2005年12月08日

ラブ・フォーティ 第188話 〜タオル〜


(最初からお読みになりたい方はこちら→【ラブ・フォーティ 第1話】 )

第187話より続く

 安斎は新田の動きを無視してベンチに引き返し、タオルを拾い上げた。そのタオルを持ったままベースラインに向かった。歩きながら手の平を何度もぬぐい、さらにラケットグリップを神経質にふいている。
 安斎の空振りに驚き、ざわめいている観客の中、ふたりの若い男がひそひそと話をしていた。ふたりは真っ黒に陽に焼け、いかにもテニスマンという感じだった。

 そのふたりがいきなり手拍子を打ち始め、その手拍子に合わせて声を発したのだった。
「ロブ飽きた……ロブ飽きた……ロブ飽きた……」
 それに同調してさらに観客の中の何人かが手拍子に加わった。
 新田は待球姿勢のまま、その掛け声と手拍子を、前方の安斎コートの向こう側に広がる観客席の中に見た。発端となったふたりは芝生の斜面のいちばん上、右寄りに座っていた。知らない男たちだった。新田には、彼らの顔に悪意が満ちているように見えた。そして手拍子はますます強まっていくように思えた。いっぽう安斎はうつむいたまま、手もとでせわしくタオルを動かすばかりで、背後の様子にはいっさい関心がないといった素振りでいる。
 なるほど、と新田は思った。あれが安斎だ、と思った。

 安斎が後ろのフェンスにタオルを掛け、ふたたびサーブポジションに入った。主審は観客席に向かって静まるように手を掲げた。
 ゲームは再開された。
 安斎がサーブを打った。
 新田はロブをやめなかった。安斎の打球にことごとくロブで応酬した。ボールが空高く舞うたびに観客がどよめいた。
 そのどよめきが新田の感覚を少しずつ狂わせていった。長い打ち合いのすえに、新田のロブボールはベースラインをわずかに割った。主審の「アウト!」の声が響いた。
「15─15(フィフティーン・オール)!」

 プレイが切れると、待ちかまえていたように「ロブ飽きた」の掛け声と手拍子が始まる。安斎はわざとゆっくり次のサーブにとりかかる。新田の汚いプレイはヤジられて当然だ、と安斎は思う。
 新田はトオルの言葉を思い出していた。
「ロブを続けることはそれほど恥ずかしいことではないと思います。いちばん恥ずかしいのは、そのロブに負ける相手です。そのことを忘れないで、やるかぎりは自信をもってロブで攻めるべきです」

 安斎がサーブを打った。
 新田はロブで返した。
 どよめく。
 安斎はベースラインからはるかに下がって、ロブがワンバウンドしてから手堅く返球する。もうスマッシュで勝負する気はない。新田が崩れるのをひたすら待つことにする。
 新田は、落ち着きはらった安斎が気になり始める。
 どよめきの中、新田はロブを連打する。
 そのたびに安斎はじっくり返球する。

 水平方向のストロークと、垂直方向のロブ。そのちぐはぐな打球のくり返しが、やがて退屈でいびつなラリーに感じられるようになり、観客のどよめきにいらだちが漂い始める。
 そのざらついたどよめきが、新田のロブをさらに狂わせる。トオルの助言にすがるだけでは新田の乱れは修正できなかった。新田の敵はすでに安斎ではなく、観客になっていた。

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