2005年09月24日
ラブ・フォーティ 第113話 〜ユーモラス〜
(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )
第112話より続く
新田にとって久しぶりの酒だった。ここ数ヶ月間飲んでいなかった。禁酒しているわけではないのに、テニスにかまけているうちに酒から遠ざかっていた。そのことに改めて気がついて、新田はなんだかおかしかった。朝夕、黄色いボールと必死で格闘して、夜はくたくたになって眠りこける毎日。まるで子供のような生活をしている。そうか、子供に酒がいらないのは、そういう生活を毎日しているからなのかと、とりとめもなく思う。とりとめのないままに、ふと別のことが頭をよぎった。ひょっとすると最後に酒を飲んだのは、あの「鳥丸」で丸山さんと飲んだときではないだろうか。そうだとすると、もう3カ月も前のことになる。丸山さんは、いまごろどうしているだろうか。家業をちゃんと手伝っているだろうか……、と懐かしさに浸る新田の頭の中で、“仕事”という言葉が、さらに別のことを思い出させた。“仕事”と言えば、会社の忘年会はいまごろどうなっているだろうか。そろそろお開きの時間だろう。今年も自分が司会を務めていたら、“宴会部長”としてさらし者になっていることだろう。あんなことを仕事だと思っていた自分が、いまさらながら愚かしく思えてくる……。
「新田さん」
チンネンが新田の顔を覗きこんだ。
新田ははっとして顔を上げた。
「あっ、ああ、酔ったのかな。ちょっと、ぼうっとしてしまいました」
「そうですか。何か考えごとでもしているのかと……」
「いえ。ま、飲みましょう」
新田はやんわり笑みを浮かべると、チンネンのグラスにビールを向けた。チンネンは両手でグラスをささげ持ち、檀家づきあいで鍛えた如才ない笑顔で酌を受けた。
新田は、同じテニサー仲間のこととして、話題を丸山のことにでも振り向けてみようかとも思ったが、やめることにした。チンネンという男は、一見軽薄そうに振舞うことはあっても、坊主という職業柄がそうさせるのか、口に節度があった。およそ人の噂話というものには乗ってこないのである。人の生き死にに関わる医者や坊主というものは、身辺の人の話を軽率にしないよう訓練されているのかもしれない、と新田は思った。
テニサー仲間なら誰もが興味を持っている話題が、少なくとも3つあった。ひとつは、説明らしきものがないままに店を閉じて帰郷してしまった丸山のこと。もうひとつは、何年も弟子をとらなかったタツエが、新田にテニスを教え始めたこと。そしてもうひとつは、テニサーたちにとって最大の謎である、タツエの過去だった。若いときにプロテニス・プレイヤーになっていてもおかしくなかったであろう腕を持ちながら、まったくその世界に関わることなく、ここエリーゼの主(あるじ)におさまっているタツエは、自分の過去をけっして語らないだけに、テニサーたちにとっては神秘的な存在でさえあった。
チンネンは、タツエのことを「御仏(みほとけ)がつかわしたテニス観音」とユーモラスにたとえ、さらに「テニス観音をみだりに詮索すると、コートの上でバチが当たりますぞ」と冗談めかすことで、それとなく噂好きの連中を戒めているようでもあった。
そんな、チンネンらしい紳士的なところが、新田は好きだった。現に、こうやってボックスの片隅でふたり差し向かいで飲んでいても、チンネンは、新田の弟子入りのいきさつを根掘り葉掘り聞くようなことはしなかった。そういうこともあってか、新田は心地よく酔い、気楽なひとときを楽しんでいた。
ボックスの半分に相席していた客ふたりが、ほろ酔いになって帰っていった。彼らが店から出ると、チンネンは気をきかせ、ただちに彼らのグラスやつまみ皿などを後片づけするのだった。タツエがカウンターの中から「ありがとうね」と声をかけると、それに対してチンネンはちょっとおどけた感じで合掌をし、みんなを笑わせた。
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Posted by love40 at 07:51
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