2005年08月23日

ラブ・フォーティ 第81話 〜イコール〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第80話より続く

 タツエが理沙に言った。
「理沙ちゃんとお母さんの応援は、トレーニングがもっともっと厳しくなって、お父さんがへこたれそうになったときに必要なの。そのときにどんどん応援してね。これからそういう場面が何度も来るはずだから」
 タツエは言葉の最後を、新田の顔に向けて言った。新田は上半身を後ろに少しばかり引いて、おびえる顔をつくった。
「そう脅かさないでくださいよ」
 タツエと新田は顔を見合わせて笑った。

 晴美は、その笑いに加われなかった。笑う余裕がなかったのだ。晴美は、タツエがいま言った嘘を、自分なりに整理することで忙しかった。
 いまのタツエの説明はいちばん大切な部分を隠している、と晴美は思った。ただ、その部分は新田本人や理沙に聞かせる必要はないとタツエが判断したからこそ言わなかったのだろう、とも思った。
 晴美は、ある日の電話での会話を思い出していた。タツエはこう言っていた。
「晴美さん、これは私の考えなんだけど……、男の人って、自分が家庭をもったときから、妻や子供から何らかの形で応援されて、仕事とかを頑張ってきたんだと思うの。これはとても大切なことだけど、それが長い間続いているうちに、男の人は自分のやっていることを、心のどこかで常に“家族のため”と思うようになっている気がするの。これも決して悪いことだとは思わない。でも、たとえば、いまご主人がやっているトレーニングは、誰のためかしら?」
「自分の……ため……?」

「だと私は思う。新田さんは、新田さん自身のために走っている。この気持ちを、新田さん本人も、いまのうちにしっかりと噛みしめておいてほしいと思うの。自分のために走る、自分のために鍛える、自分自身のために頑張っているんだってことを。ところが、そんなときに妻や子供から応援されたりすると、知らぬまに“よーし、家族のためにも頑張って走るぞ”って思ってしまうものなのね。これって一家の主(あるじ)の習性かしら。
“どうして家族のために頑張って走るのかしら?”って、私は不思議に思ってしまうの。プロのスポーツ選手なら話は別よ。それで家族を養っているんだから。でも、アマチュアは違う。あくまでも自分自身の楽しみでやっているんだから。スポーツする瞬間は何のしがらみもない、純粋に自分だけの時間だと思うの。アマチュア・スポーツは自己犠牲ではなくて自己実現のためにやるものじゃないかしら。“喜びも苦しみも自分自身のため”――そのことにおいて、プロとは違うアマチュア・スポーツのよさがあるんだと思う。

 新田さんは、いまとても苦しいときだろうけど、孤独の中でそれを味わってほしい気がするの。妻も子も関わらない中で、ひとりで堪え、ひとりで考え、ひとりで喜びを発見してほしいの。もしかすると、そういう心境に新田さんが至らない場合もあるかもしれない。けれど、少なくともこの1〜2カ月の間は、新田さんにそれを味わうチャンスをあげたいと思うの。誰のためでもなく自分のために頑張っているんだという実感。もしかすると、そういうのを“自立”って呼ぶんじゃないかしら?」
 硬い声で話していたタツエが、急にくだけた調子に転げはじめる。噂話に花を咲かす口さがない主婦といった感じになった。
 「だってさあ、晴美さん。日本の男って、どいつもこいつも自立できてないヤツばかりじゃないの。“仕事のため”とか“会社のため”となると勇ましい男が、自分のために何をしたらいいのかわからないんだから、困ったものよねえ。

“家族のため”ってのも、どうもうさんくさいよ。私は飲み屋をやっているからその手の話をよく聞くけど、男の人が“家族のため”って言うときは、必ず自分と家族を別にして考えているときなんだから。“俺は本当はイヤだけど、家族がそうしたいって言うから、家族のためにそうする”って感じ。例の自己犠牲ってやつかしら。私は商売だから黙って聞いているけど、本当は殴ってやりたいね。家族イコール自分じゃないのよねえ。
“会社のため”とか“家族のため”ってのはいちばんずるいよ。心の底の底では自分には責任がないと思っているんだから。心のどこかで誰かのせいにしているんだから。だから、“会社のため”“仕事のため”に頑張ったあげく、その“一生懸命の残骸”を平気で家の中に持ちこむんじゃないかしら? “残骸”なんて誰も望んでいないのに。そうでしょ?」
「ええ、まあ……」
 晴美は返事に窮した。クイズの答えのように「はい、正解です」と割り切って言えることではなかった。胸が痛かった。

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この記事へのコメント
“一生懸命の残骸”

!!!
なにか、グッときました。
Posted by hi-yo(ハイヨ) at 2005年08月23日 10:41
●●●hi-yo(ハイヨ)さんへ●●●
>“一生懸命の残骸”
かつて僕自身がそうだったのです。
Posted by オヤジライター at 2005年08月23日 20:26