2005年10月16日

ラブ・フォーティ 第135話 〜アイスティー〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第134話より続く

 晴美はこらえきれずに聞いた。
「で、王子様は、現れたんですか?」
 タツエは、晴美の好奇の視線から逃れるように、天井のシャンデリアに顔を向けると、その角度のままわずかにうなずいた。
「ということになるのかしら……」
 言いながらタツエは視線をゆっくり下ろし、晴美に目を合わせた。その目は途惑いに揺らいでいるように、晴美には見えた。晴美はなぜかとても気になったが、そのときすでにタツエは柔らかな笑みで顔をつくろうと、懐かしむように話し始めていた。

「彼は、私が通うテニスクラブのオーナーの息子だったの。高校3年生で長身、すんなりとした目鼻だちで、七三に分けた髪の毛をわざと乱れた感じにしていて、秀才タイプなんだけど、どこか不良っぽい雰囲気のする人だった。
 彼がテニスクラブに姿を見せることはめったになかった。たまに来ても、テニスをするわけではなくて、ただぼんやりとコートを眺めて、いつのまにか消えてしまうの。人の話では、テニスの腕前はまずまずだということなんだけど、私は一度も彼のプレイを見たことがなかった。ちょっと秘密めいたところが彼にはあって、そんなところに私は引かれたのかもしれない。
 夏休みに入ってまもなくのことだった。あるとき、私がテニスをしていると、クラブハウスの窓越しに彼がじっとこちらを見ていることに気がついたの。私はそのことを意識するあまり、ひどいプレイになってしまってね。とても腹が立って、休憩のさい、彼に文句を言いに行ったの。ふくれっ面をしてね」
 タツエはわざと怒った顔をつくってみせた。

 晴美が相槌を打つように聞いた。
「“じろじろ見ないでちょうだい!”っていう感じですか?」
「そう。ところが彼の目の前まで行くと、急にそれが言えなくなってしまって、まったく違うことを口走ってしまった」
「何て言ったんですか?」
「なぜそんなことを言ったのか、自分でもよくわからないんだけど、いきなり“どうしてテニスをしないんですか?”って彼に聞いていたの」
「そしたら?」

「そしたら、彼が澄ました顔でこう言ったの。“君は、テニスで絶対に負けない方法を知っているかい?”って。私が首をかしげると、彼がにこっとして“テニスをしない。そうすればテニスで負けることはないよ”って」タツエは鼻の奥でくっと笑った。「冷静に考えればまやかしのような言葉なんだけど、あのときの私には衝撃的だった。そう言ってはばかることのない彼の姿が、とても大胆で頼もしく見えたの。たぶん……、長年私にのしかかっていたテニスという大きな岩を、彼はひと言でこともなげに粉砕してしまったように思えたのね。だから……、彼こそ私が探していた人に違いない、と思ったわけ」
「王子様?」
「そう。その王子様が、衝撃でぼうっとしている私に、まるで追い討ちをかけるように“きょう君の練習が終わったら、アイスティーでも飲みに行こうか”って続けざまに言うの」
「“アイスティー?”」

「そう、アイスティー。当時としてはまだ珍しくて、とてもおしゃれで大人びた飲物に感じたわね。私はびっくりしながらも、自分がもう子供ではないということを証明するような気持ちで、彼の誘いにうなずいたのを覚えている。
 練習のあと、私は彼から5メートルくらい離れて、喫茶店までついていった。もちろん私は、男の人と歩くのは初めてだったし、喫茶店に入るのも初めてのことだった。喫茶店というのは不良が集まる場所だと聞かされていたけど、そういうことはなくて、ほっとしたのを覚えてる。ところが、そのあと私は彼とどのような話をしたのかまるっきり覚えていないの。

 というのは、ふたりが向き合って座ったとたん、彼がまじまじと私を見て“君の普段着姿を初めて見るけど、こんなにかわいいとは思わなかった。ますます僕は君のことを好きになってしまった”って言うの。いきなりの告白。女子校で男の子と接する機会もなく、そんなこと言われたことのない私は、息苦しくなるほど胸がドキドキして、そのことだけで時が過ぎていってしまったわけ。
 放心状態だった私が我に返ったのは、喫茶店を出て、彼と別れるときだった。ところが、そこで彼がまたとんでもないことを言いだしたの」
 タツエはため息をひとつついてから、あきれたように思い出し笑いをした。

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