2005年09月09日

ラブ・フォーティ 第98話 〜ボクサー〜

(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第97話より続く

「どうする? やめる?」
 タツエが遠くから聞いた。新田はそれには答えず自分の手の握りに視線を向けていた。ようやく手の平を広げてみる気になった。ラケットのグリップから、指を1本1本引きはがした。
 負傷した手の平をじっと見つめた。無惨だった。ボコボコに殴られたボクサーの顔のように見えた。無意識のうちに笑いがこみ上げてきた。新田はその笑いを鼻から抜いた。
 なぜか手の痛みがフワリと軽くなった。
 疲れをズッシリ溜め込んでいた体が不意に軽くなった。
 新田は顔を上げた。

 タツエが腰に手を当ててこちらを見ている。
「どうします? 終わりにしますか?」
 タツエのわざとていねいな言葉づかいが、新田に静かな圧力をかける。新田は黙って数歩前へ出た。しゃがんだ。ボールを拾い、立ち上がった。
 くるりとタツエに背を向け、自分の位置に戻り、ふたたびタツエに向かった。
 新田はラケットを固く握りしめ、ボールを打つ構えに入った。顔から表情がきれいに消えていた。
 タツエは新田の無表情にドキッとした。スポーツという戦いに没頭する者がときおり見せる“最高の無表情”に、まさかここで出会うとは思っていなかった。
 力強い無表情。
 無言のまま新田はタツエに向かってボールを打ち出した。タツエも無言で了解し、そのボールを打ち返した。

 新田の体から力みが抜け、そのぶんラケットの振りがなめらかになった。先ほどたっぷりとやらされた素振りの感じが、体の隅々に鮮明によみがえってきた。新田の集中力が増した。
 新田は無心で打つ。
 1打ごとにフォームが進化している。
 タツエは驚いた。レッスン第1日目で、40の男がこれほどまでにスウィングになじむとは思っていなかった。打球感もいい。初心者としては上出来だった。
 タツエは、ダウン寸前から自力で起きあがってきた新田に、ご褒美をあげることにする。タツエからの打球を、新田の右斜め前に集めるようにした。つまり新田のフォアハンドストロークに対し絶好球を送ることになる。新田はポジション移動に煩わされることなくストロークに集中できる。見違えるように打点が安定した。ガット面のほぼ中央、スウィートスポットでしっかりボールをとらえている。ナイス・ショットだ。
 それをタツエが好返球する。
 さらに新田がそれを好返球する。

 ラリーは音楽を奏でるように続いた。
 先ほどまで打点を左右に揺さぶられたり、体の中心軸を徹底的に狙われたりしてきた新田にとって、いまは天国でラリーをしているような気分だった。新田のショットが冴えてきた。打つことへの自信と快感が、技術を急激に飛躍させている。それがタツエにもよくわかった。
 ラリーは好調に続いた。
 が、突然タツエが叫んだ。
「終了!」
 タツエは飛んできたボールを素早くラケットで抑止した。
 ラリーの応酬がいきなり切れた。
 貯水槽の底の動きがいっさい止まった。
 新田の口がポカンと開いている。それは拍子抜けした表情であり、まだ打ちたいという不満の表情でもあった。

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この記事へのコメント
テニスは今までウインブルドンのときくらいしかTVで見なかったのですが、今年はシャラポア見たさに「全米オープンテニス」を観戦しています。
「ラブ・フォーティ」を読んでからテニスの試合を見ると、不思議なもので、テニス未経験の私が、選手と一緒にラケットを振っている気になってきて、やたら力が入ってしまいます(笑)。
見たいのはシャラポアですが(笑)応援しているのはアガシです。
オヤジがんばれ!!
Posted by セガワ at 2005年09月09日 11:17
●●●セガワさんへ●●●
>「ラブ・フォーティ」を読んでからテニスの試合を見ると、不思議なもので、
>テニス未経験の私が、選手と一緒にラケットを振っている気になってきて、
>やたら力が入ってしまいます(笑)。
ほお、そうですか!
そう言っていただくと嬉しいですね!
>応援しているのはアガシです。オヤジがんばれ!!
アガシ35歳。最年長出場の彼にはぜひぜひ頑張ってほしいです!
にしても、ジェームズ・ブレイクとの死闘は凄かった!
劣勢をはねのけてのフルセット、しかも5セット目はタイブレイクを制したアガシ! あなたは、本当に奇跡を起こす男ですね! がんばれ! オヤジ・プレイヤー! 
って、ここで興奮してしまって、すみませんです。
Posted by オヤジライター at 2005年09月09日 14:26