2006年11月09日
連載小説「夜になったら空を見よう」 第4話
(最初からお読みになりたい方はこちら→【夜になったら空を見よう 第1話】 )
第3話より続く
突然、少年が笑った。
「でも、何も思い出せないんなら、死ぬ理由だってわからないわけだから、オジサン、死なないほうがいいんじゃないの?」
「かりに自殺志願だとしたら、たしかにそのとおりだな。死ぬ理由が無くなっちゃったんだもんな」
少年につきあうようなつもりでオレも笑った。とにかく、何も覚えていないというのは、ひどく気分が悪い。
少年が銃口を下ろして言った。
「ボクのテントに来るかい?」
「テント? いいのか?」
「なんとなくオーケーって気分なんだ、オジサンの場合。それに、オジサンにここで野垂れ死にされるのもいやだし」
「じゃあ世話になる」
「ところでオジサンの名前は?」
「オレの名前は……」苛立った。「さっき言ったじゃないか。何も覚えていないんだって!」
少年はクスクス笑った。
「念のため、ちょっとテストしてみたんだ。芝居してるってことがあるからね。オジサンは本当に覚えていないようだね。スゲエや。ボクの名前は、ジェロニモってことにしといて」
「ジェロニモ? たしかインディアン……、アパッチ族の勇者の名前じゃないか?」
「へええ、よく知ってるね。てゆーか、記憶喪失してないんだ」
「あ、ほんとだ。そう言えば、富士山の樹海だって、ちゃんとわかっている。いったい何を覚えていて、何を忘れてしまっているんだろう?」
「覚えていたいことを覚えていて、忘れたいことを忘れてるんじゃないの?」ジェロニモは笑った。「さて、オジサンは、どんな名前がいい?」
「何がいいだろう? キミ……、ジェロニモが決めてくれないか?」
ジェロニモはしばらく考える目つきを森にさまよわせてから、オレを見つめて言った。
「スズキさん」
「スズキ? キミがジェロニモで、オレはスズキか。ずいぶん平凡だな」
「だって、そんな感じだもん。サラリーマンのスズキさん」
オレは胸のあたりにチリチリするものを感じていたが、いまはこの子にすがるしかないと思った。口もとに作り笑いを浮かべた。すると、すかさずジェロニモは言った。
「やっぱ、サラリーマンだ。それって、愛想笑いってやつでしょ?」
ジェロニモのテントを見て、オレは驚いた。
テントのシートはあちこちが破れていて、補修されてはいるがあまりにも不器用で、さらに蔦(つた)や苔(こけ)がはびこっているため、すでに人間の所有物とは言いがたく、しかも内側から支えるフレームがいびつに折れ曲がっていて、シートを突き破った金属片が容赦なくテントをむしばみ、倒壊の運命が迫っている。都会のホームレスが棲むブルーシート・ハウスのほうが百倍豪勢だ。
ジェロニモは愉快そうに言った。
「カッコいいでしょう! これにくらべれば、街のホームレスなんて貧乏ごっこだよ。甘いんだよ。自分たちじゃ気がついてないだろうけど、あいつらの一番のご馳走は《他人の視線》ってやつね。軽蔑だろうが憐憫だろうが、何でもいいから自分が見られること、自分が晒されていることで、生きてる実感にひたってるわけね。他人にすがって生きている、意気地のないヤツらさ」
長く伸びた髪の毛をうしろで束ね、少年から大人へとさしかかった顔には、栄養を絞り落とした鋭い輪郭と、よく動く唇を囲む薄ひげが目をひく。黒いティーシャツにジーンズのようだが、汗や汚れを吸えるだけ吸ってこわばった布は、《服》と言うより《殻》とか《外皮》のように見える。長いこと自然を踏み続けた裸足は、踏みつける物が何であろうと怖がらない頑強さを漂わせている。
続き(第5話)を読む
ランキングに投票ありがとうございます。たいへん励みになります。
Posted by love40 at 16:30
│Comments(0)




