2005年07月26日

僕を励ましてくれる言葉


僕は、自分を励ます言葉というものをいくつか持っている。

その言葉を、机の前に貼っておいたり、手帳の片隅に書き記しておいたりして、気持ちがくじけそうになった時などにちらっと見て、自分の心の栄養にする。
言葉というのは不思議なもので、物理学的に言えば質量ゼロなのに、それが目や耳を通して体に吸い込まれ蓄えられると、とんでもないエネルギーを発揮することがある。

今までいろいろな言葉に励まされてきたのだけれど、その言葉たちにもそれぞれ歴史があって、若い頃は片時も忘れずに心の中で唱えていた言葉が、突然扱いづらいものになってしまったり、それとは逆に、最初はさほど重きを置いていなかった言葉なのに、歳とともに意味を深めるようになったものもある。
たとえば、30代の頃まで僕が復唱していた言葉にこんなのがある──

『急げ。深く急げ。』

20代の半ばにふと思いついた言葉(考え)で、当時の僕を叱咤激励するのにジャストフィットしていた。「日々の暮らしを、思慮深く、根底から味わいながら、突っ走れ!」というような意味合いで、僕はこの言葉をこよなく愛した。
しかし、ある日、バテてしまった(苦笑)。
言葉が、僕を振り回しすぎたのだ。まるでニトログリセリン入りのガソリンを、心というエンジンにぶち込んで、思いっきりアクセルを踏み込んでいたようなものだ。「突っ走る」ことに疲れてしまったのだ。
何かの拍子にガクンと息切れして、ほとんど放心状態。バーンアウト。燃え尽きてしまった。

立ち直るのが大変だった。その時、僕は自分の中の言葉たちを引っかき回して、自分の窮状を救ってくれそうな言葉(考え)を探した。
で、ひとつの言葉に行きついた。

『崩れても倒れるな』

自分で思いついた言葉ながら、じつは自分自身この言葉の意味をすべて理解できていない、という摩訶不思議な状態にある言葉なのだ。しかしながら、この言葉を何度も唱えていると、じわじわと元気になれるのだ、あの時も、そして今もなお。

大枠の意味としては「時には(生きる態勢が)崩れることがあるかもしれないけれど、けっして倒れてはいけない」といった感じでとらえている。
または、生きて行くうえで「時には崩れてもいいじゃないか」と窮状を肯定しているようなニュアンスさえあるような気がする。
あるいは、この言葉の別の面を分析すると「“倒れきる”までは“倒れていない”もんね」という、ふてぶてしいまでの気概さえ秘めているようにも感じられる。

『崩れても倒れるな』

きわめて抽象的な言い回しなので、どうとでも意味がとれるのだけれど、それだけに、ピンチの時はまるでおまじないのように僕を励ましてくれる言葉なのだ。
この言葉を心にたずさえるようになって、もう10年以上になる。

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