与えるはずだ!」と。
突然の乱調、混乱、戦意喪失……。立ち直れなかった。結果は惨憺たるものだった。僕はこの時点まで、大学の数学科へ行くのが夢だった。が、しかし……
このような試行錯誤を、性懲りもなく何十年とくり返しながら、僕は“モノ”や“コト”に霊験や幸運を見出すことはなくなっていった。“モノ”や“コト”から恩恵をこうむると、結局“モノ”や“コト”に支配される──というのが“オヤジ”である僕の行きついた考えだ。
で、冒頭の言葉に戻る。
僕は「ゲンかつぎ」や「神頼み」というのはしない──と言うよりは、してはいけないと思っている。
で、もうひとつの言葉。
しかし、矛盾しているようだけど「究極の神頼み」というものが、じつはある。
究極の神頼みとは、何か?
それは「自分を信じる」ということだ。何の儀式も所作もなく、心の中で「自分を信じる」。これだけは、松の木のように抜き取られることもないし、トイレに落とすこともないし、おまじないめいたことをする必要もない。
ただ、超然と、淡々と「自分を信じる」
“モノ”でもなく、“コト”でもない。自分という“ヒト”を信じる。これ以上に強いことはない、これこそが究極の神頼みだ、と僕は思っている。
人気blogランキングに参加中♪
Posted by love40 at 16:10
│Comments(3)
│TrackBack(0)
この記事へのトラックバックURL
http://app.blog.livedoor.jp/love40/tb.cgi/50034379
この記事へのコメント
笑。
ワカリマス!!
今でもしょっちゅうやってる気が。。。
風水もそうかもしれません(笑)
そういえば、中1だか中2の時、答案用紙の名前記入欄に、おまじないのような言葉を書くといい点が採れる、と何かで読み、書いていたんですね。
ある時、たしか、あれは美術です、その答案用紙にその言葉を記入したまま出してしまったことがありました!出席番号で自分だということが分ったのですが、先生も苦笑されておりました。
その後、幸いにも、書かなくなりましたが。。。
常に自分を信じて生きていきたいです^^
P.S.コルゲンコーワのカエルのマスコット、何故か私も持っておりました。しかも中学生時です。かばんにつけておりました!!お守りにはしていなかった記憶がありますが(笑)
ワカリマス!!
今でもしょっちゅうやってる気が。。。
風水もそうかもしれません(笑)
そういえば、中1だか中2の時、答案用紙の名前記入欄に、おまじないのような言葉を書くといい点が採れる、と何かで読み、書いていたんですね。
ある時、たしか、あれは美術です、その答案用紙にその言葉を記入したまま出してしまったことがありました!出席番号で自分だということが分ったのですが、先生も苦笑されておりました。
その後、幸いにも、書かなくなりましたが。。。
常に自分を信じて生きていきたいです^^
P.S.コルゲンコーワのカエルのマスコット、何故か私も持っておりました。しかも中学生時です。かばんにつけておりました!!お守りにはしていなかった記憶がありますが(笑)
Posted by
mihoris
at 2005年07月31日 20:25
●●●mihorisさんへ●●●
>風水もそうかもしれません(笑)
占いとかでいちばんコワいのは、本当によく当たる占い師さんなんですよね。
そういう占い師さんと出会ってしまうと、何もかもその人に相談しないと生活できなくなっ
てしまうんですよね。「次はどうしたらいいの?」って。そうなってしまうと、生きていくの
が窮屈になってしまう。
そういうこと無しに、自分を信じて生きていければ、これ以上に手応えのある人生はないと思
ってます。その結果として、いろいろプラス・マイナスはあるでしょうけれど、やっぱりそれ
が楽しいし、幸せ!
>コルゲンコーワのカエルのマスコット、何故か私も持っておりました。
そうですか!
同志ですね!(笑)
>風水もそうかもしれません(笑)
占いとかでいちばんコワいのは、本当によく当たる占い師さんなんですよね。
そういう占い師さんと出会ってしまうと、何もかもその人に相談しないと生活できなくなっ
てしまうんですよね。「次はどうしたらいいの?」って。そうなってしまうと、生きていくの
が窮屈になってしまう。
そういうこと無しに、自分を信じて生きていければ、これ以上に手応えのある人生はないと思
ってます。その結果として、いろいろプラス・マイナスはあるでしょうけれど、やっぱりそれ
が楽しいし、幸せ!
>コルゲンコーワのカエルのマスコット、何故か私も持っておりました。
そうですか!
同志ですね!(笑)
Posted by
オヤジライター
at 2005年08月01日 00:07
こんにちは。
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
コルゲンコーワの昔の広告もとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
大道芸観覧レポートという写真ブログをつくっています。
コルゲンコーワの昔の広告もとりあげています。
よかったら、寄ってみてください。
http://blogs.yahoo.co.jp/kemukemu23611
Posted by
kemukemu
at 2007年01月06日 16:34




