2005年07月25日

僕と浅草の不思議な30年間


あることが、僕と浅草を結びつけた。
そして、それは30年間にも及ぶことになった。
と言っても、これまでに僕は浅草にほとんど行ったことがないし、おそらくこれからも滅多には行かないだろう……

僕は東京・新宿に生まれ、10代後半から中目黒で育った。今はさらに違う所に住まいを設けているのだけど、これまでずっと、いわゆる“山の手”に生活圏をもっている。同じ東京でありながら、浅草などの“下町”とは互いに異なる文化をもっていて、それが30年前となるとさらに際立っていて、“山の手”と“下町”は別世界のように感じられた。

事実、10代の頃は、僕の友だちと言えば新宿区・渋谷区・目黒区・世田谷区に多く、それに比べると、荒川区・台東区・墨田区・葛飾区などには少なかった……と言うよりも、ほとんどいなかった。それは、昔から文化圏が違ったということもあるし、こと高校生にとっては「学区」が違っていたということもあると思う。

だから、僕の友だちが、浅草に程近い浅草橋に住む女の子と付き合うと言いだした時は、みんな色めきだったものだ。とにかく僕らの知識で“下町”の人間というのは「寅さん」しか思い当たらない。したがって、そのまだ見ぬ浅草橋の女の子については、勝手ながら「寅さんの妹の妹」つまり「さくらの妹」のようなものを想像して語らっていたものだ。(下町の人が聞いたら激怒するよ、きっと〈笑〉)

ところが実際に会った彼女は、確か……、当時流行っていた“浜トラ”(横浜トラディショナルの略で、浜カジの先祖?)と呼ばれていたファッションで、(僕はアパレル関係はぜんぜんダメなので、そーとーデタラメな記憶・知識なのだが)ダークグリーンのタータンチェック柄の巻きスカートに、白のポロシャツ、それに明るい色の(何色だったかは覚えていない)カーディガンを羽織っていて、手には、「K」のロゴマーク“キタムラ”のハンドバッグを持っていたような、そうでないような……。とにかく全体としては清楚な感じだった。
それを見た僕らは「えーーーーーーーーー!」だった。とてもさくらの妹とは思えなかった!(って、さくらに妹なんていねーし)。彼女のヘアスタイルや表情はまったく覚えていない。なぜなら、予想外・以上(←ほとんどパニック状態)に彼女がまぶしくて、まともに顔を見ることができなかったのだ。覚えていない理由はもうひとつあって、彼女にその後一度も会っていないからだ。そう、つまり、僕の友だちは彼女にソッコー・フラれてしまったのだ。

ま、とにかく、僕らにとっていかに下町が遠い存在だったか、わかっていただけたと思う。

さて、浅草だ。浅草を「エンコ」と昔の人は呼んだ、らしい。
街の略称・愛称というやつで、新宿なら「ジュク」、池袋なら「ブクロ」とか「イケブー」(←これはギャル語か?)、渋谷なら「ブーヤ」などと呼ぶように、かつて浅草を「エンコ」と呼んだそうだ。

「エンコって何よ?」と、いまあなたが思ったように、当然ながら僕も首をかしげた。今ならすぐインターネットで検索するところだが、なにしろ30年ほど前のことで、もし調べるとしたら、手堅いところでは図書館へ行くか、演技力があれば、ラジオの子ども電話相談室に声色つかって尋ねるか、ぐらいだろう。「ぼく小学2年で〜しゅ。なんでぇ、浅草はぁ、エンコって呼ぶんですかぁ?」どうも小学生にふさわしくない質問内容のようではあるが。

そのような、昔ならではの不便な事情があって、さらに僕の生来のモノグサ根性がわざわいして、エンコが浅草のことであるという以上には「エンコ」の正体を知らぬままに過ごしていた。

そして、きわめてささやかではあるが、浅草をめぐるちょっとしたミステリーが僕に起こった。
そのことこそが、浅草に対してひとかたならぬ思い入れを抱くきっかけとなったのである。

ささやかなミステリーは、映画『昭和残侠伝/唐獅子仁義』に始まる。
高倉健、池部良、藤純子らを配する『昭和残侠伝』シリーズは、任侠映画つまりヤクザ映画の頂点を極めたと言ってもいい内容で、ファンにとっては神話的作品群である。
その後のヤクザ映画『仁義なき戦い』シリーズを“ヤクザの実学”とでも呼ぶなら、『昭和残侠伝』は“ヤクザの美学”を求めたもので、ゆえに“健さん”はあくまでも凛々しくあくまでも哀しい。ゆえに男たちは彼に惚れた。

今から30年ほど前のその日、僕は任侠映画専門の新宿昭和館で『昭和残侠伝/唐獅子仁義』を見ていた。この作品はシリーズ5作目にあたる。
映画はまず、おなじみの東映三角マークが、荒ぶる海に立ち現れるところから始まり、そのあとのアバンタイトル(タイトルの前に置かれるシーン)──高倉健と池部良の長ドスによる対決、さらに仙台刑務所の面会室シーンと続き、やっとこさタイトルが掲げられる。賭場のシーンをやや斜め俯瞰でおさめた画面に、“昭和残侠伝/唐獅子仁義”の朱文字がバーンと貼り付く。すると、健さんの不器用そうで、しかもいかつい声が主題歌『昭和残侠伝』をうなる。

「♪エンコ生まれの 浅草育ち ヤクザふぜいと言われていても ドスが怖くて 渡世はできぬ〜」

僕もスクリーンを見ながら、口の中をモゴモゴさせてひそかに唄う。
そして、曲の最後は、決めの「せなでほえてる からじし ぼ〜た〜ん〜」で気分はさらに昂揚し、映画にのめり込んでいく……。

映画を見終わり、昭和館をあとにした僕は、健さんをわが身に沁み込ませ、またもや口の中をモゴモゴさせ『昭和残侠伝』のメロディをなぞった。おそらくは、気持ち肩で風を切っていたかもしれない。

「♪エンコ生まれの 浅草育ち〜」

と口にしたその時だった。僕は、ふと何かに思い当たり、足を止めた。「あれ?」と思った。「エンコ生まれの 浅草育ち」……こりゃ、いったい、どうしたことか? 僕は理解に苦しむ。あれ?

いまはアルタとなった、かつての食品デパート二幸の前で、僕は棒のようになって考え込んでしまった。
エンコとは浅草のことだ。ということは、この詞の「エンコ生まれ」とは「浅草生まれ」のことだ。とすると、次の文句「浅草育ち」と続くのは、ちょっとヘンな気がする。「浅草生まれの浅草育ち」という物言いならスッと呑み込めるのだが、「エンコ生まれの浅草育ち」と「エンコ〜浅草〜」とすることに、なぜか僕は違和感というか不調和感のようなものを覚えた。

しかし、僕の棒状態は長くは続かなかった。だって、ジュクの師走はメッチャ寒かったんだも〜〜〜ん。
なにしろ二幸の前はアベック(←当時は“カップル”ではなく“アベック”と言った)がウジャウジャいて、「こいつら、結局は連れ込み(←ラブホなんて言わなかった)へ行くんだろ! それに比べ、オレは唐獅子牡丹かよ!」と僕は、真冬の体感温度と心感温度の両面低下によって、あえなく、とっとと家路へついたのだった。

それ以来、疑問を解くまでの努力を払うこともなく、かと言って忘れきってしまうこともなく、「エンコ〜浅草〜」が頭の中に漂っていたのだ。そして、その漂いとともに「浅草」というビッグな下町ブランドは、“山の手”の僕に謎めいた印象をちらつかせ、つい最近へと到った。

今からほんの数ヶ月前のことだった。しばらくナリをひそめていた「エンコ〜浅草〜」案件が頭に浮上し、僕は仕事のついでにネットで調べてみることにした。すると、いくつかの知識を手に入れることができた。

「エンコ」とは「公園」を逆さ読みにしたもので、さらにこの「公園」とは「浅草公園」のことだとわかった。
この「浅草公園」とは、かつて相当広い区域を占めていたが、明治15年から始まった築造・整備により全6区画に分けられた。現在もある歓楽街「浅草六区」は、その時の区画番号がそのまま残ったものなのだそうだ。今でもバス停に「浅草公園六区」の正式名称をとどめているらしい。
そのようないきさつを経て「浅草公園」は、元来の公園の姿ではなくなっている。今は「浅草公園=浅草の街」と考えてほぼ間違いないようだ。

しかしながら、それでは若かりし頃の僕の疑問は解決しない。「エンコ(=浅草)生まれの浅草育ち」なのであれば、わざわざ「エンコ」と言葉変えせずに「浅草生まれの浅草育ち」のほうがタンカとしてはゴロがいいような気がする。

で、僕は、ネット画面の前で、ふたたび思案した。このままでは、やはりおかしい、どこかぎこちないのだ。僕は考えた……
そして……、僕は僕なりの結論を出した。これならば、少なくとも僕の疑心は氷解する。
つまり……、「エンコ」とは「エンコ」なのだ。
そう、「公園」のことだ。「浅草(公園)」として慣れ親しまれたそれではなく、まんま「公園」なのだ。
ということは、この『昭和残侠伝』の唄い出しの意味はこうなる──

「公園生まれの浅草育ち」

もしかすると映画『昭和残侠伝』のコア・ファンなら、本当の意味を誰もが知っているのかもしれない。だから、僕がここで高らかに言っていることは間違いかもしれないし、かりに正解であっても周知の事実なのかもしれない。いずれにせよ、恥をかくことになるのだが、僕は僕で探した真実をここに書いておきたい。

つまり、“唐獅子牡丹”の彫りを背中に負った、蔵前一家代貸・花田秀次郎(高倉健)という任侠の徒は、公園に置き去りにされた“捨て子”だったということになる。それが「エンコ生まれの浅草育ち」の正体だ、と僕は勝手に思っている。
冒頭にも書いたことだが、僕は浅草にほとんど行ったことがない。
が、しかし、行かないわけではない。そして、行った際は浅草寺を詣で、六区をぶらつき、仲見世をひやかす合間に、人気(ひとけ)が萎えた路地や境内の隅っこを歩きつつ、僕の頭の中にずっといた花田秀次郎の、生まれ場所とはどんな所だったのか──30年間続いた思いをいまも胸にしている。


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