2005年07月26日
「ゆとり教育」 or 「脱ゆとり教育」
この10数年間、「ゆとり教育」が推進される中で、ある言葉が取りざたされてきた。
「浮きこぼれ」だ。
「落ちこぼれ」の対義語として生まれた。
「落ちこぼれ」が、学校の勉強のペースに追いつけず落伍する子供を指すのに対し、「浮きこぼれ」は、学校の勉強のペースよりも進んでいる子供が、授業を物足りなく感じたり、クラスの中で疎外されたりすることで、不登校やイジメの原因となることを言う。
そもそも「ゆとり教育」が生まれた背景には、知識偏重の詰め込み教育(による落ちこぼれなど)への批判があった。そしてその結果、“学習内容の削減”を機軸とした──週5日制授業の実施、総合学習や選択教科制の新設──などをおこなってきた。
皮肉なことに、“学習内容の削減”による学力低下を危惧して、塾通いなどに拍車がかかる側面を生んだ。結局、学習に意欲的な子供たちは、勉強をどんどん先取りする形となり、学校授業のペースに合わなくなる。これが「浮きこぼれ」現象へとつながっていく。
「浮きこぼれ」の問題は、勉強に“熱心”で“優秀”な子供をつぶしかねないという点にある。
日本が国土も資源も乏しい国であるにもかかわらず、今日のような経済大国になれたのは、この国が「技術立国」「知的立国」として展開してきたからにほかならない。(経済大国であることの功罪は、論旨を進めたい関係上、ここではあえて触れない)
国際競争力のある、ハイレベルな「技術」や「知」を維持するためには、優秀な──それも飛びぬけて優秀な人材を育て確保しなければならない、と国が考えるのは当然のことだろう。
だとすれば、国が「落ちこぼれ」救済より「浮きこぼれ」救済を優先しようと考えたとしてもおかしくない。(だから賛成だといっているわけではない。僕は現状の中に「飛び級」制度などをもっと広範に取り入れたほうがいいのではないか、と思っている)
さて、つい先日、全国一斉の『学力テスト(教育課程実施状況調査)』の結果が公表された。それによると、小・中学生の学力がおおむねアップしており、「ゆとり教育」に一定の成果が現れていると言われている。ところが、中山文科相はすでに発表している“脱・ゆとり教育”の方針に、今後変更はないとの見解を明らかにした。
「ゆとり教育」に著しい非がないと目されているのに、「ゆとり教育」をやめると大臣が言っている。これは、どういう意図だ?
文科省としては一回出した方針を“メンツにかけて”変えたくないのだという見方もできるけれど、僕は、もっと実質的な動機が関わっているのではないかと思っている。
つまり先ほど書いた、「落ちこぼれ」救済よりも「浮きこぼれ」救済の優先──学習内容を現行以上に濃厚にし、ハードワーク型の教育システムにする──言いかえれば、ある種のエリート養成重視路線を打ち出したいのではないかと見ている。
これは、「技術立国」「知的立国」を高水準に維持するための、“国策的”判断なのではないか。
もし、そうだとしたら、“脱・ゆとり教育”は是か非か?
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Posted by love40 at 11:05
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ゆとり教育【アヘアヘ・アフェリエイト】at 2005年10月15日 13:57




