2005年09月05日

ラブ・フォーティ 第94話 〜フォアハンド〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第93話より続く

 カーテンを引き開けると、きのうとは打って変わって晴天が広がっていた。九州南端にうずくまっていた台風は、昨夜のうちに朝鮮半島へ北上していた。
 新田は寝室を抜けリビングへ行った。ベランダで風に吹かれている照る照る坊主を見て、作者の理沙に感謝した。
 いよいよラケットを振る日が来た。
 2カ月間ひたすら走り続け、そしてやっとこの日にたどり着いたのだ。

 午前8時、“お化け工場”へ行った。
 タツエはすでに来ていた。貯水槽の一遇にできた日陰の中で煙草をくゆらせていた。
 新田が鉄梯子をきしませながら降りていくと、下から声が飛んだ。
「レッスン・ツーね」
 新田は梯子の途中で止まり、顔を下に向けた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
 タツエはそう言いながら歩み寄り、梯子から降りたった新田に手を差しのべた。
 握手を交わした。その瞬間、新田の手の中で、新聞記事の天才少女と、いまのタツエが重なった。

「さてと、まずはラケットを見せていただこうかしら。2本なんて、丸山さん、相変わらず気前がいいわね」
 新田が手渡す。
 2本のラケットをしばらく見比べていたタツエが、1本を前に出した。
「とりあえず、これでやってみましょう」
 それは丸山が選んだほうのラケットだった。新田がいきさつを話すと、タツエは笑った。
「丸山さんもだてに“ラケットの神様”をやっていないわね。初心者はこちらのほうが使いやすいはずよ。しばらくこれを使ってみて、慣れてきたら、もう1本を試してみましょう」

 9月半ばの日ざしは粘っこく、その下でおこなうストレッチはとめどない発汗をともなった。伸ばす。反らす。ねじる。新田はタツエに従う。どの動きからもタツエの体のしなやかさと強靱さが伝わってくる。いかなるポージングにおいてもタツエの体は絶対的な安定感を保っている。新田は驚嘆した。それに比べると、自分の体のまだまだひ弱で愚鈍なことか、新田は恥じた。
 ストレッチが終わると、それぞれラケットを握った。
 タツエが微笑んだ。
「やっと、ここまで来たわね」
 新田は黙ってうなずいた。

 タツエは自分の手もとに視線を落とし、それからふたたび新田を見た。
「まずはフォアハンドストローク。いちばん基本の打ち方ね。私の教え方は、最初の3カ月間は、この打ち方しかやらせません。バックハンドストロークは、そのあとで教えます。それまではバックハンドは禁じます。
 普通の教え方は、フォアハンドとバックハンドをほとんど同時に教えてしまうのね。つまり、右利きの新田さんの場合なら、右側に来たボールはフォアハンドで打つ、左側に来たボールはバックハンドで打ちなさいと教えるわけ。でもタツエスクールはちょっと違う。ボールがどこへ来てもフォアハンドで打つ」
「じゃあ、左側に来たボールは?」

「走って自分の右側にする。つまり相手が打った瞬間、ボールの飛行方向を読んで、そのボールを、体の右側で打てるように素早くまわりこむわけ。そしてフォアハンドで打つ。まあ、普通のテニスの3倍くらいは走ることになるから覚悟してね。走って走って走りまくってテニスをする。いいわね?」
 新田は唾を飲みくだしながらうなずいた。タツエが新田の目を覗き込んで微笑んだ。
「平気。そのために2カ月間走ってきたんだから」

 タツエはいくつかのポイントを説明してから、手本となってゆっくりスウィングした。それにならって新田が素振りを始める。5回、10回、15回……。途中、何度も素振りを止め、タツエがフォームを修正する。新田のたどたどしい動きが次第に滑らかになっていく。20回、30回、40回……。ぎこちない握りの感触が練れてくる。練れるにしたがって手の平の圧着感に痺れがまざってきた。痺れはやがて痛みとなってくるが、ある時点から気にならなくなる。50回……。前方からの飛球をイメージし、打点を意識しながらスウィングをする。

 フォームが崩れるたびにタツエが怒鳴る。70回……。新田は目をつぶらされる。暗闇の中で自分の動きに集中した。ボールを打った瞬間の手応えをイメージしてみるように言われる。タツエは新田の周りを絶えずまわりながら、あらゆる角度からスウィングをチェックする。100回……。目をつぶると平衡感覚がにぶり、フォームの崩れが早い。崩れると、目を開けて細かく修正する。タツエのOKが出ると、また目を閉じて素振りを再開する。140回……。汗でグリップがゆるむ。新田の頭が朦朧としてきた。

続き(第95話)を読む


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