2005年09月08日
ラブ・フォーティ 第97話 〜タップダンサー〜
(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )
第96話より続く
ラリーが再開する。
ボールの軌道が安定してきた。新田の動きが、ボールの動きになじんできたのだ。
タツエは意識的に球威に緩急をつけはじめる。新田のフォームは相変わらずぎこちないが、ボールだけはしっかり打ち返してくるようになった。
さらにタツエは、ボールの軌道をわずかに左右させて、新田のフットワークを観察した。
バックハンドストロークを禁じられ、フォアハンドだけで打たなければならない新田にとって、左右への移動は、それがわずかな距離でも見かけ以上に過酷だった。打球姿勢から待球姿勢へ、待球姿勢から打球姿勢へ、右へ左へ、通常の3倍は目まぐるしくフットワークしなければならない。まるでタップダンサーのような俊敏さが求められる。しかも同時にラケットを素早く操らなければならない。
新田の息づかいがガクンと乱れる。疲れがいっきに足を襲った。ボールの変化に対応しきれなくなり始め、足がもつれる。体が遅れた。ラケットが間に合わない。左右のボールに新田はとことん振りまわされる。
タツエはボールをさらに左右に散らして打つ。新田の打ち損じが頻繁になる。疲れといらだちが絡みあい累積する。ボールの後逸が5回ほど連続した。新田の集中力がブツッと切れた。気持ちが立て直せない。タツエは休憩をとろうとしない。新田は歩いてボールを拾いに行こうとする。
タツエの声が飛んだ。
「ボール拾いは駆け足で!」
その尖った声に背中をつつかれ、新田はユラユラと走り始めた。走ると足の筋肉がつっぱった。新田は何度も舌打ちをした。気持ちに歯止めがきかなかった。ボールは背後の壁面で跳ね返り、あらぬ方向に転がっていく。
新田はボールを追いながら言葉を吐いた。
「この……、へたくそ!」
周囲高さ4メートルのコンクリート壁の中で、新田のいきりたった声がワワンと響いた。新田のいらだちがタツエのところまでビリビリと伝わってくる。タツエはなおもじっと新田を観察する。
タツエが打ち方を変えた。今度は、新田の体の中心軸めがけてボールを打ち始めた。新田はそのボールから体を逃がしながらラケットを振らなければならない。初心者の新田が感じている以上にさばきが難しいボール。その意地の悪いボールが、新田をジワジワと苦しめた。
自分にまっすぐ向かってくるボールは、まるで自分自身を狙っているかのような圧迫感をもたらす。新田が右に動けばボールも右に飛んでくる、左に逃げればボールも左に追ってくる。しつこく、しつこく、タツエは狙って打ってくる。山なりの低速球だが、新田に与える圧迫感はやがて強迫観念に化けはじめる。ボールに襲われる自分。新田はフットワークをつかって身をかわしながら必死にボールを打ち返すが、頭の中で得体の知れない恐怖感が膨れ上がっていく。
何十球目かのボールが飛んできた。と、そのとき新田の足が完全に止まった。体が硬直した。ラケットが振れない。バウンドしたボールが新田の腹部に当たり、そのまま足もとに落下した。どうすることもできなかった。全神経が停止した。新田は自失した。ガクンと見おろす視界の中を、黄色いボールが転げていった。感情が何も湧いてこなかった。
遠くのほうでタツエの声がした。
「ロープダウン」
はっとして新田は顔を上げ、うつろなまま聞き返した。
「ロープ……?」
「ロープダウン。ロープに追いつめられたボクサーが、さんざパンチを食らって、つっ立ったまま戦意喪失する、あれ」
「ロープダウン……」
新田の口から言葉がこぼれた。言葉が自分の状態をわからせてくれた。次第に知覚が動き始めた。右手にラケットが握られていることを思い出した。異常な握力。ラケットを絶対に離すまいとしている。少しだけ力をやわらげてみる。完全に一体化していたグリップと手の平が2つの物として知覚できた。とたんに手の平に数カ所の水ぶくれができていていることが感じとれた。見なくてもわかった。手の皮とその下の肉が剥離し、その間に水が溜まり、痛みが妙なかゆみをともなってうずいている。
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Posted by love40 at 07:50
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