2005年10月09日

ラブ・フォーティ 第128話 〜タイミング〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第127話より続く

 浮浪者は、新田の様子をうかがいながら、顔の前にある腕をゆっくり下ろし、それとともに警戒心を解いていった。すると、すすけた顔がだらしなく安堵しはじめ、安堵しきると、とたんに顔の奥からふてくされた表情が現れた。
「俺はこれでいい」
「そうか、じゃあ仕方ないな。人それぞれの自由ってやつだ」
「そういうことだ。わかってるじゃねえか、若いの」
「若い? 僕はもう40だよ」
「若いじゃねえか」
「そうかい? あんたと比べれば、だろ?」

 浮浪者は、小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「俺はいくつに見える?」
「60くらいか?」
 浮浪者がうつむき加減にゼイゼイと笑った。気管支でも悪いのだろう。気味の悪い笑い方だった。上目づかいに新田を見た。建物と建物の間の薄暗い中から、かすかに目が光った。
「そりゃ、ひでえな。でも、仕方ねえか。俺は……、たぶん今年で44だよ」
「あんたが?」
「そうだよ」
「本当か?」
「ああ」
「そうか……」
「そうだよ。歳なんてのは何も当てにならねえんだよ。わかったか、若いの」

 ちょっと間があいた。
 新田が口を開いた。
「帰るよ」
「そうかい。あ……」
「何だい?」
「なんで俺なんかと話す気になったんだ?」
 新田はしばらく考えた。浮浪者は身動きひとつせず新田の言葉を待った。
 新田が言った。
「何かのタイミングなんだろうな。それが、いいタイミングだったり、悪いタイミングだったり……。そうじゃないか?」
「わかんねえよ」
「そうか。じゃあ……」
 新田は歩き始めた。浮浪者は小柄な体を精いっぱいかがめ、ふたたびゴミをあさりはじめた。

 新田がしばらく歩いたところで、後ろから浮浪者のだみ声が追いかけてきた。
「おーい」
 新田は立ちどまり振りかえった。
「何だい?」
「あんた、さっき何か言ってたな」
 浮浪者の問いに、新田は首をひねった。とっさに思い出せなかった。
「そうだっけ?」
「ああ、何か、歩きながら言ってた」
 思い出した。
「ああ、そうだった」
「何て言ってたんだ?」
 浮浪者の相手などする必要はなかった。だが、いまの自分には格好の相手なのかもしれない、と新田は思った。この男と喋っているとなぜか気が楽になるのだ。

 新田は答えた。
「“うまくなりたかった”って言ったんだ」
「“うまくなりたい”?」
「ああ」
「何をうまくなりたいんだよ?」
 新田は言うのをためらった。
 浮浪者がだみ声でせっついた。
「何だよ? 言えよ」
「……テニスだよ」
「テニス?」
「ああ」
「テニスをうまく……か?」
「そうだよ」
「なるほどな」浮浪者はさも感心したようにうなずいてから、妙に力んだ声で言った。
「じゃあ練習しろよ」

 新田は鼻の奥でクッと笑った。
「そういうことだ」
「そういうことだろ?」
 浮浪者が背を丸めてゼイゼイ笑った。
 新田がうなずいた。
「まったく、そのとおりだ」
「頑張んな」
「ああ」
「頑張んな」
「わかったよ」

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