2005年07月26日

33人のピアニスト


40年ほども前の話。
僕が通っていた小学校は私立で、いわゆる“お坊っちゃま・お嬢ちゃま”学校だった。学校全体としては、下は幼稚園から上は大学まで一貫教育をうたっていたのだけれど、僕は小学校の6年間だけをそこで過ごすこととなった。

その学校は音大系ではないにもかかわらず、音楽教育──特にピアノ教育に“間接的に”力を入れていた。
“間接的に”とは、学校の正課としてピアノ教育を設けていたのではなく、生徒が個々にピアノを修得することを奨励していた。したがって、そこに通う子女の多くが幼稚園からピアノを習い、小学校に上がってからも、学校近隣のピアノ教室で個人レッスンを受けていた。

小学校は1学年1クラスで35人。うち31人が幼稚園からの生え抜き。そして残りの4人が新参者で、そのひとりが僕だった。
排他的な学校ではなかったので、生え抜きも新参者もなくみんなすぐ仲良くなれた。みんな本当に仲が良くて、いつも一緒にコロコロと遊んでいた。それだけに、あの、音楽の授業だけは僕にとってつらいものだった。

なにしろ、ほとんどの生徒(生え抜き31人と、新参者のうち2人)がピアノ経験者で──僕にしてみれば、彼ら33人はすでにプロ級のピアニストのように神々しく──授業で生徒がピアノを弾くことはなかったけれども、たとえばソルフェージュ(聴音、初見視唱、リズム打ちなど)では、彼らが難なくこなせることを、僕だけは手こずるだけ手こずって赤面しまくっていた。
まるで、みにくいアヒルの子。

「ピアノさえ習っていれば、こんなつらい思いをしなくてもいいのに!」と悔やみはしたものの、昭和30年代のガキにありがちな「ピアノなんて女のやることだ!」という反発もあって、先生からのピアノレッスンの勧めも拒み続けた。
童話の『みにくいアヒルの子』は最後に逆転ホームランを打つわけだけれど、僕にはそんな晴れ晴れしいことが待ち受けているわけもなく、音楽の授業は毎週毎週ただ拷問のようだった。

学年が上がるにつれ、僕はスッパリ開き直るようになり、みにくいアヒルと言うよりは、カラスのようにふてぶてしく(苦笑)、音楽の授業になるとギャースカギャースカ騒ぐようになった。

4年生の、ある日のこと。
放課後、僕は下校して駅に歩き着いたところで定期を教室に置き忘れたことに気づき、学校に引き返した。
校舎にはすでに人影はなかった。
当直の先生に教室を開けてもらい、定期を身につけ、近道を選んで学校の中庭を横切り、食堂の前を通り過ぎた時だった。夕暮れに沈んだ古ぼけた建物の、窓を開け放ったその中から、ピアノの音がささやかに流れ出していた。
僕はまず舌打ちをしたのを覚えている。「また、ピアノかよ」と。
うんざりのはずなのに、なぜか僕は窓の下へ歩み寄り、そっとのぞき込んだ。どうしてだろう? この学校でピアノの音など珍しいものではないのに。でも、たぶん、その音に惹かれたのだ。

食堂の薄暗がりの向こうでピアノを弾いている男子の背中が見えた。
誰だろう?
薄暗くてよくわからない。
何という曲かもわからない。
彼は、ゆっくりとした曲を静かに弾いていたのだけど、突然動きを止めると、こぶしを振り上げるなり、そのこぶしを鍵盤に振り下ろした。ピアノは「ギャン!」という悲鳴を立て「ザワワーーン」という残響をみなぎらせた。
彼は身をこわばらせている。
静寂……。

彼はまた弾き始める。
そして同じ箇所で、またもや「ギャン!」と鍵盤を叩き、「ザワワーーン」と響き渡る。
また弾き、また「ギャン!」と叩く。
僕の耳には、つつがなく弾けているように思えるのだけれど、きっとミスをしているのだろう。あるいは、気に入らないのだろう。
また「ギャン!」と叩く。
そのたびに僕の目には、彼の背中が「悔しい!」と嘆いているように見える。
「ギャン!」
どうしても、その先に進めない彼の悔しさが、僕に伝わってくる。
「ギャン!」と荒々しく叩いたその指が、次の瞬間、信じられないほど静かに、そしてゆったりとメロディを奏で始める。音がつむぎだす不思議な幸福感に、僕の背中がゾクゾクッとする。しかし、また同じ箇所で「ギャン!」と流れを破壊する。
「ギャン!」
「悔しい!」
彼の背中が発する激しい悔しさが、突然僕を揺さぶった。
わけのわからない感動。
あっという間に、僕の目から涙があふれていた。

食堂の小さなピアニストは苦しんでいた。
たぶん相当な腕前なのであろう、だけど、思うように弾ききれないことに腹を立てている。
ピアノをいたわるだけの余裕のない子供ではあったけれど、それは単なる小学生ではなく確かに“ピアニスト”の気配を漂わせていた。
「ギャン!」「悔しい!」「ギャン!」「悔しい!」……………
その執念のようなものが、食堂の薄暗がりを突っ切って僕を揺さぶった。

僕は窓から離れた。
涙が止まらなかった。
ヒック、ヒックと、肩が引きつっていた。
僕は誰にも見られたくなくて、学校の裏の抜け道から、泣きべそをかきながら駅へ向かった。

食堂の小さなピアニストが誰だか、結局わからなかった。
僕の友だちの33人の中のひとりかもしれないし、同じ学年ではなくて、ひとつ上か、ひとつ下の学年だったかもしれない……。

その後も、僕は相変わらず音楽の授業が大の苦手ではあったけれども、もう騒ぐようなことはしなかった。

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