2005年10月20日

ラブ・フォーティ 第139話 〜グチ〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第138話より続く

 晴美の声がけげんそうに響いた。
「どうしてですか? ぜんぜんお金がなかったら、もっと困ったんじゃないですか?」

「それはそうなんだけど……。これも、いま思えばの話だけど、私のお金だけが助かったことで、あのとき彼のほうは自分の不甲斐なさにひどく腹を立てていたんだと思うの。軽井沢で“僕が君を守るから、ふたりで逃げよう”と言ったにもかかわらず、自分だけ不注意にもお金を盗まれてしまった。それで彼は自分のプライドをものすごく傷つけられて、とても意固地になっていたような気がする。

 盗難にあう前は“自分たちのことをもう一度考えてみようか”と言っていた彼が、事件のあと様子が一変してしまうの。旅館を出てからは、ひとことも口をきかずに上野駅まで来ると、いきなり“お金のある限り逃げよう。あとは僕にまかせてほしい”と言って、私が渡したお金で東北本線の切符を買ってしまったの。たぶん……、彼は何としてでも自分の力を私に見せたくて、そのためには、家に帰るわけにはいかず、さらに駆け落ちを続けることで、ふたりだけの世界をつくる必要があったんだと思うの。

 あのときの彼は、名誉挽回のために、とてもかたくなになっていたんじゃないかしら。もっとも、15歳の私の目には、そんな彼の態度が強固で頼もしいものに見えていたの。あのときの私は、すでに彼にのめり込んでいた。仕方のないことよね。それまで男にまったく免疫のない小娘にとっては、男とふたりきりでいる時間が長くなればなるほど、それだけで愛情が深まっていくように錯覚するものね。彼が東北に行くと言うのなら、それがいちばん幸せな場所に違いないと私は思っていた。

 いまになって“もし”なんて言ってもしょうがないけど……、もし、あの日盗難などなければ……、あるいは、盗まれるのならいっそのこと私のお金も盗まれていれば……、ふたりは、名古屋に戻ろうと話し合っていたかもしれないわね。
 ところが、皮肉なことに私にお金があったばかりに、ふたりは東北に向かう列車を選び、駆け落ちを続けることになった。
 さらに皮肉なことに、私の持っていたお金はかなりの額だったから、旅費に困ることもなく、親たちに捕まりたくない一心から、行けるところまで行くことになった。

 結局、私たちは青森まで行った。そこから先は海。“青函連絡船”という言葉を耳にして、私たちはとうとう地の果てまで来てしまったな、と思った。そこであるご夫婦と知り合うことになったの。そのご夫婦は、三本木原(さんぼんぎはら)というところで農業を営んでいて、その日は親戚の婚礼のために青森市に出て、その帰りだったらしい。ご主人のほうがだいぶ酔っていて、人懐っこそうに私たちに話しかけてきたんだけど、方言がひどくて何を言ってるのかぜんぜんわからないの。奥さんとは何とか話ができたので、その奥さんが、私たちとご主人の通訳をするって感じだった。

 とにかく素朴なご夫婦だった。人の言うことを丸ごと信じてしまう人たちで、そこに私たちがつけこんだ形になってしまったの。
 彼がね、ある作り話をしたのよ。どんな話かというと、当時――昭和30年代半ばといえば、終戦からだいぶ月日がたち、日本は復興し始めてはいたけれど、まだ人の心の中には戦争の記憶というものがあってね。彼はそれを利用して“僕たち兄妹は戦災で両親を失い、その後親戚のもとで暮らしてきたけれど、いろいろつらいことがあって、ついには逃げ出してきた”と自分たちのことを偽ったの。人のいいそのご夫婦は私たちに同情してくれて、彼らの家の離れを、私たちの当面の住まいにしてはどうかと言ってくださったの。

 嘘をついていることは後ろめたかったけれど、とにかく住むところを手に入れられたことは、何にもまして嬉しかった。四方八方、延々と広がる田んぼの中に、ぽつんとある農家だった。そこが18歳と15歳の新居となったわけ。
 私たちの親は、よもやわが子がそんなところまで逃げているとは思わなかったようね。大金を使って子捜しをしたらしいんだけど、結局は捜し出すことができずにいた。それぞれの家の事情というのか、見栄のようなものがあって、警察ざたにしたり新聞に訴えたりするようなことはなかった。あくまでも内々に、探偵のような人を雇って捜索させたらしいんだけど、それが功を奏することはなかったのね。

 駆け落ちしてから1〜2カ月はあっというまに過ぎていった。若いふたりにとって、突然の新婚生活ごっこは、何もかもが浮かれて感じられたのよ。つましい農家の暮らしさえ、物珍しさが先立ち、楽しく感じられた。
 ところが3カ月ほどたったころから、彼がふさぎこんでグチるようになったの。名古屋のころをしきりと思い出すようになって、ただの18歳のお坊ちゃんに逆戻りしちゃったわけ。彼は自分たちの生活を惨めに思い始め、たまらなくなってしまったのね。私のほうは“女としての覚悟”というものができていたんだけど、彼のほうは、じつはまだ高校3年生のままだったのかもしれない。

 結局、駆け落ち4カ月目で、彼は私を置いて逃げ出したの。その年の東北は異様に雪が早くてね、彼はまるでその白い雪におびえるように家を出ていった」
 タツエは、自分の目の前にその雪景色が広がっているかのように、わずかに顔をしかめた。

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