2005年08月11日

ラブ・フォーティ 第69話 〜ワイシャツ〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第68話より続く

 新田はほんのり得意げに言った。
「タツエさんの陽に焼けた顔を見たときにすぐ気がつかなければいけなかったんですが……。店を出てからいろいろ考えているうちに、そこに貼ってあるカラオケの告知を思いだしまして……。“シングルス”“ダブルス”という変わった言い方が頭のどこかに引っかかっていたんです。それらのことが不意に重なりあって、ああテニスだ、と思ったんですよ」
 タツエは腕組みをしてしばらく新田を見つめていたが、渋々といった様子で中へ手招きした。
「時間はかかったけど、とにかく答えにたどり着いた、ということね」

 新田は通勤カバンを両手で抱えカウンターへ歩み寄った。
 タツエは素早く新田の体を観察した。半袖のワイシャツから出ている生っ白いブヨブヨとした腕は、およそ戦いとは無縁のシロモノだし、腹の周りのたるんだ肉は、いかにこの男が自己鍛練せずに人生を送ってきたかがわかった。おそらくズボンに包まれている足は走ることを忘れ通勤用と化して衰えているはずだ。タツエは心の中でため息をついた。この男がコートの上でカッコよく暮らせるようになるには、相当な修羅場をくぐる必要があるな、と思った。
 新田は先ほどと同じスツールに腰をのせた。ふたりはカンターを挟んで向かいあった。

 タツエは間を置かずに口を開いた。
「ねえ、新田さん。私はこういう人間だから、まどろっこしいことは嫌いなの。だからずばりお聞きしますけど、あなた、本当はテニスはそんなにお好きではないんでしょ?」
 新田の視線がストンと落ちた。唇をきつく引きむすび沈黙した。
 タツエは微動だにせず待った。
 新田は目を伏せたまま言った。
「正直言うと、一度もやったことないですから、好きとか嫌いとかいう気持ちはないんです」
「やってみたいという憧れのようなものは?」
 タツエの問いに、新田は答えなかった。

 タツエは新田の額をにらみつけていたが、我慢しきれずに聞いた。
「じゃあ、なんでここへ戻ってきたの? さっきあのまま家へ帰ってしまえば、それですべては終わっていたのに」
 新田はうつむいたままうなずいた。言われてみれば、確かにそのとおりだと思った。タツエの謎かけの答えが“テニス”と思い当たったとき、それが何を意味しているか、新田にもあらまし想像はついた。おそらく晴美がタツエにテニスのことを頼んだのだろう。そのタツエの店に戻ってくるということは、つまりテニスをしたいと願い出ているようなものではないか。なぜ僕はここへ戻ってきたのだろう?
 新田は、自分で自分の気持ちをつかみかねていた。

 タツエは腕組みをして、おし黙っていた。新田のほうが何か言わないかぎりは、タツエはずっとその姿勢を崩さないと言わんばかりの雰囲気を漂わせていた。その重苦しい気配に圧せられながら、新田は言葉を探した。が、頭には何も浮かばなかった。息苦しさが募り、脇の下に浮きでた冷や汗が全身をちくちくと刺した。新田はあえぎながら自分の頭の中をさまよった。さまよううちに、突然、きょうの朝方に見た夢を思い出した。夢の中のテニスコート。夢の中のサーブ。芳賀に打ち込んだサーブは、あのあとどうなっていたのだろう?

 気がつくと新田の口が勝手に動いていた。
「できるでしょうか、僕に?」
 そう尋ねる新田の目つきに、ただならぬ強さをタツエは感じた。
「それは新田さん次第だと思うけど」
「僕はもう40ですけど、遅くないでしょうか?」
「だいぶ前のことになるけど、67歳で初めてラケットを握ったという方に、テニスを教えたことがあるわ」
「その方、どうなりました?」
「少なくとも、いまの新田さんより、はるかに強いわね」

 わずかに間があき、それから新田が静かに言った。
「なんだか悔しいですね」
「じゃあ、勝ちなさいよ」
 ふたりは視線を互いにぶつけたまま身じろぎひとつしなかった。

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