2005年08月27日

ラブ・フォーティ 第85話 〜ファスナー〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第84話より続く

 丸山は1歩横に移動して大きなバッグの前に立った。そして、バッグの隣に置いてある新聞紙を手にとると、1枚1枚広げ、カウンターの上に敷き始めた。大きく4枚を並べて敷くと、カウンターのほぼ半分の長さが新聞紙で隠れる格好となった。新田は唖然として見ていた。
 丸山はふたたび無音の口笛を吹きはじめた。やや背筋を反らしぎみにし、新聞紙の並びを見渡して2〜3度うなずいた。満足げな表情を新田に向け、顔の横に指でOKサインをつくった。

「さてと、新田さんには……」
 言いながら丸山は、帆布製バッグの口を封じているファスナーを慎重に引き開けた。
 手をバッグの中につっ込んだ。
「どれが……」
 大きなバッグの中から出てきたのは1本のラケットだった。
 それを新聞紙の上に置いた。
「いいか……」
 2本……、3本……、4本……。次から次へとラケットが出てくる。
「私が……」
 5本……、6本……、7本……。新田は息をのんだ。
「選んで……」
 8本目。
「さしあげましょう」
 ずらりと並んだラケット。丸山は最後の1本をカウンターのいちばん端に置き、そこから新田を見やった。得意げな表情がほのかに輝いた。

 新田の顔がわずかにゆるんだ。ことの成りゆきがやっとわかってきた。
「なるほど、そういうことですか……」
 思わず新田はつぶやき、鼻から笑いを抜いた。新田の言葉を、丸山は不思議そうに聞き返した。
「と申しますと?」
「いえ、じつは……」
 新田はここまでのいきさつを簡単に説明した。その間、丸山は目と口を丸くして聞いていたが、次第にその丸さが平べったくなり、最後は顔をくしゃくしゃにして笑った。
 新田はきまり悪そうに言った。
「ですから、さっき手を握ったまま離してもらえないときは、正直言って何が起こるのかと……」

 紳士が大笑いするときは大声を出すのではなく、目に涙を浮かべて静かに笑うのが正しい、と思わせるような、丸山のつつましい笑いがしばらく続いた。
「そうでしたか。内鍵は、ほかのお客さんが入ってこないほうがいいと思いまして……。それから、握力を知っておく必要もありますでしょ? ラケット・コントロールは腕力も大切ですが、まずは握力が要(かなめ)になりますから。それによってラケットの重さも考えなければなりませんし……」
 丸山は新田の正面に戻り、それぞれのグラスにビールをついだ。
 安堵を得たためか、新田の飲み方からぎこちなさが消えた。
 丸山は新田の様子に微笑んだ。
「新田さんもおもしろい方ですねえ。ご自分が何のためにここに来たのかわからない、なんて」
「まったくです」
 新田は頭を掻いた。

 丸山が新田のグラスにビールをつぎながら言った。
「タツエさんは相変わらずのやんちゃぶりのようですねえ」
「“やんちゃ”ですか。本人に言ったら怒りますね」
「怒るでしょうね」
 ふたりは、このバーの雰囲気に合った、静かな笑いを交わした。
 それからしばらくの間、新田が、タツエとの出会いからきょうまでのことを語った。
 丸山はひとつひとつていねいにうなずきながら聞いた。

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