2005年10月23日

ラブ・フォーティ 第142話 〜コースター〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第141話より続く

 晴美にはどうしても聞きたいことがあった。
「ご両親とは再会されたんですか?」
 晴美の問いかけに、タツエの表情がいくぶんこわばった。視線がストンと落ち、手が煙草に伸びかかった。が、止めた。目を上げた。晴美の顔をしっかり見つめ、タツエは首をゆっくり横に振った。

 しゃがれた声が静かに響いた。
「あるとき――19歳のときだったんだけど――私は、父から“勘当”という処分を受けていることを人づてに知ったの。つまり、親子の縁を切られていたの。父による厳しい制裁だった。もちろん、いきなりそういうことになったのではなく、私が家出した当初は、誰よりも父が必死になって捜索の手配をし、費用を投じたらしいんだけど、消息がつかめぬままダラダラと数年が過ぎると、それに踏ん切りをつけるように勘当を宣言したらしい。“今後、タツエは塚越家の者ではないから、そのつもりで扱ってほしい”と、父が親戚一同に告げたらしい。父も母も明治の生まれだから、父は一度言ったことは絶対につらぬく人だし、母は父の言ったことには黙って従う人だから、これはもう誰もくつがえすことのできない決定事項だったらしい。

 当時の父の怒りようは常軌を逸するほどのものだったらしい。でも、私には、そのときの父の怒りがとてもよく理解できるの。
 私は3人姉妹の末っ子で、子供のころは、姉たちとは比べものにならないほど父に可愛がられたの。戦前に生まれた姉たちとはまったく違う育てられ方をして、それだけに期待のされ方も並大抵のものではなかったみたい。塚越家に男の子が生まれなかったということも関係していたはず。父にとって、私が男の子の代わりだったようにも思える。父は私に“新時代の女性”になることを望んだ。“自分でよく考え、積極的に活動する、自立した人間”にしたかった。ところがそれが裏目に出て、娘は家出をしでかした。そう父は思って悔やんだはず。だから、私への勘当は、可愛さ余って憎さ百倍ということではなかったのかしら。

 勘当されたことによって、私は塚越家の者としての権利を失い、財産相続人から外され、その結果、いまはふたりの姉が父の遺産を継いで億万長者になった。ま、お金のことはどうでもいいんだけど、それよりも、親の死に目に会えなかったことが残念でならなかった。それが私に与えられた罰といえば罰かもしれない。
 でもね、じつは、父は私にも遺言を残しておいてくれたの。遺言状の最後につけ足すようにね。ほかの項よりも小さな字で“かつて当家の三女として育てられたタツエが、もしこの遺言を見ることがあったなら、ここに告げる。おまえは、自分の生き方をつらぬく精神を相続したと思いなさい”って。ただそれだけなんだけど、父のこの一文で、私は救われたような気がした。それまでは自分の親不孝ぶりを思い返すたびに落ち込んでいた私が、この父の遺言を知って、なんだか気持ちがふっ切れたの。

 私はこう思うことにしたの――父は遺言の中で、父自身が最も大切にしていた自立の精神を受けついだのは、長女でも次女でもなく、三女の私であると言いたかったのではないか。そのことを遺言状の片隅でほのめかすことによって、私の生き方を認めてくれたのではないか――って。そして父は私に“おまえには何もやらないが、おまえこそ俺の娘だ”と、最後の最後になって言ってくれたような気がしたの。
 それまでの私は親子というものにことごとく縁がないと思っていただけに、父が遺してくれた言葉は、何にも代えがたいものだったの」
 タツエは、晴れ晴れとした表情を晴美に見せた。晴美はタツエのまなざしをしっかりとらえ、何度もうなずいた。

 タツエはグラスをつまみあげると、気の抜けたビールをのぞき込み、かすかに苦笑してからいっきに飲みほした。空になったグラスに、すかさず晴美がビールをついだ。タツエはひと口飲んでから、グラスをコースターの上に戻し、煙草に火をつけた。
 晴美が遠慮がちに聞いた。
「あの、4年ぶりにテニスをしたとき、どんな気持ちでした?」
「4年ぶりにコートに立ったとき……、そうねえ……」
 つぶやきながらタツエは真上のシャンデリアを仰いだ。まるで、そのシャンデリアに19歳のときの情景が映っているかのようだった。タツエは沈黙した。

 晴美にはとても長い沈黙に感じられた。晴美の視線は所在なげに移ろい、やがて、タツエの指の間で吸われぬまま短くなっていく煙草へとたどり着いていた。煙がひっそり踊っていた。晴美は、その淡い踊りの中に自分が引き込まれていくような気がした。
 と、突然、晴美の耳が何かをとらえた。かすかに鼻をすすりあげる音だった。晴美ははっとして目を上げた。タツエだった。真上に向けたタツエの顔の、左右の目尻から涙が流れ落ちていた。

続き(第143話)を読む

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この記事へのコメント
お父さんの遺言のひとこと、心にしみます。。。
Posted by hi-yo(ハイヨ) at 2005年10月24日 20:48
●●●hi-yo(ハイヨ)さんへ●●●
>お父さんの遺言のひとこと、心にしみます。。。
ちょっとやそっとのことでは自分を曲げない男が、このときばかりは、この一文を添えるときだけは、きっと人知れず涙したのではないかと・・・
Posted by オヤジライター加久時丸 at 2005年10月25日 18:21
>このときばかりは、この一文を添えるときだけ
>は、きっと人知れず涙したのではないかと・・・

ん〜目に浮かびます。
和室。正座。文机。
もしかしたら、肩をふるわせ、
でもかみしめるように、ひとり号泣したのかも。
あぁ。いっそうせつない!
Posted by hi-yo(ハイヨ) at 2005年10月27日 10:45
●●●hi-yo(ハイヨ)さんへ●●●
>和室。正座。文机。
当時の男の生き方がそのどれもから香り立っていて、それらと異なった生き方──新たな時代の流れにさらわれるように、自分の最愛の娘との別離を味わい、そして、みずから遺書につづった、わずか数文字の上での再会・・・。
だから、ぜったい切れない、二人の数文字のきずな。
Posted by オヤジライター加久時丸 at 2005年10月28日 05:54