2005年10月24日
ラブ・フォーティ 第143話 〜スイッチ〜
(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )
第142話より続く
タツエはその涙をぬぐおうとはしなかった。構わず話し始めた。
「ヘタクソになっていた。コートから逃げ出したかった。悔しくて、恥ずかしくて、情けなくて……。ラケットを叩きつけてしまいたくて腕を振りあげた。そのときだった。あの雪の中で叫んだことを思い出した。“テニスがしたい!”……“テニスがしたい!”…… その言葉が私を引き止めた。その言葉が、私にこう諭(さと)しているような気がした。“二度と……、二度と……、テニスを手放しちゃいけないよ”って」
タツエは目もとをこすりながら顔を前に戻した。赤くにじんではいたが、強い目が、晴美に向けられた。
タツエは言った。
「それからふたたびテニスの日々が始まった。子供のときにはなかった習慣がひとつできていた。私は、コートに入る前に、必ずコートに向かって一礼をするようになった。“きょうもテニスをさせてくれて、ありがとう” そう心の中で言ってから、白線を越えるようになった。それから、最愛のテニスを楽しむようになった。
たとえその日のゲームパートナーがイヤな人間でも、ラケットとボールを持ってコートに立つかぎり、私にとっては最愛のテニス。その日の体調が最悪でも、コートに立つかぎり、私にとっては最愛のテニス。強風に見舞われてまったくサーブがうまくいかなくても、それも私にとっては最愛のテニス。もちろんシングルスでもダブルスでも、私にとってはすべて最愛のテニス。それが、私のテニス。だから……」タツエは晴美をさらに強く見つめた。「そんな私をどうか許していただきたいの」
タツエは額がカウンターに接するほどに頭を下げた。
晴美は、手の平で自分の口もとを押さえた。目から涙があふれ出した。それにあらがうように目をしばたたいたが、まぶたの動きにあおられるように、あとからあとから涙がこぼれた。何も言えなかった。晴美はただうなずくばかりだった。
タツエは顔を上げると、気づかうようなまなざしで晴美に微笑みかけた。
「あなたのご主人に悪いことをしたと思っている。破門だなんて、まったく大人げないことだとはわかっているんだけど、いまはどうしても気持ちが整理できない。“ダブルスが嫌いだ”って言われてしまうと、テニスの悪口を言われているような気がしてしまうの。だから、もうちょっと私に時間をちょうだいね」
言ってタツエは温かいおしぼりを晴美に手渡した。晴美はうなずきながらおしぼりで涙を押しとどめた。
タツエは時計に目をやって「さてと」と声を発し、椅子から立ち上がった。
その声を合図に晴美も立ち上がった。ふと、先ほどタツエが見上げていたシャンデリアに目が行った。思わずつぶやいた。
「きれい」
シャンデリアはまだ灯っていなかった。薄暗がりの中で、ガラスの肌を見せているだけだった。でも晴美の目には、涙ににじんで、ほの輝いていた。
タツエが軽やかに笑った。いつものタツエに戻っていた。
「私にもさっきそう見えた」
言ってからタツエは腰をかがめスイッチを入れた。とたんにシャンデリアがまばゆく花開いた。晴美は短く「あっ」と声を漏らして目をしばたたいた。
タツエは誇らしげに言った。
「どう? シャンデリアも、なかなかいいもんでしょ?」
「そうですね」
晴美の表情が浮きたった。
タツエがカウンター越しにすっと手を差し出した。その手を、晴美は握った。
タツエが言った。
「きょうは来てくれて、ありがとう」
晴美はコクンとうなずいてから、恥ずかしそうに言った。
「私って本当にずうずうしいですね」
今度はタツエがうなずき、一段と笑みを深くして言った。
「だから、ありがとうなの」
6時になろうとしていた。
タツエは店を開ける準備、晴美は帰って夕食の支度をしなければならなかった。
店を出るとき、晴美はタツエから念を押された。
「ご主人には、けっして私の名前を出さないでちょうだいね。あくまでも晴美さんがコーチを探したということにしておいて。私はまだ破門を解いたわけではないんですから。それから……」
「“それから”?」
「いまの話も、ね」
タツエの目はほのかな恥じらいを帯びていた。
晴美はしっかりとうなずいて言った。
「はい、誰にも」
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Posted by love40 at 08:04
│Comments(2)
この記事へのコメント
こんにちは。
タツエさんにとってテニスは、道楽になり得ないものだったんですね。
タツエさんにとってテニスは、道楽になり得ないものだったんですね。
Posted by かあちゃん
at 2005年10月25日 19:20
●●●かあちゃんさんへ●●●
>タツエさんにとってテニスは、道楽になり得ないものだったんですね。
そうですね。
タツエにとっては、道を楽しむ「道楽」ではなく、道を極める「極道」なのだと・・・
>タツエさんにとってテニスは、道楽になり得ないものだったんですね。
そうですね。
タツエにとっては、道を楽しむ「道楽」ではなく、道を極める「極道」なのだと・・・
Posted by
オヤジライター加久時丸
at 2005年10月26日 20:32




