2005年10月08日
ラブ・フォーティ 第127話 〜フリー〜
(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )
第126話より続く
タツエは肩をほぐすように首をまわしはじめた。数回まわして、顔が真上に向いたところで動きを止めた。まるで天にお伺いをたてているようだった。そのままの恰好で新田に聞いた。
「理由は? 理由はあるの?」
「ぼんやりとですが、あります。それは……」
「待って!」
険しい声が飛び、タツエの嫌悪に満ちた表情が新田をとらえた。
新田は息をのんだ。
タツエが体の正面を新田のほうへ向けた。
「新田さんにどんな理由があるか知らないけど……、私は聞きたくない。私の人生につながっているテニスの悪口なんかいっさい聞きたくない。ダブルスも、シングルスも、テニス。どちらも私の人生の一部なの」
「しかし……」
「うるさい!」
新田が見たことのないタツエの形相だった。レッスンで見せる厳しい顔つきとはまったく違うものだった。いままでタツエがけっして見せることのなかったあらわな憎悪だった。
「私が教えた中で、新田さんがいちばん頑張った。その新田さんに、こんな形で裏切られるとは思ってもみなかった」
「そんなつもりじゃ……」
「レッスン・スリーは終了。きょうから新田さんはフリー」
「“フリー”?」
タツエはバッグをひっつかむと立ち上がった。新田を見下ろした。怒りをつき抜け、冷え冷えとした声になっていた。
「わりやすく言えば“破門”です。もう教えません。コートで会ったら挨拶はしますけど、もう一緒にプレーはしません。店にも来ないでちょうだい」
小走りにタツエは去った。
新田はしばらく動けなかった。
クラブハウスに数人入ってきた。知らない人間だった。新田はホッとした。いまは誰とも口をきく気になれない。とにかく、ここから早く逃げ出したかった。
テニスクラブを出た。
終わった、と新田は思った。これまで何カ月間も積み上げてきた何もかもがふっ飛んでしまった。ひたすら走ったことも、毎日の壁打ちも、コート巡りも、そして晴美の自転車こぎも……。すべて無駄にしてしまった、と思った。
新田はテニスバッグを肩にめりこませ、とぼとぼと歩いていた。
しばらく歩いてから気がついた。自転車でテニスクラブに行ったのに、それを忘れて歩いていた。舌打ちをした。いまさらひき返したくなかった。このまま歩くことにした。
どこをどう歩いたのか、いつのまにか新田は駅前に出ていた。日はすっかり暮れ、日曜日の夕方の家族連れが、駅から家路に流れ出している。その流れにまざって新田はしばらく歩いていたが、賑やかな商店街から逃げるように裏道に入った。
細い道は暗く静まりかえっていた。人通りもなかった。
商店街の喧噪が新田の体から剥がれ落ちると、体の中のひそやかな声が聞こえた。新田はそれを薄闇に向かってボソッと発してみた。
「もっと……うまくなりたかったよ」
新田の視線はうなだれていた。
建物と建物の間にあるゴミ置場から、男が音もなく現れた。浮浪者だった。老人といってもいいその男の目は、汚れと疲れでつぶれかかっていた。が、確かにその目は新田を見ていた。
「おい」
だみ声が新田を呼びとめた。不意を突かれた新田は、ギクッとして足を止め、思わず「え?」と応えてしまった。
すると、浮浪者のほうが驚いた。自分が声をかけて返事されたことなど、この数年なかったことだ。
「あ……、いや……、い、いま、何か言わなかったか?」
新田はさして考えもせずに体を浮浪者に向けた。とたんに浮浪者は後ずさりした。ふたりの間はゆうに2メートルは離れているというのに、その浮浪者は、いまにも新田に殴られるかのようにおびえ、右腕で自分の顔をガードした。
新田は一歩下がって言った。
「何もしないよ。あんたが呼んだから、立ちどまっただけだ」
「な、殴ったりしないか?」
「しないよ。なんであんたにそんなことをしなきゃならないんだよ」
「汚いからな、俺は」
「汚いと、殴られるのか?」
「そういうことが何度もあった」
「じゃあ、きれいにすればいいじゃないか」
面倒くさそうに新田は言った。
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Posted by love40 at 06:10
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