2005年10月21日
ラブ・フォーティ 第140話 〜ピストル〜
(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )
第139話より続く
晴美が遠慮がちに聞いた。
「そ、そのあとタツエさんは?」
「“そのあと”? そのあとが大変だったの」
言ってタツエは、何かをほのめかすようにうっすらと笑った。
晴美は黙ってタツエを見つめていた。
タツエがふたたび話し始めた。
「彼は“こんなところで一生をダメにしたくない。いっしょに家に帰ろう”と言ったんだけど、私はそれを頑として聞き入れなかった。結局、彼は、残っていたお金の半分を持って、ひとりで消えてしまった……。
あとに残された私は、このままこの農家にいれば居場所がわかってしまって、いずれ誰かが連れもどしに来ると思い、どこかに逃げることにしたの。逃げだす前の夜、私たちに親切にしてくれたその家の人たちに、泣きながら置き手紙を書いたのを覚えている。その手紙で、自分たちが駆け落ちだったことを明かし、ずっと嘘をついていたことを謝って、いずれ誰かがこの家に私を捜しに来るかもしれないので、そのときはご迷惑をかけるかもしれないけれど、どうか許してください、というようなことを連綿と書いた。あれは懺悔だったのかもしれない。書き終わったとき、何だかすっきりしてしまった。……あの瞬間、彼のことはさっぱりと忘れてしまった。
翌朝早く、村はずれにあったその農家から、私は雪の中を震えながら駅に向かった。ところどころに民家があって、あとは田んぼだらけ、そして遠くに山々。それらをすべて分厚い雪が覆っていて、歩いても歩いても白、白、白……。足の裏につけたかんじきは壊れかかっていて、思うように前へ進めないし、寒さで足が痛くなってますます歩みは遅くなるし、おまけに目からあふれる涙が頬に凍りついてしまって……。体がつらいのか心がつらいのか、もうわからなかった。歩いても歩いても、寒くて真っ白。
まるで自分だけが、人間の世界から追放されてしまったような感じだった。前を見ても、横を見ても、上を見ても、下を見ても、ただ白いだけ。人間の世界の匂いがまったくしないの。そこをひとり凍えながら歩いているうちに、突然、私の頭の中にぱっと赤茶色の地面が広がったの。人の匂いのする地面。あたたかそうな赤茶色の地面。そして、その地面に白線が走っていて、その白が、陽の光を受けて一直線に輝いている……。私は思わず“あっ”って声を出していた
私の頭の中に広がったのはテニスコートだったの。熱い陽射しのもとで、汗をかきながらラケットを振りまわしていたころのことを不意に思い出したの。そしたら体の芯が熱くなった。酷寒の中だというのに、私の体が熱くなるのがわかった。そして、いきなり、私の耳の奥であの打球音がよみがえった。コーン、コーンという音が心地よく鳴りひびいたの。その瞬間、私は気がついた。“ああ、そうなんだ、私とテニスは切り離せないんだ”って。いままで親に言われて仕方なしにやっていたテニスが、じつは自分の大切な一部になっていることに気づいたの。そう気づいたとたん私は叫んでいた。雪に向かってわめいていた。“テニスがしたい!”……“テニスがしたい!”……“テニスがしたい!”……」
くり返すうちにタツエの目もとが揺れ始めた。涙があふれかかった。タツエは丸椅子に座ったままクルッと体を転じた。晴美に背を見せ、肩でひとつ深呼吸をした。目もとに手をもっていき、指先で涙の気配を払いのけた。もうひとつ深呼吸すると、体を元の向きに戻した。
タツエは微笑んでみせた。まるで何ごともなかったかのように、話を再開した。
「きっと、テニスをしたいという一念だけで、あの長くて寂しくて寒い雪道を歩きとおしたんだと思う。これから自分がどこへ行くのかもよくわかっていないというのに、今度たどり着いた土地では必ずテニスができると信じていたんじゃないかしら。
私は、雪のために遅れ遅れになって到着した汽車に乗り、さらに遅れ遅れに進んで、昼夜を徹して上野駅に着いた。すると、あの嫌な思い出がまざまざとよみがえってきた。盗難にあった場所。私はその場所を一刻も早く去りたくて、上野駅の広い構内を迷いながら走っていた。そして山手線に乗り、新宿駅で降りていた。新宿へ行った理由など、たいしてなかった。あのころ私が知っていた駅といえば“上野”と“新宿”しかなかった。ただそれだけの理由だった。
新宿駅に着いたときは、まるで外国の空港に初めてひとりで降りたったような気分だった。とても怖かった。怖かったけれど、“この有名な街でどうかなっちゃうんだったら、それはそれでいいや”と思った。あのときはたぶんひどく興奮していて、見境がなかったんでしょうね。ほとんどお金も尽きていたし。自殺行為に近かった」
タツエは、手をピストルの形にしてこめかみに押しつけ、唇の動きだけで“バーン”と銃声を表わすと、さらりと微笑んだ。
続き(第141話)を読む
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Posted by love40 at 07:26
│Comments(2)
この記事へのコメント
なんか予想外の話でドキドキワクワク…続きが待ちどおしいです。
Posted by かあちゃん
at 2005年10月22日 00:34
●●●かあちゃんさんへ●●●
かあちゃんさん、コメント遅くなってごめんなさい。
ちょっとした手違いで通知チェックをミスしていました。
ポカポカ、パクパク!(←たるんでる自分の頭を、フランスパンの固めのかどでこづいたあと、反省しながら食べました〈苦笑〉)
>なんか予想外の話でドキドキワクワク…続きが待ちどおしいです。
タツエさんと、タツエさんが生きた時代というのは、僕らの時代とは何か根底が違っていて・・・。フツーの気持ちで、サラッととらえられないことが多いですよね。
かあちゃんさん、コメント遅くなってごめんなさい。
ちょっとした手違いで通知チェックをミスしていました。
ポカポカ、パクパク!(←たるんでる自分の頭を、フランスパンの固めのかどでこづいたあと、反省しながら食べました〈苦笑〉)
>なんか予想外の話でドキドキワクワク…続きが待ちどおしいです。
タツエさんと、タツエさんが生きた時代というのは、僕らの時代とは何か根底が違っていて・・・。フツーの気持ちで、サラッととらえられないことが多いですよね。
Posted by
オヤジライター加久時丸
at 2005年10月23日 16:28




