2005年10月17日

ラブ・フォーティ 第136話 〜フミエ〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第135話より続く

 晴美は身を乗りだしていた。
「何て言ったんですか?」
「“僕はもうすぐ別荘に遊びに行くんだけど、君も来ないかい?”って……。あまりに突拍子もないんで、私が言葉を失っていると、彼は何と思ったのか“平気だよ、僕ひとりだから”って言うのよ。それがどういう意味で言っているのかわからないままに、私はなんだか怖くなってしまってね」
「それで?」
「走って逃げようと思ったの。ところが信じられないことに、彼が言った次の言葉で、私の足が動かなくなってしまった」
「“次の言葉”?」
「彼がこう言ったの。“別荘は琵琶湖と軽井沢にあるんだけど、君ならどっちがいい?”って……。“軽井沢”という言葉に、私の気持ちが引っかかってしまった」
「あっ、テニスコートの恋……、軽井沢……?」

「そう。私のテニスとはまったく違う世界が、そこにはきっとあるはずだと夢見ていたら、突然、彼の口からその言葉が飛び出た。私にはもう、とても運命的なものに思えてしまって、気がついたときには彼に向かって“軽井沢”と口走っていた。
 別に彼の出現を待つまでもなく、テニスの好きな父に頼めば、もっと以前に行けたはずの軽井沢なのに、どうしても親と一緒に行く気にはなれなかったのよ。たぶん、中2のころから私の親離れは始まっていたのね。だから、父にも母にも言わず、ずっとひそかに憧れていた軽井沢だった。
 その夢を彼がかなえてくれる、と思った。15歳の私にとって、その日の彼との出会いが、子供と大人の境界線だったのかもしれないわね。

 それからの私は、まるで魔法でもかけられたように、自分でも信じられないような行動に出ていた。
 当時、名古屋から軽井沢へ日帰りすることは無理だったから、1日だけ彼の別荘に泊まって、テニスコートを見て帰ってこようと思ったわけ。もちろん親はそんなことを許してくれるわけはないから、嘘でもつかなければならないところなんだけど、いままで嘘をついたことのない私は、どうしたらいいのかさっぱりわからない。いまどきの娘なら、友だちの家にお泊まり勉強しに行くとか言っておいて、ちゃっかり彼と旅行を楽しむんだろうけど……。あのころ、そういう時代ではなかったし、私自身も、子供のくせに嘘をいさぎよしとしないところがあってね。でも、軽井沢には何としてでも行ってみたい……」

「で、どうしたんですか?」
 晴美は、まるでいま目の前で起こっていることに気をもむように、ひどく心配そうに尋ねた。その表情がおかしくて、タツエは口もとに苦笑をにじませて答えた。
「結局、親には何も言わずに行ってしまったの」
「“何も言わずに”?」
「そう。だから、私にはそのつもりは毛頭なかったんだけど、実際には、家出したってことになるわね」タツエは他人事(ひとごと)のようにさらりと笑った。「私には、そういう無鉄砲で、いちずなところが、子供のときからあったみたい」
「彼は何て言いました?」

「じつは、彼は何も知らなかった。彼は、私がうまく嘘をついて家を出てきていると思い込んでいたの。このことがあとで大事件を引き起こすことになるんだけどね。
 とにかく、この軽井沢行きは、最初こそ彼の思いつきで始まったことなんだけど、途中からは私の執念のようなものが、計画を実行させていったようなところがあるわね。
 結局、数日後には、彼と私は名古屋駅から中央本線の列車に乗っていた。乗客はほとんどが夏休みの家族連れだった。彼と私は、兄妹のように振る舞っていた。いま考えるととても不思議なんだけど、あのとき私のほうは、別荘で彼とふたりきりになるということの意味を、ことさら深く考えていなかったの。彼のほうは意識していたせいか、列車の中でだんだんと無口になっていったのを覚えている。 列車は小淵沢駅で乗りかえて小海線に、そして小海線からさらに信越本線と乗りついで、その夜、軽井沢に着いた。蒸し暑かった名古屋とは打って変わって、とても涼しくて、むしろ肌寒いくらいだったこともあってか、暗がりの中の軽井沢駅は、私が想像していたより、ずっとうら寂しいものに感じたわね。

 駅には、別荘の老管理人が車で出迎えていて、私を見るなりギョッとした表情になった。私たちは打ち合わせどおりに、まず彼が管理人に“ジイ、忘れちゃったのかい? いとこのフミエだよ”と言って、すかさず私が“お久しぶりです”って挨拶したの。すると、老管理人は“ああ、フミエ様かね。しばらく見ない間に、ずいぶん大きくなって”と言って深々と頭を下げたの。それっきり管理人は疑う様子もなく、私たちを別荘へ運んでくれた。道すがら、走る車から私は必死に外を見ていたんだけど、夜の軽井沢はどこまでも闇となった雑木林が続くばかりで、私の夢の場所とは程遠いものだった。私は翌日の朝を楽しみにするしかなかった」

続き(第137話)を読む


人気blogランキングに参加中♪