2005年08月25日

ラブ・フォーティ 第83話 〜ノック〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第82話より続く

 翌日の月曜日、勤めの帰りに、新田はさっそくタツエの言いつけに従った。
“鳥丸”はすぐに見つかった。新田の家からふたつ隣の駅を降りた、駅前の大きなビルの中にあった。
 ビルの地下には飲食店が行儀よく並んでいて、そのいちばん奥に隠れるように鳥丸は丸い看板を立てていた。直径1メートルほどの樹を輪切りにした板面に、たっぷりとした筆文字で「鳥丸」と横書きされている。その2文字の下に「ちょっと高級焼き鳥バー」と小筆で書き添えられている。“ちょっと高級”という文句に新田はわずかに首をかしげた。

 ほかの店はすでに仕事帰りのサラリーマンなどで賑わいはじめていたが、鳥丸だけは外観からはまったく見当がつかなかった。オーク材の壁面にオーク材の扉をはめこんだ店構えには、中を覗く窓はなかった。店の前に立つだけでシンとした雰囲気が漂っていて、気軽に入れる店とは言いがたかった。「ちょっと高級バー」の“ちょっと”が、逆に“かなり”高級な感じを醸し出していて、財布と相談しながら飲んでいる普通のサラリーマンにとっては近寄りがたいものを感じさせる。
 銀座にあっても見劣りしない構えだけに、この辺ではちょっと場違いだな、と新田は思いながら歩み寄った。オーク材の、いかにも重そうな扉は、押しても引いてもびくともしなかった。

 新田は遠慮がちにノックした。
 反応がなかった。
 もう少し強くノックした。
 ややあって扉がわずかに開いた。隙間から柔和な目が新田を見た。
「新田と申しますが」
「ああ、お待ちしていました。新田さん、どうぞ中へ。ウェルカム、ウェルカム」
 扉が内側に吸いこまれるように静かに開いた。店主とおぼしきその男は、扉の後ろに半分隠れるような形になった。小腰をかがめ、うやうやしく手招きをした。新田は片頬にかすかに苦笑を浮かべながら足を踏み入れた。
「いい店ですね」
 照明がほどよく調節された店内を見回し、新田は言った。世辞ではなく、本当にそう思った。

 男ははにかむように顔を赤らめ、目もとに深い笑みを刻んだ。
「そう言ってくださるのがいちばん嬉しいです。ありがとうございます」
 10人ほどが座れる白木のカウンターがL字型に構えている。店の奥手に向かって長く伸びたカウンターの端に、きれいに磨かれたガラスケースが据えられていて、その中に串ものが並んでいる。カウンターの背後にボトル棚があり、上品な照明に照らされてボトルが色とりどりにきらめいている。
 四方の壁の模様は、何種類かの大理石を組みあわせてデザインされており、モダンでなおかつクラシカルな雰囲気をかもしだしている。大小さまざまな正方形と長方形がパズルのようにはめ込めれていて、その模様をひとつひとつ目で追っていくだけで楽しい時間が過ごせそうだ、と新田は思った。
「みごとな壁ですね。大理石ですか?」

 男の目がキラリと光った。一歩壁に近づき、指先で軽やかに指し示した。
「この白っぽい部分がイタリア産のビアンコカラーラ、この黒いのがスペイン産のネグロマルキーナ、それからこの薔薇色がかっているのがポルトガル産のローザアウローラ、これはパキスタン産のオニックスで、いずれも大理石の名品です。何とも言えない味わいがありますでしょ?」
 わが子を自慢するように男は目を細めた。
 新田はうなずいてはいたが、落ち着かない気持ちでいた。
 男は構わず喋った。
「ひとつひとつ現地の石屋に掛け合いましてね。なるべく良質なものを取り寄せたんです。私、とんでもなく凝り性なんですよ。困ったものです」

 言葉とは裏腹に、男は顔に朗らかな笑いをたたえた。その顔がはっとする。新田の落ち着かない様子にやっと気がついた。
「ああ、これはたいへん失礼しました。とにかく、ま、お席のほうへ、どうぞ」
 男は扉に内鍵をかけると、背筋をすんなり伸ばし、ちょっと気どった歩き方で店内をよぎりカウンターの向こうへまわりこんだ。
 新田は内鍵のことが気になりながらも、男に促されるままに、ほぼ中央のスツールに腰をおろした。

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