2005年08月12日

ラブ・フォーティ 第70話 〜システム〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第69話より続く

 タツエが言った。
「あらかじめ言っておきますけど、新田さんが遊び半分なら、私のほうがお断りよ。私の個人レッスンは厳しいからね」
 新田の表情がピクッとした。
 沈黙がさした。
 新田が深呼吸した。それから両手を膝に置きなおすと、おもむろに頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「……ちょっとお伺いしますけど、新田さんは私のテニスを見たことも聞いたこともないのに、そんなに簡単に、私に“弟子入り”しちゃっていいのかしら?」
 タツエは不満げに言った。

 新田は自分でも驚くほどそっけなく答えた。
「よくないですね」
「よくないんなら、それなりに私のプレイを見るなり聞くなりしてから決めたほうがいいんじゃないのかしら?」
「本当ならそうすべきだと思います。でも……、いいです」
 新田の投げやりともとれる答え方に、タツエはややムッとした口調になった。
「それ、どういうことかしら?」
 新田の表情がにわかに曇った。
「つまり……、自分の目や耳が信じられるのならそうする、ということです」
「えっ?」
 タツエは、新田の中に不穏なものを感じて声を詰まらせた。

 その不穏な漂いを打ち消すように、新田は無理やり笑顔をつくって話し始めた。
「じつは、自信をなくしちゃいましてね、仕事や何やかやで……。こんなこと初めてなもんだから、我ながら信じられないほど、つまらないことで迷ったり、くよくよしたり……。
 で、そういうときは、自分であれこれ考えずに、妻の気持ちに素直に従ってみるのもいいかな、とふと思ったわけです。いまですよ。タツエさんと、こうして向かい合っていたら、突然そう思えたんですよ。妻がこれほどまでにして、ここへ来させたかったんです。妻に従ってみますよ。従ってみたいんです」
 話し終えると、心の中の澱みがすっと消えてしまっていることに新田は気がついた。いっぺんに顔が晴れた。その顔をタツエに向けた。

 タツエは口もとに笑みを浮かべ、新田に目を合わせたままわずかにうなずいた。
「もう一度言いますけど、私の教え方は厳しいから、そのつもりでいてくださいな。その辺のテニススクールのようなわけにはいかないから覚悟すること。でも、“タツエスクール”で生き延びることができたなら、たとえラケットを初めて持ったのが40歳でも、確実に強くなっているはず。完全マンツーマン方式で、しかもレッスン料はタダ。こんな素晴らしい学校を、奥様はよくぞ探し当てたものね」
 タツエは高らかに笑った。
 新田が心配そうに聞いた。
「“タダ”?」
「お金なんていりません。しいて言えば、月謝は生徒の情熱ってところかしら?」

「“情熱”?」
「そう。生徒の情熱が失せたら、退学。どう、なかなかいいシステムでしょ?」
 言いながらタツエはビールとグラスふたつを用意した。手ぎわよくビールをグラスにつぎ、ひとつを新田の前に、ひとつを自分の前に配置した。
「さてと、新田さん。ここから先はもう後戻りできないけど、それでいい?」
 新田は黙ってグラスをつかむと、タツエに向かってまっすぐ掲げた。それを見てタツエが言った。
「契約成立ってことね」
 新田は深々とうなずいた。
 タツエもグラスを手にすると、それを新田のグラスにかち合わせた。

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