2005年08月20日

ラブ・フォーティ 第78話 〜カウベル〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第77話より続く

 新田は、カウンターにのせていた両手を手前に引きよせ、太股の上にストンと落とした。それから背筋を伸ばし改まった姿勢をつくった。真顔になり、タツエに目を向けた。
「さてと、コーチ、これからどのようなレッスンを……?」
 タツエは苦笑した。
「そう固くならないでよ。ま、ゆっくり打ち合わせしましょう」
 タツエはそう言いながら、新田に背中を向け腰をかがめると、足もとに置いてある冷蔵ケースからビール2本とオレンジジュース1本を引きだした。びんの水を布巾でふきとってからカウンターに並べた。続いてグラスを4つ並べた。新田に向かってチラと微笑み、その柔らかな視線をそのまま腕時計に落とした。

「お客さんでも来るんですか?」
「そう、もうすぐのはずなんだけど……」
 タツエが言い終わらないうちに入り口のカウベルがカラコロと鳴った。新田は振り返ってギョッとした。理沙が立っていた。
「理沙……」
 新田が言葉を詰まらせている間に、理沙がそろりそろり入ってきた。続いて晴美も入ってきた。
「あれ、晴美……」
 新田の驚きようを楽しげに眺めていたタツエが、ふたりを手招きした。
「こんな店なのよ。どうぞ、こちらへ」

 新田晴美は、夫の斜め後ろまで歩み寄ると、娘を前に立たせ、ていねいにお辞儀をした。
「お久しぶりです。この子が、娘の理沙です」
「まあ、可愛い。お母さんにそっくりじゃないの。初めまして、理沙ちゃん。小学3年生……だったわね?」
 理沙はロボットのように頭をカクンと下げた。タツエが微笑む。まるで母親のようなまなざしになった。この人にこんなふくよかな表情があるのか、と新田は驚いた。
 タツエがカウンター越しにスツールを指し示した。
「とにかくお掛けになって。きょうは、新田さんにとって、とてもめでたい日なんだから」
 妻子の前でそう言われ、新田は居心地悪そうに身をよじった。

 タツエは満足げな目つきを新田に向け、それから、スツールに腰かけた晴美を見た。
「奥様とは、電話ではゆっくりお話ししたことあるけど、こうして改まってお目にかかるのは初めてということになるわね」
 晴美は、かつて電話で胸のうちをあからさまにしているだけに、なんとなく気恥ずかしかった。タツエの視線から逃れるように頭を垂れつつ、口を開いた。
「このたびは主人がお世話になりまして、本当にありがとうございます」
「お礼なんていいのよ。私は大したことしていないんだから。大したことしたのは新田さんよ」タツエは理沙へ目を移した。「お父さんねえ、とても頑張ったのよ」

「でも……、お父さん、なかなかラケットを振ることができないね」
 新田と晴美の間に座っている理沙が、カウンターに顔をのせるようにして言った。3人の大人がいっせいに笑った。理沙はキョトンとしている。タツエは笑いながらグラスをそれぞれの前に並べなおし、びんの栓を手つきよく抜いた。
「理沙ちゃんね、お父さんはいまテニスをするための体づくりをしているの。これがいちばん大切なの」
「うん、なんだか、テニスしそうな感じになってきた」
 理沙はわざとらしく首を伸ばして新田の腹のあたりを覗きこんだ。
 タツエは噴きだすのをこらえ、それから誇らしげに言った。
「ねえ、理沙ちゃん。お父さん、カッコよくなったと思わない?」
「思う。カッコよくなった」

「ああ、よかった。理沙ちゃんにそう言っていただけて、おばさんもホッとしたわ」
 そう言うタツエに、理沙が真顔で言い返した。
「理沙も、なんだかホッとした」
 3人の大人がまたいっせいに笑った。
 笑い声が弾む中、タツエがビールびんを持ちあげた。
「ま、とにかく、乾杯しましょうよ。新田さんは最近すっかり飲まなくなってしまったらしいけど、たまにはアルコールもいいんじゃないの? リラックスも大切よ」

 新田がにこやかにうなずくと、それを合図に大人たちの手が動いた。タツエが新田夫妻にビールを、晴美はタツエにもう一本のビールを、そして新田が理沙にジュースをそれぞれついだ。
 準備が整うと、タツエが音頭をとった。
「では、新田真一殿のレッスン・ワン卒業を祝して、乾杯!」
 4人は乾杯した。

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