2005年08月31日

ラブ・フォーティ 第89話 〜コールマン〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第88話より続く

「ところで、ひとつ、わからないことがあるんですが……」
「何でしょう?」
「丸山さんがご自分の秘密を、この僕に打ち明ける気になったのは、タツエさんの秘密を話したのがきっかけとなっている、ということは理解できます。しかし、もうひとつのほうは? つまり……、そもそもタツエさんの秘密を僕に話そうと思ったのは、なぜですか? きょう初めてお会いしたのに、なぜ僕に? タツエさんから紹介された人間だからですか? 会った最初から話すおつもりだったんですか?」

 丸山は両の手の平を新田に向けると、軽く左右に振った。
「いえ、そんなつもりはまったくなかった……、というよりも、じつはつい先ほどまでは、あの新聞記事のことなどすっかり忘れていたんです」丸山の表情が微妙に揺れた。「いや、もしかすると忘れていたのではなくて、誰にも語れぬままに封印していたのかもしれませんね。ところが、きょう新田さんがここに現れた。そしてタツエさんのことを知りたいとおっしゃった。私にはぴんと来ました。“この人なら安心して話せそうだ”と。で、封印を解きました」
「でも、私たちは初対面ですよ」
「タツエさんが電話で言ってました。“近ごろにしては珍しく素直な弟子が入門した”と」
「“素直”? 素直なら、それでよかったんですか?」
 新田はけげんそうに聞いた。

 丸山は自信たっぷりにうなずいて言った。
「こう言っては失礼かもしれませんが、新田さんのお歳で、人の教えを素直に聞ける人というのは意外と少ないものです。そういう方にタツエ・コーチのことを知っていただくことはとても大切だと思いました」
「私は、そんなに素直でしょうか?」
 新田は釈然としない表情をあらわにした。
 コールマン髭の下で、丸山のふくよかな唇がほころんだ。
「タツエさんに命じられるままに、わけも知らずに私の店にやって来る人というのは、きっと新田さんだけだと思いますよ」
「確かにそうかもしれませんけど……。それは、“素直”というよりは、“馬鹿”と呼んだほうがいいのかもしれませんね」

 新田の自嘲した言い方に、丸山は激しくかぶりを振った。
「新田さん、“馬鹿”をバカにしてはいけませんよ。およそスポーツの世界で秀でた活躍をする人というのは、必ずこの馬鹿の力、つまり馬鹿力というやつを持っているものです。理屈ぬきで驀進(ばくしん)できる力です。私が思うに、新田さんはタツエ・コーチの前でその馬鹿力というやつを発揮しているんですよ。この店へやって来たことにしても……、あるいは、2カ月近くひたすら走りぬいたことにしても……。理屈でできることではありませんよ。タツエさんのことを信頼しているからこそできるのだと思います。きっと……」

「“きっと”?」
「きっとテニスでも大馬鹿になれますよ。馬鹿力を発揮してきっと強くなりますよ」
「そうでしょうか。それならそれで喜ぶべきことなんでしょうが……」
 新田は実感がともなわぬまま、あいまいにうなずいた。

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