2005年08月04日
ラブ・フォーティ 第62話 〜ジーンズ〜
(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )
第61話より続く
新田は、来たことを突然後悔した。帰ろうと思った。きびすを返した。とたんにギクッとした。
新田の背後にいつのまにか人が立っていた。女だった。色黒の女がくわえ煙草で新田をにらんでいた。長めの髪を後ろできつく引っつめているせいか、ほっそりとした顔に頬骨がやけに張り出して見え、強情そうな口もとと相まってどこかふてぶてしさが漂っている。手には小さな鍋を持ち、その中で豆腐が水に揺らいでいる。新田はなぜかそれに気をとられた。
女が煙草と唇の隙間から「いらっしゃい」と言ったが、新田はまるで気がつかなかった。女は顔に苦笑を浮かべながら、スッと新田の脇をすり抜け店の中に入っていった。その素早い動きに新田は息をのんだ。まるで剣の達人が一瞬にして胴切りを決め走り去るような軽やかな身のこなしだった。女は、正面から見ると白い割烹着姿、後ろから見ると青いトレーナーにジーンズと、ちぐはぐな格好をしている。
女はカウンターの上に小鍋を置き、それから口にくわえていた煙草を指に挟むと、灰皿の上で灰をたたき落とした。振り返りざまに頭をわずかに振って、中へ入れと新田に合図した。
「新田さん?」
しゃがれた声が飛んだ。
新田はうなずきながら、おずおずと中へ進んだ。
女はカウンターをくぐり反対側に浮上した。
女が初めて微笑んだ。
「どうぞ、お掛けになって。きょうも暑くて……。子供には長い夏休みがあるけど、大人にはないから夏もよしあしよねえ」
女としてはかなり彫りの深い顔だちに、さっぱりとした笑みを浮かべ、それがしゃがれた声と相まって、女臭さというものをほとんど感じさせない。“姉御肌”と言うのだろうか、人を引きつける何か強いものを秘めている感じがする。歳は50代だろうか、と新田は想像した。
女は、カウンターの上の小鍋を持ちあげると、「このお豆腐は絶品よ」と言いながら新田に見せつけ、それからカウンターの陰に引っ込めた。
女は小腰をかがめ、カウンターの中で手を動かしながら上目づかいに新田を見た。
「まずはビールかしら?」
「そう……ですね」
新田は答えながら、女から差し出されたおしぼりを受けとった。
おしぼりは業者からの取り寄せではなく、この店でひとつひとつ整えたもののようだった。ほどよい大きさの白いタオルから、熱くて清潔な匂いが立ちのぼってくる。床屋の蒸しタオルを思い起こしながら新田は汗ばんだ顔を深々とうずめた。深呼吸した。ふっくらとした蒸気が鼻孔をくぐり、体の芯をほぐしてくれる。新田の後悔がやわらいだ。自分が最初に感じたような店とは違うのかもしれない、と思った。
おしぼりから顔を上げると、目の前にビールとグラスが並んでいた。
「とにかく一杯、どうぞ」
ビールがつがれた。新田はいっきに飲み干した。
さらにビールはつがれ、さらにいっきに飲み干した。
「みごとな飲みっぷりね。“強い”とは奥さん言ってたけどハンパじゃなさそうね」
女は笑った。
新田が聞いた。
「ママは……、うちのと、どういうお知りあいなんですか?」
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第61話より続く
新田は、来たことを突然後悔した。帰ろうと思った。きびすを返した。とたんにギクッとした。
新田の背後にいつのまにか人が立っていた。女だった。色黒の女がくわえ煙草で新田をにらんでいた。長めの髪を後ろできつく引っつめているせいか、ほっそりとした顔に頬骨がやけに張り出して見え、強情そうな口もとと相まってどこかふてぶてしさが漂っている。手には小さな鍋を持ち、その中で豆腐が水に揺らいでいる。新田はなぜかそれに気をとられた。
女が煙草と唇の隙間から「いらっしゃい」と言ったが、新田はまるで気がつかなかった。女は顔に苦笑を浮かべながら、スッと新田の脇をすり抜け店の中に入っていった。その素早い動きに新田は息をのんだ。まるで剣の達人が一瞬にして胴切りを決め走り去るような軽やかな身のこなしだった。女は、正面から見ると白い割烹着姿、後ろから見ると青いトレーナーにジーンズと、ちぐはぐな格好をしている。
女はカウンターの上に小鍋を置き、それから口にくわえていた煙草を指に挟むと、灰皿の上で灰をたたき落とした。振り返りざまに頭をわずかに振って、中へ入れと新田に合図した。
「新田さん?」
しゃがれた声が飛んだ。
新田はうなずきながら、おずおずと中へ進んだ。
女はカウンターをくぐり反対側に浮上した。
女が初めて微笑んだ。
「どうぞ、お掛けになって。きょうも暑くて……。子供には長い夏休みがあるけど、大人にはないから夏もよしあしよねえ」
女としてはかなり彫りの深い顔だちに、さっぱりとした笑みを浮かべ、それがしゃがれた声と相まって、女臭さというものをほとんど感じさせない。“姉御肌”と言うのだろうか、人を引きつける何か強いものを秘めている感じがする。歳は50代だろうか、と新田は想像した。
女は、カウンターの上の小鍋を持ちあげると、「このお豆腐は絶品よ」と言いながら新田に見せつけ、それからカウンターの陰に引っ込めた。
女は小腰をかがめ、カウンターの中で手を動かしながら上目づかいに新田を見た。
「まずはビールかしら?」
「そう……ですね」
新田は答えながら、女から差し出されたおしぼりを受けとった。
おしぼりは業者からの取り寄せではなく、この店でひとつひとつ整えたもののようだった。ほどよい大きさの白いタオルから、熱くて清潔な匂いが立ちのぼってくる。床屋の蒸しタオルを思い起こしながら新田は汗ばんだ顔を深々とうずめた。深呼吸した。ふっくらとした蒸気が鼻孔をくぐり、体の芯をほぐしてくれる。新田の後悔がやわらいだ。自分が最初に感じたような店とは違うのかもしれない、と思った。
おしぼりから顔を上げると、目の前にビールとグラスが並んでいた。
「とにかく一杯、どうぞ」
ビールがつがれた。新田はいっきに飲み干した。
さらにビールはつがれ、さらにいっきに飲み干した。
「みごとな飲みっぷりね。“強い”とは奥さん言ってたけどハンパじゃなさそうね」
女は笑った。
新田が聞いた。
「ママは……、うちのと、どういうお知りあいなんですか?」
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Posted by love40 at 08:11
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