2005年08月15日
ラブ・フォーティ 第73話 〜フォーム〜
(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )
第72話より続く
タツエは壁と向き合うと距離を吟味した。壁から5メートルほどに位置を決め、そこに新田を立たせた。
新田はボールとラケットを左右の手に持ち、壁をにらんだ。一瞬新田の脳裡に、橋の下で1打目を打とうとしている芳賀の姿がよぎった。1打目の緊張とはこういうものなのだろうか。新田は深呼吸した。
実打は素振りとはまったく違う。ボールの有無でスウィングの難易度がまったく変わってしまうことは、新田でも想像がついた。ボールの動かないゴルフでさえ、素振りのときは思いどおりにスウィングできても、足もとにボールを置いたとたんにフォームを崩してしまうことがある。ボールに当てようとすればするほど余計な力が入ってフォームがぎくしゃくしてしまうことは、新田自身がいやというほど味わっていることだった。
ましてやテニスの場合、ボールは宙を飛んでいる。
新田はどのように動作を組み立てればいいのかわからなかった。ボールを放ってからラケットを当てにいくのか、ラケットを振り出したところへボールを放るのか、タイミングがわからなかった。それどころか、どの辺に打点を想定すればいいのかもよくわからなかった。
新田の後方でじっと見ていたタツエが声をかけた。
「まずはボールをワンバウンドさせて、そこにラケットを合わせてみて。打ち方は好きなようにやりましょうよ」
タツエは最初からフォームを無理やり教えこもうとはしない。好きなように打たせて、その人間の体のクセや感覚の良し悪しを観察する。それから本格的にコーチングする。
新田は言われたとおりボールを地面に落とし、ワンバウンドめがけてスウィングした。まったくタイミングが合わず、すくい上げるように打ってしまった。ボールはほとんど真上に打ち上げられ、またたくまに新田の前方に落下してきた。
「打って!」
タツエが突きささるような声で叫んだ。
新田は反射的に1歩踏み込み、ラケットを落下してきたボールめがけて振った。数センチの差で空振りした。ボールは地面に落ち、ふたたび跳ねあがった。今度のバウンドの頂点は、新田の胸ほどの高さだった。
「もう1度!」
タツエが鋭く一声した。
ラケットはフォアハンドストロークで振りぬいたままの形になっていた。構えなおす余裕はなかった。新田はとっさにバックハンドストロークまがいに、体を右旋回させながらラケットを振り出した。振り遅れた。ボールはすでにラケットの数センチ下へ落下していた。大振りした新田はバランスを崩し足をよろめかせた。上半身は、後方に立つタツエのほうへねじれきったところでようやく止まった。新田はその格好のまま卑屈な笑いを顔ににじませた。
タツエは瞬きもせずに一部始終を見つめていた。そして、これなら何とかなるかもしれない、と思った。新田さんの反射神経はまだ錆びきっていない。それに、この人の動きは素直だ。素直だということが上達にはいちばん大切なのだ、と。タツエはきょう初めて晴れ晴れとした笑みを浮かべた。
タツエの笑顔を見て、新田は自分の不甲斐なさを笑っているのだと勘違いした。
「やっぱりダメですね。僕には向いていないようです」
タツエの表情がさっと険しくなった。
「新田さん。それは私が決めることです。壁打ち、続けて」
新田は何か言おうとした。が、言葉が出てこなかった。
気持ちにからみつく何かを紛らわすように体を前進させ、目の前に転がっているボールを拾い上げ、しばらくそのボールを見つめた。
タツエは勝負に出ることにした。ぴしゃりと言った。
「やめるなら、いまよ。いまならシャレですむわ。そうすれば、今後いっさい、私のようなオバさんに生意気な口をきかれることもなくなる。たかがテニスで頭に来ることもなくなる。どう、新田さん? やめるんならそこにラケットを置いて。やめないというのなら壁打ちを続けて」
新田は一瞬考える。
ボールを握る手が力で震えた。
蝉の声がばらばらと襲ってきた。
額を幾すじも汗が這う。
新田は心の中で自分に言った。
「いまやめたらシャレにならないんだよ」
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Posted by love40 at 06:33
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