2005年10月15日

ラブ・フォーティ 第134話 〜ヤマトナデシコ〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第133話より続く

 タツエは「こんなこと人に話すの初めてなんだけどね」ときまり悪そうにつぶやきながら、カウンターの中の丸椅子に腰かけた。晴美と同じ目の高さになって、そして話し始めた。
「私がテニスを始めたのは小学1年生のときだったの。小学校に入学すると同時に、勉強の一部のようにテニスも習うハメになったわけ。親の命令ね。最初はコートに立つのがイヤでイヤで仕方なくて、クラブハウスでよく泣いていた。ところが、本人の不平不満とは裏腹に、才能が多少なりともあったのか、あっというまに腕を上げていったの。周りの大人たちは驚いていたけど、子供の私には、とりたてて騒ぐようなことには思えなかった。

 私が生まれたのは終戦の前の年だけど、家はかなりの財をなしていたようね。名古屋で紡績関係の会社をいくつか持っていて、幸いにも戦災を逃れることができたので、戦中から終戦直後にかけての窮乏の時代も、人並み以上の暮らしをすることができた。昭和20年代に、子供にテニスを習わせ、しかも帝大出の秀才を家庭教師に雇っていたくらいだから、相当なものだったと思う。

 両親、とくに父は変わった人だった。父は、私がおとなしくどこかに嫁いで、良き妻良き母として家の片隅でひっそり人生を送るようなことを、少しも望んでいなかったみたい。たぶん父は、戦争でゆがんでしまった日本の価値観の中で、それまでの常識というものにひどく不信感を抱いていたのだと思う。だから、娘である私を、それまでの女性像とはまったく違うタイプに育て上げようとしたの。つまり、それまで美徳とされてきた、しおらしいヤマトナデシコとは正反対の、活動的で、自立した女に成長させたかった。そのためには、学問とスポーツで心身ともに鍛えることが大切だ、と父は考えたようね。

 テニスは、父が若いころから熱中したスポーツで、父自身が相当な腕前だった。明治生まれとしては、なかなかハイカラな趣味よね。父は、私のテニスの才能を高く買っていたようだけど、時代が時代だっただけに、自分の娘をテニスの選手にしようなどとは思っていなかった。あくまでも“学問ができて、なおかつスポーツもできる、新時代の女性”になることを願っていたみたい。

 とはいうものの、コートでの父はとりわけ厳しかった。家にいるときの父とは、まるで別人だった。しょっちゅう“コートの上では親子ではない”なんて言われて、そのたびに私は、自分が孤児か捨子にでもなったような、寂しいような、腹立たしいような気持ちになっていた。だから当時の私は、テニスに対してひどく欝屈したものを抱えていたんじゃないのかしら。

 そういうこともあってか、中学生になると伸び悩むようになったのね。ま、年齢的に反抗期を迎えて、父やコーチの指図に素直に従えなくなったということもある。そのほかにも……、私は私立の女子校に進学したんだけど、学校のテニス部が軟式だったということがとてもショックだったわね。私だけは相変わらず、子供のときから所属しているテニスクラブにひとり通いつづけることになって、それがとても寂しかった。同じテニスをやっているというのに、軟庭(なんてい)……軟式テニス部の子たちは校庭でわいわい楽しそうにやっていて、硬式の自分だけはひとりぼっちで、仲間はずれにされているように感じたの。ま、13〜4歳の少女にとっては、いいテニス環境とは言えないわよね」
 タツエは寂しそうに笑い、その表情を隠すように、口もとにグラスを持っていった。
 晴美はゆっくりうなずくことで間(ま)をつないだ。

 タツエの寂しそうな微笑みにフワッとぬくもりがさした。
「私が中学2年のときに“ミッチーブーム”というのがあってね。知ってる? 正田美智子さん――つまりいまの美智子妃殿下――が、軽井沢のテニスコートで皇太子様と出会って、おふたりは恋をして、ご婚約を発表された年だった。“テニスコートの恋”って言われてた。

 私にとって、これは大事件だった。だって、私の知っているテニスコートは、いつも父やコーチの叱咤する声が飛びかっていて、その中、私は汗と涙と土埃にまみれ、ひたすらボールと格闘する場所でしかなかったんだもの。そのテニスコートで素晴らしい恋が生まれたということに、私は、奇跡を目の当たりにするような興奮を覚えた。と同時に、もしかすると自分がやっているテニスはどこか間違っているのかもしれない、と思い始めたの。

 そんなモヤモヤとした気持ちを抱えて、私は中学3年になった。きっと私自身が年ごろになっていたのだと思う。いつのころからか、心のどこかで“テニスコートの恋”というのを待ちこがれるようになっていたのね。
 いま考えると、あのときの私は、恋がしたかったのではなくて、助けてほしかったんじゃないのかしら。たぶん……、“私をこのテニスコートから救って、どこか遠くへ連れていってちょうだい”と願っていたのよね。

 そのころから、私はますます練習に身が入らなくなっていった。コートに立っても、ボールではなくて、何かほかのものを探してキョロキョロしているの。ほら、よく言うじゃないの、“白馬に乗った素敵な王子様”というやつ。あれを探していたのよ」
 タツエは自嘲ぎみに笑い、やがてそのまま物思いにふけるように静まった。

続き(第135話)を読む


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