2005年11月21日

ラブ・フォーティ 第171話 〜イギリス〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第170話より続く

「そう、それがテニスだったのです。
 ところで、テニスはイギリスで生まれたスポーツですが、イギリスを発祥の地とするスポーツは、先ほどのゴルフ、乗馬、ラグビーのほかに、サッカーなどがポピュラーなものと言えるでしょう。そんなブリティッシュ・スポーツを目の当りに青春を過ごした私には、同じスポーツと呼ばれているものでありながら、アメリカで生まれたスポーツというのはまったく別物のように見えました。
 アメリカで生まれたスポーツというと、ベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボールなどが有名です。

 イギリスで生まれたテニス、ラグビー、サッカーと、アメリカで生まれたベースボール、アメリカンフットボール、バスケットボールを見くらべてみますと、ある点において、じつに興味深い違いがあることに気づきます。それは何かと申しますと、“監督の位置”が違うのです。

 テニス、ラグビー、サッカーでは、試合中に監督がタイムを取って指示を出すことは許されていません。テニス、ラグビーにおいては、試合中は監督は観客席に身を置き、一観客となって黙って見ていなけばなりません。サッカーでは、ピッチサイドから監督が声を出すことは許されていますが、事細かな指示を伝えることはかなり困難です。ですから、選手たちは、試合中のさまざまな局面を自分自身で判断しながらプレイしなければなりません。

 それに対してアメリカのスポーツというのは、ベースボールにしても、アメリカンフットボールにしても、バスケットボールにしても、監督が選手に指図する時間を、試合を止めて取ることができます。ですから、選手は、まず何よりも監督の指示を念頭にプレイすることになります。
 つまり、ブリティッシュ・スポーツは試合中においては監督の存在が無に近くなり、それに対してアメリカン・スポーツでは監督が君臨する。つまり監督の位置が違います。したがって選手の役目も違います。

 私は両者の違いを、次のように考えております。
 アメリカ人は、スポーツを戦争のように考えた。いかなるときも指揮官の命令を兵隊は忠実に聞き、勇猛に戦わなければならない戦争のように、スポーツをとらえた。
 いっぽうイギリス人は、スポーツを人生のように考えた。どんなに苦しいときでも自分の頭で考え、自分の力で局面を打開し、自分の責任で対処しなければならない人生のように、スポーツをとらえた」

 春日はそこで言葉を切り、確かめるようにゆっくりと全員を見まわした。
「私がテニス大会を選んだ理由は、おそらくそんなことにも関係しているのだと思っております。
 本日、選手の皆さんは、テニスという、人生にも似た勝負を、自主性の賜物(たまもの)として競っていただきたい。
 この私の気持ちは、この大会のみにとどまるものではなく、日ごろの皆さんの職務にも期待しているものです。これまでの日本の企業にありがちな、命令一下で動くだけの組織では、真のクリエイティビティは期待できないと思っております。どうか自主の気持ちを大切に仕事にとり組んでいただきたい。

 多喜食を支える多くの方々に、私はこのことを声を大にして申し上げたい気持ちです。また、これからの多喜食を担っていく新入社員の諸君にも、このことを多いに期待するものです。
 最後となりましたが、本日の試合を、どうか皆様で多いに盛りあげてくださるようお願い申し上げます」
 春日は深々と一礼すると、拍手の中、コートを退いた。

続き(第172話)を読む

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