2005年10月12日

ラブ・フォーティ 第131話 〜ビール〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第130話より続く

 タツエは、カウンターの中の丸椅子から立ちあがると、相手のグラスと自分のグラスにビールをつぎたした。それから自分のグラスを口もとに運び、相手を見つめたままひといきにビールを飲み干した。そのグラスに、今度は相手がビールをついだ。タツエは「なんか変な感じね」と言いながら微笑んだ。丸椅子にふたたび腰かけると、灰皿の上の吸いかけの煙草をつまみ上げ深々と飲んだ。
 吐きだす煙に言葉がまざった。
「言い分はわかりました。それに対する私の感想はいまは控えたいわ。私が親しんできたテニスとは違うもののように感じるの。正直言ってピンと来ない」
「かもしれませんね。でも、テニスの悪口を言っているのではないと思います。あの人なりのテニスの愛し方なんだと思います」
「晴美さんがそう言うのだから、たぶんそうなんでしょう。で、先ほど言っていた“お願い”というのは、ご主人の破門を解いてくれってこと?」

 晴美はかぶりを振った。
 それを見て、タツエは意外そうな顔をした。
 晴美は涼やかに微笑んで言った。
「いえ、違います。破門をどうするかは、主人が直接タツエさんと掛け合うことだと思います。私がきょうここへ来たのは、別のお願いのためです」
「何かしら?」
「主人にコーチを紹介してほしいんです」
「“コーチ”?」
「はい。主人がさらに強くなるためにはコーチが必要です。タツエさんに教えていただけないのなら、ほかにコーチを見つけるしかありません。ずうずうしいお願いかもしれませんけど、コーチを紹介してほしいんです」

 ちょっと間があいて、タツエの口から雪崩(なだれ)のような笑いが起こった。
 笑い声がやむと、店内はふたたび静まりかえった。
 しゃがれ声が空気を揺らした。
「ごめんなさい。笑っちゃ失礼よね。考えてみもしなかったことだから、びっくりしちゃったの」
「変なお願いだということはわかっています」
「奇襲攻撃ね」
 ふたりは笑った。
 空気がやわらいだ。

 タツエが聞いた。
「ねえ、晴美さん。あなたもときどきコートに見に来ていたんだから、私のテニス仲間はだいたい知ってるわよね」
「ええ」
「ほとんどが上級者と呼ばれる人たちだから、彼らのうちの誰かに直接頼んだらどうかしら?」
「ええ、でも……」晴美は言いずらそうだった。「生意気なことを言うようですけど、タツエさんより強い人は、あの中にはいません。せっかく新しいコーチを見つけるのなら、タツエさんより強い人がいいと思っています」
 タツエは目を丸くして、しばらく晴美の顔を見つめていた。そのうち、ふつふつとわいてきた笑いに肩を揺らした。
 晴美は黙って見ていた。

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