2005年09月16日

脱力系スター・ウォーズ


脱力系スター・ウォーズ前々から気になっていたCDを、きのう新宿のHMVで買った。
買う段になって、CDタイトルを忘れてしまった(と言うより、きちんと覚えていない)ことに気づき、店員にアバウトに尋ねた。

「すみません、『ウクレレ・スターウォーズ』……とか言うCDなんですが……、もしかするとまったく違うタイトルかもしれないんですけど……、あります?」

ロック・コーナーでCDを整理していたその店員は、自分の管轄外の質問にやや戸惑った様子だった。
「ウ、ウクレレ……、スターウォーズ……ですか?」
「はい、そのような名前の……」
賢そうな目つきのその店員は、さっそく近くの端末機で検索を始めるのだけれど、該当商品が見つからない。彼は小首をかしげながら僕に顔を向け、「ちょ、ちょっと聞いてきます」と言うと、中央のレジ・コーナーへ小走りに行った。

僕からやや離れたところにある中央のレジ・コーナーで、その店員は別の店員に聞き、その店員はさらに別の店員に聞き、やっとこさブツが判明。それを持って、例の店員が戻ってくる。「コレ……、でしょうか?」

ウクレレ・フォース〜スターウォーズ・ベストカバーズ

そうそう、コレコレ、このジャケット! C-3POのようでそうでないようなロボットと、その右横には、なんとなくR2-D2的なウクレレ(上の画像ではわかりにくいのだけれど、カラーリングがそれっぽい)。
タイトルは『ウクレレ・フォース』、ウクレレのチカラってことね。そうだった。

このCDが、けっこう売れているらしい。
内容は、20世紀フォックス映画社のファンファーレ、さらにはスターウォーズのメインテーマで始まり、レイア姫ヨーダのキャラクターテーマなど全13曲を、ウクレレ・メインのインストルメンタルで演奏している。
なにしろウクレレが中心だから、全体に軽いタッチの曲調に仕上がっていて、それゆえこのCDを「脱力系スター・ウォーズ」と呼ぶことがある(笑)。

脱力系スター・ウォーズの中身──
 1:20世紀フォックス・ファンファーレ/ウクレレカフェカルテット
 2:スターウォーズのテーマ/宮川彬良&銀河系ウクレレ交響楽団
 3:フォースを学べ/栗コーダーカルテット
 4:酒場のバンド/ジェームス・ヒル
 5:レイア姫のテーマ/キヨシ小林&ウクレレ スウィングギャング
 6:ヒア・ゼイ・カム/松宮幹彦
 7:帝国のマーチ(ダース・ベイダーのテーマ)/栗コーダーカルテット
 8:ハン・ソロとレイア姫/はじめにきよし
 9:ヨーダのテーマ/栗コーダーカルテット
10:アナキンのテーマ/松宮幹彦
11:アクロス・ザ・スターズ/ウクレレカフェカルテット
12:オージーの大楽隊/ウクレレカフェカルテット
13:王座の間〜フィナーレ/栗コーダーカルテット

さて、聴いてみた僕の感想。
ウクレレというと、僕はまず最初に『ザ・ウクレレ・オーケストラ・オブ・グレート・ブリテン(大英帝国ウクレレ交響楽団)』という、知る人ぞ知るウクレレ・グループを想起してしまうのだけれど、彼らがウクレレを徹底的に前面に押し出しているのに対し、この『ウクレレ・フォース』では、ウクレレをメインにしながらも、他の楽器と彩りよくからませている曲が多い点に惹かれた。

たとえば、3曲目の「ジェダイの騎士の物語〜フォースを学べ」では、演奏をしている“栗コーダーカルテット”というグループの楽器編成を見ると、ウクレレのほかに、リコーダーやメロディカやトイピアノなどが入っている。
リコーダー、メロディカ……」と聞いて、何か思い出しません?
子供の頃の学芸会の演奏会って、こういう楽器が主役だったのでは……? 
そう、この3曲目などを聴いていると、どこか懐かしい学芸会のような香りがして、ちょっと切ない気持ちになってしまった。

と、まあ、そんな調子で、いろいろ楽しみどころのあるCDだと思った。

週末は、ウクレレ・フォースにひたって、のんびり過ごすことにしよう。


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2005年09月11日

ファンタスティック・フォーーー!(←レイザーラモン調で〈笑〉)


レイザーラモンHGスポニチ(9月10日付)によると──
『お笑いタレントのレイザーラモンHG(29)が米映画「ファンタスティック・フォー《超能力ユニット》」の関西宣伝隊長に就任し、お披露目イベントを9日、大阪市内で行った。高速で腰を振りながら「ファンタスティック・フゥ〜!!」とおなじみのギャグでPR』したそうだ。

いまや絶好調のレイザーラモンHG
彼を見て育った子供たちがオトナになり、ニューヨークあたりで“本場ハードゲイ”に遭遇して、思わず“友好的な態度”を示して、その晩どうなってしまうのか……、想像するだけでスリリングだ(笑)。

本場ハードゲイさん「キミも、この服着てみるかい?」
約10年後の日本男子くん「え! 本当にいいんですか? ボ、ボク、子供の時からその服に憧れていたんです! ありがとうございます!」

なんて……、プッ!(←人が悪いぞ、オヤジ〈爆〉)
ところで、アメリカの老舗的人気コミック『ファンタスティック・フォー』の映画化作品を、レイザーラモンが応援するわけだけれども、それはあくまでも“関西”宣伝隊長として活動するというところが、いかにも関西ノリでうらやましい。

スポニチをもうちょっと読んでみる──
『(レイザーラモンの応援によって)大阪のメーン館となる三番街シネマで初回の上映が満席になった場合はギャラが444万円、失敗したら4円という条件も承諾した。17日公開』とのこと。

満席になった場合はギャラが444万円」──この記事を読んで、ぼくはふと、あることをネットで調べてみた。
大阪の「三番街シネマ」は、いわゆるシネコン形式でスクリーンが3つあるようだ。そして、第1スクリーンの観客席数が612席、第2スクリーンが181席、第3が368席あるので、合計すると1161席となる。(僕の調べが間違っていたら、ごめんなさい)
さて、かりに「三番街シネマ」の全スクリーンで『ファンタスティック・フォー』を上映したとして、これらをすべてを満席にすれば「444万円」ゲットできるわけだから、ぶっちゃけレイザーラモンが全席買ったとしても(たとえば“シニア1000円”チケットを1161人分買って、ジイちゃんバアちゃんをご招待したとしても)、コストは116万1千円だから、差し引き327万9千円儲かることになる……という最低保障があるわけだ。

でも、そんな理論経済学的(?)なことは重々承知のうえで、ここはやはり『レイザーラモン、失敗してギャラ4円』というニュースが流れると、もっと関西ノリで、僕としてはもっとうれしい(笑)。


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2005年08月30日

“実物大”の新ガメラ、現る!


新ガメラ怪獣ガメラ生誕40周年を迎え、それを記念して映画「小さき勇者たち〜ガメラ〜」がいま制作されている(スポニチ8月29日付より)。

卵からかえってふ化したばかりの体長5センチから、8センチ、1メートル、そして5メートルへと、成長に応じて“実物大ガメラ”が活躍。中でも全長5メートルのクリーチャー(着ぐるみ)は映画史上最大級なのだそうで、手足、首、尻尾などを3人で操る。CG全盛時代のいま、着ぐるみにこだわる制作マインドが、なんだかとても嬉しい。

画像を見ると、ガメラのルックスが変わったことに気づく。丸みを帯びた甲羅、愛くるしさを増した目元……
21世紀型ガメラ”としてリニューアルされたそうで、「子供たちの守り神」というシリーズ・コンセプトを忠実に反映し、「親しみのあるキャラクターとして、子供たちが見て可愛いと思うイメージを強調した」そうだ。
リニューアルに際しては、アフリカ中部に棲息するケヅメリクガメというカメをモチーフにしたらしい。ハ忠類マニアは欲しがるのだろうな。

ところで、僕はこの画像(公道を使ってのワンシーン)を見ながら、ふと、人間の幸福について考えていた。(←オイオイ、いったいどこからそんなテーマを思いついたんだ?〈笑〉)

人間の幸福というものには、画一的な条件などというものはなく、たとえば、お金がたくさんあれば必ず幸福になれるというものでもないし、あるいは、健康であればそれだけで幸せを感じられるというものでもない。
さまざまな条件や状況が重なり合って、ひょっこり幸福というものに出くわすことになる。

さて、そこで、僕は“とてもつもなく幸福なヤツ”を、いま思いついたのだ。

その人物は、ガメラとかガメラの映画とか、そういうものをいっさい知らなくて、しかも、当然ながら、このたびの40周年映画についてもまったく知らず、ある日、ただなんとなく気の向くままにひとり散歩をしていると、目の前の道路を、一台のトレーラー付きトラックがゆっくり通り過ぎようとしていた。
彼はふと、何か異様な気配を感じるままに目を上げると、そこには、な、な、なんと! 超巨大ガメが捕縛されているではないか! し、しかも、残忍この上ないキバが、口元からギラリと突き出ている! トレーラーの後方には、パトカーがぴたりと付き、物々しい雰囲気……。
彼の脳裏を、突然黒々とした思いが占める。「こ、これは、きっと地球温暖化が原因だ! 亀の突然変異! 自然の怒りだあ!」
彼は腰を抜かすと、ヘナヘナとその場に座り込んで、ただ呆然と巨大ガメを見送るばかりだった……

もし、こんな“映画のような”出来事をマジにリアルで体験できたのなら、それはある意味とても幸せなことなのではないだろうか、と僕は思う。
夢のような、いや、悪夢のような?大珍事を、これほどまでに現実のものとして味わえる機会など、そう滅多にはない。

これほど手の込んだ、大がかりな“ドッキリ”に、僕も出会いたかった!

ファンタジーに丸ごと包まれてしまうという、至福の瞬間! この画像を見ながら、僕はふと、そんな瞬間を夢想してしまった。


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2005年07月27日

ロンドン同時テロと『ぼくの国、パパの国』


ロンドン同時多発テロの容疑者として、パキスタン系英国人数人の名前が上がっている。
朝日新聞(7月14日付)では『「自爆」「英国籍」ショック』の見出しで、テロ容疑者特定後の周辺記事を報じている。中でも、パキスタン系英国人たちの動揺は激しく、その辺について記事はこう語っている──

『容疑者らの地元リーズ市北部のバーリー地区では13日朝、自爆テロへの驚きが住民たちの間に広がった。
警察の捜索のあおりを受けて自宅から避難させられた運転手のモハマド・リアズさん(46)はパキスタン側カシミール地方の出身だ。「この街に住んで20年になるが、自分たちのコミュニティーから自爆犯が出るとは信じられない」 
バーリー地区はれんが造りの英国式の建物が並び、イスラム教のモスクが街角にある。4千〜5千人の住民のほぼ半分がパキスタン系。穏やかで、治安のいい地域という。
リーズ市内で生まれ育ったパキスタン系の自動車整備工サージ・アフマドさん(25)は「誰かにだまされたとしか考えられない。私たちはこれまで英国生まれの英国人と思っていたのに、これからはテロリストと見られると思うと」と戸惑いの表情を浮かべた』(朝日新聞より抜粋)

記事中の人物モハマド・リアズさんはパキスタンからの移住者なのだろう。またサージ・アフマドさんは、おそらく親の代にパキスタンから移住してきて、彼自身は英国生まれの英国人ということになるのだろう。このふたりは、それぞれ若干のニュアンスの違いをもって、戸惑いを深めているように僕には思えた。
大まかではあるけれども、移住者のモハマド・リアズさんは、「自分たちのコミュニティーから自爆犯」を出してしまったという、失望をともなった戸惑い。一方サージ・アフマドさんは、「英国人である自分」のアイデンティティの危機という、恐怖をともなった戸惑い……

記事を読みながら、僕がこのようなことに目が行くきっかけとなった映画がある。
『ぼくの国、パパの国』(英国1999年)という作品だ。マンチェスターを舞台に、英国人の妻を持つパキスタン人と、7人の子どもたちの物語だ。イスラム文化を重んじる父親と、英国文化の中で育った子どもたちの、反目の日々をヒューマン・コメディタッチで描いている。英国アカデミー賞のアレキサンダー・コルダ賞なども受賞している秀作だ。

英国に住むパキスタン人たち、そして英国人として暮らすパキスタン系の人たちの、暮らしの一端をかいま見ることができる作品ではないか、と思う。
今回のテロ事件がなければ、無邪気にクスクス笑いながら楽しめる映画だったのに……

原題は『EAST IS EAST』 今となっては、このタイトルにも深い意味を付け加えてしまったように思える。

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2005年07月26日

漫画『アストロ球団』が、なんと実写でテレビドラマ化!


アストロ球団ファンほどぶったまげるニュース、と言っていいだろう(笑)。
漫画『アストロ球団』の内容を知っている人なら、この作品のテレビ・ドラマ化がいかに“衝撃的”なことであるかわかるはずだ。それもアニメ化ではなくて実写版だというのだから、なお驚き! 感じとしては『少林サッカー』の野球版というところか。

『アストロ球団』は、1972〜76年にかけて週刊『少年ジャンプ』で連載された野球マンガで、きわめて破天荒な筋立てによって人気を集めた。単行本全20巻を通して描かれた試合はわずか3試合ということからも、その独創性というか異様さがうかがい知れる。

大筋は──伝説の名投手・沢村栄治(実在の人物)の遺志を継いだという謎の男シュウロが、昭和29年9月9日午後9時9分9秒に生まれた9人の超人たちを集め、最強球団を結成し、米大リーグの打倒をめざすというもの。

話は、日本各地にひそんでいる超人たちを探し出すところから始まっている。その中、伊集院球三郎という超人を見つけ出すくだりが、この作品の作風をよく物語っているように思える。
(ここから先、話の筋に若干触れるので、ネタバレを回避したい方は、次のブロックの●からお読みください)
一流のレーサーである伊集院球三郎、じつは彼も“9”生まれの超人で、アストロ球団の一員となるべく人物。謎の男シュウロは彼に目をつけ、接近を図るのだけれど、伊集院はレース中の事故で死んでしまう。「死んじゃったら、オシマイじゃん!」と驚く読者。ところがシュウロはヘリコプターに、パラシュートつき遺体(伊集院)をのせ、高度5千メートルの上空からその遺体を放り出す。地面に着地した伊集院は、なんと息を吹き返すのだ! シュウロは言う「やってみるものだな! パラシュートが開くときのショックがきいたんだな!」……んな、バカな!(笑) 

●いずれにせよ、唯一無二・驚天動地の“アストロ世界”というものがあり、そこには野球への“超愛”とも言うべきものがみなぎっている。当然ながら、驚愕の魔球や必殺打法もジャカスカ出てくる。
世間一般の常識など軽く粉砕してしまう“アストロ・パワー”に、ハマる人はハマり、はじかれてしまう人ははじかれてしまうはずだ(笑)。

思うに、1970年代の日本球界において「米大リーグ打倒」という発想自体が、現実的にはきわめて“非常識”だった。その“非常識”さ──言い方を変えれば“夢”──の前では、すべての“非常識”さが許容できる雰囲気が、当時にはあった。
ところが、超人イチローを始めとした日本人大リーガーが続々と生まれている現在、日本人チームによる「米大リーグ打倒」だって夢ではなくなりつつあるといっても過言ではないだろう。1970年代から2000年代──この30年ほどの間に起こった、現実の日本球界の大変化こそ、ある意味、超マンガ的な驚きがある、と僕は思っている。

ちなみに、伝説の名投手・沢村栄治を長嶋一茂さん、謎の男シュウロを千葉真一さんが演じる。また、アストロ選手の筆頭・宇野球一を林剛史さん(特捜戦隊デカレンジャー・デカブルー役)が演じる。

ほかのキャスティングに関しても、野球のできる俳優や現役プロ野球選手などを予定しているらしい。これは素晴らしいことだ。スポーツの動き・フォームというのは、シロウトがマネしてもぎこちないもので、見ているほうが興ざめしてしまう。ケビン・コスナーの野球映画を例に出すまでもなく、本当にプレイ経験のある人の動きは説得力がある。
『アストロ球団』は破天荒な物語ではあるけれど、この辺の製作サイドのまじめさが嬉しい。関係者のひとりが「ばかばかしくも大まじめな作品になれば」と発言していて、その精神に僕は大いに惹かれる。

放送は、8月10日深夜からテレビ朝日で。またCSのスカイパーフェクTVでは7月25日から放送される。
楽しみだ!

※上の写真は、わが蔵書『アストロ球団』(画面の大きさの関係上、20巻中10巻を撮影)。もうボロボロで表紙カバーがとれてしまったものが多い。(てことは、マニア?〈笑〉)

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ヨーダの異変!?


ヨーダきょう1日、なぜかこのヨーダが気になって気になってしかたがなかった。

表情か? ちょっとワルにも見える目つきが気になるのか?

頭部をおおう綿毛か? フワフワしていて、触りたくてしかたがないのか?

耳か? いつもより心もちピンとしている耳に惹かれるのか?

それともコスチュームか? あるいはライトセーバー?

いやいや、違う!

そうか、この構えだ!
このバッティング・フォーム!(笑)
右バッターの構え……、なのにグリップ(手の握り)が逆だ!
右手が上、左手が下でなければ、ボールは打てないぞ!

グリップの違和感! それが気になっていたのか……(笑)

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『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』の予備知識(かな?)


『 スター・ウォーズ エピソード3/シスの復讐 』が公開初日に過去最高の5千万ドル(約54億円)の興行収入を記録した。

「54億円! スッゲーーー!」って目をひんむいて驚きまくりたいところだけど、つい先日の長者番付第1位・年収100億円のサラリーマン(清原達郎「タワー投資顧問」運用部長)にぶったまげたあとなだけに、「スター・ウォーズだったら初日で1千億くらい稼いでもいいんじゃないの?」と大盤振る舞いしたくなるのは僕だけではあるまい。(←大盤すぎるって〈笑〉)

それはそうとして、僕は昔から人の名前にひとかたならぬ興味をもっていて(それを“名前フェチ”って呼んでいるのだけど)、人名をネタにいろいろ考えたり遊んだりすることがよくある。
この『スター・ウォーズ』も、名前に関してちょっとした思い出がある。

『スター・ウォーズ』と言うと、第1作目(1977年)を初めて見た時、作品の最後のクレジットロール(キャスト・スタッフ紹介)が延々と続くことに驚いてしまった。記憶に間違いがなければ、これほど事細かなクレジット紹介はそれまでにはなかった。
この長い長いクレジットロールをパロディで扱った映画がその後出てきて、監督の名前、監督の妻の名前、監督の妻の愛犬の名前……と、それはそれは豪華で苛立つ(笑)クレジットを拝見したことがある。(←30年前の記憶なので事実誤認があるかも)

ということで、僕にとって『スター・ウォーズ』のクレジットは名前の宝庫であって、いじりがいのあるものなのだ。
たとえば1999年の『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』の時は、クレジットされているキャストとスタッフ約900人のファーストネームを調べたことがある。
向こうの人って、ジョンとかポールとかメアリーって感じの同名の人が多いから、その“同名さん”No.1を調べてみようというものだ。

『スター・ウォーズ エピソード1』のキャストやスタッフで、“同名さん”No.1は……?
ダララララララララララ……(←ドラムロールね。ワクワク!)

男性部門の“同名さん”ベスト5を一挙に発表!


第1位:デビッド(31人)


第2位:ジョン(27人)


第3位:マーク(18人)


第4位:マイケル(16人)


第5位:ポール(15人)

おっと、僕の予想では「ジョン」だったのに、「デビッド」が1位とは!
『スター・ウォーズ エピソード1』では31人のデビッドさんが働いていたわけだ。スタッフ数が約900人だから、“デビッド混入率”は約3.4%か。ふむふむ。
おお、クレジットの高い位置に、撮影監督のデビッド・タッターソルさんがいる。ほかに目を引くところとしては……、デビッド・ナカバヤシさんとデビッド・タナカさんの2人が、おそらく日系の人だな。

さてと、女性部門は絶対数が少ないのでベスト3を発表!


第1位:ジュリー(6人)


第2位:スーザン(5人)


第3位:ケイト(4人)

僅差で競り合ってる。
「スーザン」は、職場では「スージー」とか「スー」って呼ばれることもあるかもしれないな。
僕が多いと予想していた「メアリー」は、2人しかいないじゃないか! もっと頑張れよ!(←おいおい〈笑〉)

結論としては、ジョージ・ルーカスの所で働きたいと思ったら、統計学的には、男は「デビッド」女は「ジュリー」を名乗るほうがいいということになる。
しかし、31人もデビッドがいると大変だろうな。

「キミが、ディジタル・イフェクツ担当のデビッドか?」
「はい、ルーカス監督」
「ダメじゃないか。こんな処理の粗さじゃあ!」
「あ、それ、僕じゃなくて、別のデビッドです」
「じゃあ、どのデビッドだ!」
「ワイツバーグ……、いや、ホーズリー、じゃなくて、パリシュ……かな?」
「で、結局、誰なんだ!!」
「す、すみません、ルーカス監督。たぶん、ヒサナガ……なわけないし、デューバーかフューラーか……」
「うわああああああ、もう、オレをイライラさせるな! デビッドは、全員クビ!!!」

てことにも、なりかねない。(なわけないだろ〈笑〉)

以上、『STAR WARS』の職場内・名前調査でした。


【追記】
※『スター・ウォーズ エピソード1』のディジタル・イフェクツ部門には、実際に7人の「デビッド」がクレジットされている。
※ちなみに、ジョージ・ルーカス監督の「ジョージ」は4人なので、まあトラブることはないだろう。
※なお、『エピソード1』のあと、『エピソード2/クローンの攻撃』などの名前調査はしていない。さすがに自分でもエイ・エイチ・オーな感じがしたためである。(エイ・エイチ・オー:AHO)
※“名前フェチ”に関しては、ここをご覧ください。

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ハンバーガー、食べてる?


『バッドボーイズ』という映画があった。
マーティン・ローレンスとウィル・スミスによる黒人ふたり組刑事が活躍するアクションものだ。ややコミカルなテイストを含みながら、アクションとしてキメるところはキメていく、まずまずの作品だった。(続編の『バッドボーイズ2バッド』が作られたのだから、評判は良かったのだと思う)

この映画のヒロイン(ティア・レオーニ)は、ひょんなことから殺人現場を目撃し、犯罪組織から命を狙われてしまう。その彼女の身辺警護をおこなうのがマーティン・ローレンス。映画全体の内容は、きょう話すことにさほど関係ないので割愛する。

場面は、彼女が身を隠すアパートの一室。
刑事(マーティン・ローレンス)が、彼女の警護をしながら、ハンバーガーをほおばっている。そのかたわらで彼女は、自分が菜食主義者であることを告げてから、表情をゆがめて彼に言う。
「そのパクパク食べている肉は、もとは生きていた動物よ」
このセリフは、とくに何だというものではない。トゲはあるけれども、きわめて平凡で、インパクトはない。ところが、このセリフにはもう少し続きがあって、そこがけっこうエグい。

彼女のセリフは全部でこうだったのだ。
「そのパクパク食べている肉は、もとは生きていた動物よ。名前だってあったかも」
この瞬間、刑事は食べる動作をとめ、やや困惑したまなざしで彼女を見るのだ。
「名前だってあったかも」
このセリフを聞いた時、ぼくもスクリーンを見ながら思わずオエッとなってしまった。

ハンバーガーのひき肉になった牛は、かつては「トム」とか「ジョン」とか名前がついていて、牧場主が「ト〜ム!」と呼びかけると、けだるそうに「モ〜」とか鳴きながら振り返ったりしていたのだ。そして、その「トム」を、僕はムシャムシャ食べている……、という流れは、相当にエグい。ブラックユーモアと呼ぶには、あまりにも身近すぎて、笑えない(笑)。(←で、〈笑〉とは、いい根性してんじゃねーの〈苦笑〉)

ちなみに、『バッドボーイズ2バッド』のマーティン・ローレンスは、かなり太っていた。
ハンバーガーの食いすぎだろう(笑)。

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“もういない人”の労働条件は!?

前々から気になっていた記事があったので、それについて書こうと思う。
内容は、ざっと次のようなことだ──

『【ロサンゼルス4月14日/ロイター】米テレビゲーム業界と、米映画俳優組合(SAG)および米ラジオテレビ芸術家連盟(AFRTA)が、新たな労使契約に向けて交渉中。

ゲーム業界は年間100億ドルを稼ぎ出しており、映画の年間興行収入とほぼ同水準に膨らんでいる。その中で、映画産業はゲーム業界で重要な役割を担っており、ゲーム開発に俳優が何らかの形で関与するケースや、ゲームと映画のタイアップは増加傾向にある。

ちなみに、SAGやAFRTAの組合員を起用したゲーム会社は、これまでに70社を上回った。また、著名スターが声優として出演したり、本人に似せたゲームキャラクターが制作されるなど、契約の重要性はこれまでになく高まっている。

労使交渉の内容については一切明かされていないが、(現在の労使契約の有効期限である)15日を絶対視する向きは少なく、交渉継続が予想されている。』
 
──以上だ。
上記の「米映画俳優組合(SAG)」と「米ラジオテレビ芸術家連盟(AFRTA)」は、アメリカの役者たちの労働組合で、(トップクラスから無名の役者まで)10数万人が加盟している。主にこの2団体が、役者の労働環境(たとえば賃金など)の改善・保護などを推進しているらしい。

上の記事をそのまま読めば、SAGならびにAFRTAが米テレビゲーム業界と新たな交渉をしていて、役者をテレビゲームに使った際の契約面などの整備をしている(のではないか)という内容だ。しかし、記事の最後に『労使交渉の内容については一切明かされていない』となっている。
じつは、そこに僕は興味がある。

僕はテレビゲーム業界などに詳しくないので、もしかすると、これから書くことはまったくの的はずれ(とか、時代遅れ)ということもある。その際は、ご勘弁を!
上の記事の中で、「スター本人に似せたゲームキャラクター」という言葉が出てくるが、これは「CG(コンピュータ・グラフィックス)」ということだろう。このこと自体は別に珍しいことでも何でもなく、たとえば野球やサッカー・ゲームで、実在の選手がキャラクターとしてCGで登場しているのと同様のものだ。

さて、ここからが核心の部分。
僕はかつて、プレステの“戦国サバイバルアクション・ゲーム”で『鬼武者』『鬼武者2』というシリーズにハマっていたことがある。
『鬼武者』の主人公“佐馬助”のキャラデ(キャラクターデザイン)は、実在の役者・金城武さんが元になっていた。
そして今から4年ほど前、『鬼武者2』の発売で僕はぶったまげた。『2』の主人公“柳生十兵衛”のキャラデは、なんと松田優作さんが元になっていた。優作さんはすでに10年以上も前に故人になっている。僕は「なるほど、こういう復活もアリなのか」と感心しながら、そのゲームを優作さんになったつもりで戦ったのを覚えている。

松田優作さんのCG復活以来、僕がずっと思っていたことがある。
「CGのレベルがさらに上がったら、いずれ生身の人間と変わらないCGキャラが登場するんだろうな」と。

ということになれば、故人でも容易に(しかも超リアルに)復活させることができ、ゲームどころか映画そのものさえも作れるようになるはずだ。

となると、どんなことが考えられる?
キャラクターの宝庫・ハリウッドあたりはボンヤリしているわけはない。たとえば、マリリン・モンローは大いに魅力がある。CG復活で大いに儲かるかもしれない。ハンフリー・ボガートもいいかもしれない。若くして死んだジェームズ・ディーンの活躍をもっと見たいというファンもいるだろう。
それだけじゃない。20歳のシュワちゃんCGで「ターミネーター・プロローグ」が作れる! アンジェリーナ・ジョリーをさらにグラマラスCGにして、ブルース・リーCGと戦わせよう!……などなど、何でもアリだ。

そうなると、それらCGキャラの使用料などは、どのように規定すべきか? 使用に際して、肖像の加工範囲はどの程度まで許可するか? 内面的な肖像(性格など)は、どのように保護するか? たとえば、マレーネ・デートリッヒのCGポルノ映画を企画する者だって、出てくるかもしれない。その時、どのように故人の肖像権を守るか、明確化しなければならない……などなど、CGキャラは新たな財源になるかもしれないけれど、そのために予想される混乱に対して、契約等のシステムも含めて対策を講じ、整備しておかなければならない……

……と、そんなことを構想しながら、その前段階として米映画俳優組合(SAG)と米ラジオテレビ芸術家連盟(AFRTA)が、米テレビゲーム業界といろいろ交渉していたとしたら、ちょっとコワいなと僕は思っているところだ。

「今が未来」という、とんでもない時代に僕たちは生きているのだ。何が起こってもおかしくないはずだ。

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コメディ映画の謎

コメディ(喜劇)映画をいろいろ見ていると、ある“驚異的なこと”に気づく。

一般的に映画というのは、プロデューサー、監督、脚本家など、さまざまなスタッフがコラボレートして製作を進めていく。それゆえ、作品のスタッフ・クレジットには、さまざまな人が名前を連ねることになる。

ところがコメディ映画では、時としてそれらの仕事を1人でいくつもこなしていることがある。

その典型が、チャールズ・チャップリンだ。
彼は、初期の作品から“監督・脚本・主演”を1人でやっていて、その姿勢はほぼ終生変わらなかった。中でも『モダン・タイムス』『殺人狂時代』に至っては、“製作・監督・原作・脚本・音楽・主演”をこなしている。

最近はあまり話題にならないが、メル・ブルックスもそうだ。
『スペースボール』『メル・ブルックス/新サイコ』『珍説世界史PART1』など、いずれも“製作・監督・脚本・主演”だ。
さらに、独特の“笑い”をかもしだすウディ・アレンも、多くの作品において“監督・脚本・主演”をしている。

アジアにもある。
香港映画は総じてマルチ型の映画人が多いのだけれど、最近のコメディ映画では、チャウ・シンチーが『少林サッカー』『カンフーハッスル』で“製作・監督・脚本・主演”とマルチに活躍している。

他のジャンルの映画でも、このようなマルチ型才能を発揮する人がいることはいる。しかし、それはきわめて限定的なケースに限られているように思える。
ところが、ここに取り上げたコメディ系の人々は、自作の多くの(コメディ)映画で“1人何役”もの創造機能を果たしている。

なぜ、このような現象が、とくにコメディ分野で多く起こってきたのだろうか? よくわからない。
これが、今のところ、マイ七不思議のひとつなのだ。

誰か謎解きしてチョンマゲ!(←笑えねー)

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十八代目中村勘三郎の4分30秒


見よう見ようと思いながら見る機会がなかった映画『顔』を、レンタルしてきてやっと見た。
『どついたるねん』『王手』『新・仁義なき戦い』などを手がけてきた坂本順治監督の2000年度作品で、それまで男臭い世界を描き続けてきた彼が、女を主人公にして撮った“異色作”ということになる。

主演は藤山直美で、彼女の役どころは、家に閉じこもって洋裁の仕事をしている“行き遅れ”の中年女。急死した母親の葬式の日に、そりの合わない妹(牧瀬里穂)を殺害し、その後えんえんと続く逃亡の日々を演じている。
空虚な閉じこもり生活から一転し、波乱の逃亡生活を続ける中で生きる実感を初めて味わい、それにともなって美しく“変身”を遂げていく彼女はやがて……(あとは見てのお楽しみ、ということで)

藤山直美が、じつに見応えがあった。
が、きょうここで書くのは、この映画に出る中村勘九郎(現・中村勘三郎)のことだ。

中村勘九郎の役どころは、何もかも失敗した“クサレ男”で、たまたま行き会った中年女(藤山直美)をトラックの荷台でレイプするという“ヨゴレ”を演じる。
女はバージンのためパニックにおちいり、ことの途中で吐いてしまい中断するが、ふたたび中年同士がもつれ合うという、エグい場面が展開する。とは言っても、芸を極めるご両人がこなすのであるからポルノ仕立てではない。

中村勘九郎の出番は、女をトラックに引きずり込むところから、事を済ませて女が去るまでの約4分30秒。あからさまに言えば、レイプシーンだけ。それが布石となって後段もっと深い人格をこなす役どころ、というのではまったくない。ただ犯すだけの“ヨゴレ”役だ。

勘九郎改め勘三郎さんの演技を、ここでとやかく言うのはやめておく。
とにかくコクがある、とだけ申し上げて、あとはこの映画を見る方一人ひとりの楽しみにしておきたい。
それはそういうことにしておくけれども、僕はこの勘九郎さんを見て、ぶったまげた。これは何なんだろう? 役者魂ってヤツ? スゲーぞ、と。
400年続く大名跡を継ぐ男が演じるには、“世俗的な誤解”を受けそうなリスキーな4分30秒だ。パンツ姿になるその情けない男は、歌舞伎などに出てくる“非道徳で、かつ深みのある”男とは、わけがちがう。本当に、ただのクサレ男だ。

世紀の大襲名を数年後に控えた役者なら、「今はちょっと…」と“守り”に入りたいところだと思うのに、勘三郎さんは屈託もなくクサレ男を好演している。
勘三郎さんの信条である“攻め”の4分30秒ではないか、と僕は思った。

この映画『顔』は全編見応えがある。藤山直美を中心に、牧瀬里穂、岸部一徳、佐藤浩市、豊川悦司、大楠道代など、実力派揃いが演じ描く1時間3分。勘三郎さんの4分30秒を含め、もしよかったらご覧ください。

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2005年07月25日

映画「タイタニック」の中の“別れ”


“別れ”を扱った映画はたくさんあって、そのどれがいちばん印象に残っているかとなると、僕は迷ってしまう。

1作だけ挙げるのは、あまりにもむずかしい。たとえば『グッド・ウィル・ハンティング』に描かれている“別れ”は、僕の胸に深く残っているものではあるけれど、それと同じくらい印象深い作品はほかにもある。

凡庸な言い方だけど、“別れ”の数だけ、ドラマがあるってことか……。

年をとりオヤジとなった今、人との離合集散を数多く巡ってきたせいか、僕は“別れ”にだけは目が肥えてしまったのかもしれない(苦笑)。もうほとんどスターバックスのカスタマイズメニューばりに、“別れ”を選り分けられますもんね!
「アイス・ダブル・トール・ヘーゼル・ナッツ・カフェモカ風の“別れ”」とか……
「ダブル・ショート・キャラメル・ラテ仕立ての“別離”」とか……(←なんて書いてますが、ぜんぜんわかってません〈笑〉)

そこで、この際、たくさんの“別れ”をいっきに映し出している映画を、ちょっと思い出してみた。1997年公開、ジェームズ・キャメロン監督の『タイタニック』だ。この作品に関しては、あらためて内容を説明する必要はないだろう。
レオナルド・ディカプリオ演じる「ジャック」と、ケイト・ウィンスレット演じる「ローズ」のラブ・ストーリーだ……が……しかし、ここでは、彼と彼女は脇役に回ってもらって、ほかの人々に目を向けてみる。

この映画のクライマックスは、氷山激突から沈没に到るまでのパニックの連なりで、このパニックが乗船者たちに生死を振り分けていく。
生死の矛先は、あからさまに貧富、男女、老若などを区分けし、さらに強運と不運、強欲と無欲をへだて、家族や恋人や友人たちを引き裂いていく……。

そして、つまり、そこに“別れ”が生じる。
妻子のみを救命ボートに預け、自分の死を覚悟する男。
逃げられぬと知り、わが子をベッドに寝かしつけ最後のおとぎ話を聞かせる母親。
救命ボートになだれ込む人々を制するために、暴徒を撃ち殺すが、その責務に耐えかね、自分への“別れ”つまり自殺を遂げる航海士。
最後まで船上で演奏を続け、演奏を続けることで互いに“別れ”を告げ合う楽士たち。
そして、急速に傾きゆく船の甲板で、人々の手を握り、最後の祈りをあげる牧師の声──
「神が彼らの涙をぬぐうと、死は消え去った。
 悲しみも苦しみもすべて消え去り、
 先のものは過去となった」

彼らひとりひとりの“別れ”は、映画の中ではほんの数秒のシーンだけれど、それはジャックとローズの“別れ”と同じように、僕の胸を打つ……。
僕にとって、『タイタニック』とはそういう映画なのだ。


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僕と浅草の不思議な30年間


あることが、僕と浅草を結びつけた。
そして、それは30年間にも及ぶことになった。
と言っても、これまでに僕は浅草にほとんど行ったことがないし、おそらくこれからも滅多には行かないだろう……

僕は東京・新宿に生まれ、10代後半から中目黒で育った。今はさらに違う所に住まいを設けているのだけど、これまでずっと、いわゆる“山の手”に生活圏をもっている。同じ東京でありながら、浅草などの“下町”とは互いに異なる文化をもっていて、それが30年前となるとさらに際立っていて、“山の手”と“下町”は別世界のように感じられた。

事実、10代の頃は、僕の友だちと言えば新宿区・渋谷区・目黒区・世田谷区に多く、それに比べると、荒川区・台東区・墨田区・葛飾区などには少なかった……と言うよりも、ほとんどいなかった。それは、昔から文化圏が違ったということもあるし、こと高校生にとっては「学区」が違っていたということもあると思う。

だから、僕の友だちが、浅草に程近い浅草橋に住む女の子と付き合うと言いだした時は、みんな色めきだったものだ。とにかく僕らの知識で“下町”の人間というのは「寅さん」しか思い当たらない。したがって、そのまだ見ぬ浅草橋の女の子については、勝手ながら「寅さんの妹の妹」つまり「さくらの妹」のようなものを想像して語らっていたものだ。(下町の人が聞いたら激怒するよ、きっと〈笑〉)

ところが実際に会った彼女は、確か……、当時流行っていた“浜トラ”(横浜トラディショナルの略で、浜カジの先祖?)と呼ばれていたファッションで、(僕はアパレル関係はぜんぜんダメなので、そーとーデタラメな記憶・知識なのだが)ダークグリーンのタータンチェック柄の巻きスカートに、白のポロシャツ、それに明るい色の(何色だったかは覚えていない)カーディガンを羽織っていて、手には、「K」のロゴマーク“キタムラ”のハンドバッグを持っていたような、そうでないような……。とにかく全体としては清楚な感じだった。
それを見た僕らは「えーーーーーーーーー!」だった。とてもさくらの妹とは思えなかった!(って、さくらに妹なんていねーし)。彼女のヘアスタイルや表情はまったく覚えていない。なぜなら、予想外・以上(←ほとんどパニック状態)に彼女がまぶしくて、まともに顔を見ることができなかったのだ。覚えていない理由はもうひとつあって、彼女にその後一度も会っていないからだ。そう、つまり、僕の友だちは彼女にソッコー・フラれてしまったのだ。

ま、とにかく、僕らにとっていかに下町が遠い存在だったか、わかっていただけたと思う。

さて、浅草だ。浅草を「エンコ」と昔の人は呼んだ、らしい。
街の略称・愛称というやつで、新宿なら「ジュク」、池袋なら「ブクロ」とか「イケブー」(←これはギャル語か?)、渋谷なら「ブーヤ」などと呼ぶように、かつて浅草を「エンコ」と呼んだそうだ。

「エンコって何よ?」と、いまあなたが思ったように、当然ながら僕も首をかしげた。今ならすぐインターネットで検索するところだが、なにしろ30年ほど前のことで、もし調べるとしたら、手堅いところでは図書館へ行くか、演技力があれば、ラジオの子ども電話相談室に声色つかって尋ねるか、ぐらいだろう。「ぼく小学2年で〜しゅ。なんでぇ、浅草はぁ、エンコって呼ぶんですかぁ?」どうも小学生にふさわしくない質問内容のようではあるが。

そのような、昔ならではの不便な事情があって、さらに僕の生来のモノグサ根性がわざわいして、エンコが浅草のことであるという以上には「エンコ」の正体を知らぬままに過ごしていた。

そして、きわめてささやかではあるが、浅草をめぐるちょっとしたミステリーが僕に起こった。
そのことこそが、浅草に対してひとかたならぬ思い入れを抱くきっかけとなったのである。

ささやかなミステリーは、映画『昭和残侠伝/唐獅子仁義』に始まる。
高倉健、池部良、藤純子らを配する『昭和残侠伝』シリーズは、任侠映画つまりヤクザ映画の頂点を極めたと言ってもいい内容で、ファンにとっては神話的作品群である。
その後のヤクザ映画『仁義なき戦い』シリーズを“ヤクザの実学”とでも呼ぶなら、『昭和残侠伝』は“ヤクザの美学”を求めたもので、ゆえに“健さん”はあくまでも凛々しくあくまでも哀しい。ゆえに男たちは彼に惚れた。

今から30年ほど前のその日、僕は任侠映画専門の新宿昭和館で『昭和残侠伝/唐獅子仁義』を見ていた。この作品はシリーズ5作目にあたる。
映画はまず、おなじみの東映三角マークが、荒ぶる海に立ち現れるところから始まり、そのあとのアバンタイトル(タイトルの前に置かれるシーン)──高倉健と池部良の長ドスによる対決、さらに仙台刑務所の面会室シーンと続き、やっとこさタイトルが掲げられる。賭場のシーンをやや斜め俯瞰でおさめた画面に、“昭和残侠伝/唐獅子仁義”の朱文字がバーンと貼り付く。すると、健さんの不器用そうで、しかもいかつい声が主題歌『昭和残侠伝』をうなる。

「♪エンコ生まれの 浅草育ち ヤクザふぜいと言われていても ドスが怖くて 渡世はできぬ〜」

僕もスクリーンを見ながら、口の中をモゴモゴさせてひそかに唄う。
そして、曲の最後は、決めの「せなでほえてる からじし ぼ〜た〜ん〜」で気分はさらに昂揚し、映画にのめり込んでいく……。

映画を見終わり、昭和館をあとにした僕は、健さんをわが身に沁み込ませ、またもや口の中をモゴモゴさせ『昭和残侠伝』のメロディをなぞった。おそらくは、気持ち肩で風を切っていたかもしれない。

「♪エンコ生まれの 浅草育ち〜」

と口にしたその時だった。僕は、ふと何かに思い当たり、足を止めた。「あれ?」と思った。「エンコ生まれの 浅草育ち」……こりゃ、いったい、どうしたことか? 僕は理解に苦しむ。あれ?

いまはアルタとなった、かつての食品デパート二幸の前で、僕は棒のようになって考え込んでしまった。
エンコとは浅草のことだ。ということは、この詞の「エンコ生まれ」とは「浅草生まれ」のことだ。とすると、次の文句「浅草育ち」と続くのは、ちょっとヘンな気がする。「浅草生まれの浅草育ち」という物言いならスッと呑み込めるのだが、「エンコ生まれの浅草育ち」と「エンコ〜浅草〜」とすることに、なぜか僕は違和感というか不調和感のようなものを覚えた。

しかし、僕の棒状態は長くは続かなかった。だって、ジュクの師走はメッチャ寒かったんだも〜〜〜ん。
なにしろ二幸の前はアベック(←当時は“カップル”ではなく“アベック”と言った)がウジャウジャいて、「こいつら、結局は連れ込み(←ラブホなんて言わなかった)へ行くんだろ! それに比べ、オレは唐獅子牡丹かよ!」と僕は、真冬の体感温度と心感温度の両面低下によって、あえなく、とっとと家路へついたのだった。

それ以来、疑問を解くまでの努力を払うこともなく、かと言って忘れきってしまうこともなく、「エンコ〜浅草〜」が頭の中に漂っていたのだ。そして、その漂いとともに「浅草」というビッグな下町ブランドは、“山の手”の僕に謎めいた印象をちらつかせ、つい最近へと到った。

今からほんの数ヶ月前のことだった。しばらくナリをひそめていた「エンコ〜浅草〜」案件が頭に浮上し、僕は仕事のついでにネットで調べてみることにした。すると、いくつかの知識を手に入れることができた。

「エンコ」とは「公園」を逆さ読みにしたもので、さらにこの「公園」とは「浅草公園」のことだとわかった。
この「浅草公園」とは、かつて相当広い区域を占めていたが、明治15年から始まった築造・整備により全6区画に分けられた。現在もある歓楽街「浅草六区」は、その時の区画番号がそのまま残ったものなのだそうだ。今でもバス停に「浅草公園六区」の正式名称をとどめているらしい。
そのようないきさつを経て「浅草公園」は、元来の公園の姿ではなくなっている。今は「浅草公園=浅草の街」と考えてほぼ間違いないようだ。

しかしながら、それでは若かりし頃の僕の疑問は解決しない。「エンコ(=浅草)生まれの浅草育ち」なのであれば、わざわざ「エンコ」と言葉変えせずに「浅草生まれの浅草育ち」のほうがタンカとしてはゴロがいいような気がする。

で、僕は、ネット画面の前で、ふたたび思案した。このままでは、やはりおかしい、どこかぎこちないのだ。僕は考えた……
そして……、僕は僕なりの結論を出した。これならば、少なくとも僕の疑心は氷解する。
つまり……、「エンコ」とは「エンコ」なのだ。
そう、「公園」のことだ。「浅草(公園)」として慣れ親しまれたそれではなく、まんま「公園」なのだ。
ということは、この『昭和残侠伝』の唄い出しの意味はこうなる──

「公園生まれの浅草育ち」

もしかすると映画『昭和残侠伝』のコア・ファンなら、本当の意味を誰もが知っているのかもしれない。だから、僕がここで高らかに言っていることは間違いかもしれないし、かりに正解であっても周知の事実なのかもしれない。いずれにせよ、恥をかくことになるのだが、僕は僕で探した真実をここに書いておきたい。

つまり、“唐獅子牡丹”の彫りを背中に負った、蔵前一家代貸・花田秀次郎(高倉健)という任侠の徒は、公園に置き去りにされた“捨て子”だったということになる。それが「エンコ生まれの浅草育ち」の正体だ、と僕は勝手に思っている。
冒頭にも書いたことだが、僕は浅草にほとんど行ったことがない。
が、しかし、行かないわけではない。そして、行った際は浅草寺を詣で、六区をぶらつき、仲見世をひやかす合間に、人気(ひとけ)が萎えた路地や境内の隅っこを歩きつつ、僕の頭の中にずっといた花田秀次郎の、生まれ場所とはどんな所だったのか──30年間続いた思いをいまも胸にしている。


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ヤコペッティの「世界残酷物語」


ヤコペッティのサイン

「ヤコペッティ」と聞いてすぐピンとくる人がいたら、それはよほどの映画マニアかモンド好き(後述)か、あるいは僕のようにソートーなオヤジということになるだろう。

1962年に発表されたドキュメンタリー(?)映画『世界残酷物語』は、その年のカンヌ映画祭でセンセーションを巻き起こし、世界中にそのショッキングなシーンを知らしめた。以降、ヤコペッティを“残酷ドキュメンタリーの巨匠”“記録映画の奇才”などと呼ぶようになった。

彼の作品を“ドキュメンタリー”と規定していいのかどうかについては、大方の良識・常識ある映画ファンは「ノー」と言うはずだ。ヤラセ疑惑が多々あるとともに、ドキュメンタリーとしての“社会的視点”が欠如している、という点において非難・拒絶されている。
“社会的視点”が欠如しているとは、たとえば動物の虐待シーンを映ずるにしても、それが動物愛護や社会問題という視点から見せるわけではなく、たんに「虐待シーンって、怖いもの見たさでみんな見たがるじゃん」といった“見せ物小屋”的な傾向が強いことを指す。

残酷なシーン、変奇なシーンが日常的に流布し蔓延している現在からすると、いまや大人しめとさえ思えるが、『世界残酷物語』からいくつかシークエンスを紹介すると──
・牛の頭を一刀のもとに切り落とすネパール・グルカ族
・祭りで数百頭の豚をたたき殺し、むさぼり食う未開人
・人間の女の乳を飲む子豚
・放射能で方向感覚を失ったウミガメの死
などなど、40ほどのエピソードが次々と続く。

世界各地の残酷行為、奇習風俗などを、まさに“見せ物小屋”的に展開していく……そのような趣向を“モンド”と呼ぶことがある。が、なにぶんにも“モンド”という言葉は奥が深い(らしい)ので、興味のある方は各自で奥義を究めていただきたい。

“モンド”という言葉は、『世界残酷物語』の原題『Mondo Cane』(イタリア語の「Mondo:世界」と「Cane:犬」で「犬の世界」の意)から来ている。
この映画を源流にして、“モンド/ドキュメンタリー”はさまざまな変容・展開をし、いまや善意的にも悪意的にも使われている。

1966年のヤコペッティ作品『さらばアフリカ』の発表後、それを模倣するように次々と生まれたアフリカ系とその周辺──『アフリカ最後の残酷』(伊67年)、『知られざるアフリカ』(伊70年)、『グレートハンティング』(伊75年)など、当時はまだ秘境とされていたアフリカを舞台に取材(演出?)した“秘境モンド”や、人間の性の風習・奇習などに題材を追った“スケベ・モンド”や、姑(しゅうと)が婿(むこ)を執拗にいびる“中村モンド”などなど多岐に分かれていく。(←「む〜こ〜殿」の中村主水。これは冗談です)。

ヤコペッティ以降のモンド作品が、たんに“ゲテもの”“悪趣味”に堕しているのに比べれば、やはり本家のヤコペッティ作品は、モンドものと批判されながらも、それなりの“視点”があると思っている。
あまりにも昔に見たものなので、どのヤコペッティ作品だったかは覚えていないが、どこかの国の海軍が航行していると、その軍艦の周りを、グラマラスな水着美女がモーターボートに乗って走り回るというシーンがあった。水着美女の登場で、軍艦の中で長いこと禁欲生活を強いられていた水兵たちは、先を争って艦側に走り寄り群がり重なって、美女たちの姿態をむさぼり見るのだ。滑稽で、物悲しく、そして、残酷だ。
それまでの記録映画作家の誰もが考えつかなかった、スキャンダラスなドキュメンタリーが出現したのだ。

いま見るとまったく違う印象を受けるかもしれないけど、あのころ受けた衝撃はまだ消えていない。1970年代、ヤコペッティ作品は、テレビのお茶の間映画館でよく放映された。いま、あの手の映画を、地上波テレビで放映することはあるのだろうか。
残酷度はともかくとして、内容の虚偽性のほうが問題になるのではないだろうか。なにしろ、モンドものというのは、劇映画でもないし、さりとて純粋にドキュメンタリーでもないという、ビミョーな領域にあるから、善意(笑)の視聴者をいたずらに惑わせることになるかもしれない。
それはさておき、幼くしてヤコペッティの映画を見たことによって、僕は、その後の“ドキュメンタリー好き”へと傾く遠因を踏んだのかもしれない。

ただ、その僕もすっかりオヤジになってしまい、ドキュメンタリー観は変わった。その意味合いにおいて、いま僕の胸に深く刻まれている言葉を紹介する。
これは、つい先日のアカデミー賞で名誉賞を受けたシドニー・ルメット監督が、かつて語ったエピソードだ。

1965年にルメットは『質屋』という作品を撮っている。主人公は、ユダヤ系の大学教授で、戦時中にナチスに妻子を殺されている。その忌まわしい記憶の中、人生の暗みを歩んできた彼に、ある変化が訪れる……。
主人公を演ずるのはロッド・スタイガーで、この役でベルリン映画祭主演男優賞を獲得している。

ところで、この映画の制作にあたって、ルメット監督は原作者(ひょっとすると脚本家)と対立することになる。原作者は、ナチスによるユダヤ人の惨状を、戦時中の実際のフィルムを映画に挿入することで表現するようルメットに求めた。しかし、ルメットは頑として拒否した。そして、彼は言った。
「あの人々(ホロコーストの犠牲者たち)は、私の映画に出るために亡くなったわけではない」
この言葉に、劇映画とドキュメンタリーを厳然と隔てる、ルメットの強いまなざしを感じた。その後、彼はドキュメンタリー・タッチの作品を撮ってはいるが、それはあくまでも“タッチ”であり、自分は劇映画の監督だということをルメットは付け加えている。

ルメットからすれば、ヤコペッティの行為は許されざるものかもしれない。
僕もいまは、ルメットの言葉を知ってしまった人間として、映画・テレビなどのドキュメンタリー作品に接している、と言えるだろう。

ところで、このページの一番上にあった写真、気になっていたのではないだろうか?
じつは、これ、20数年前にヤコペッティ監督が来日した際に、僕がいただいた彼のサインなのだ。

彼のフルネームは、グァルティエロ・ヤコペッティ。
「Gualtiero Jacopetti」とつづるのだけど、僕がいただいたサインは、はたして「Gualtiero」なのか「Jacopetti」なのか、よくわからない。ひょっとすると、そこには名前などなく、イタリア語で「バカヤロー」とか書きなぐられているのかもしれない。そう思うと、気になって気になって……(卑笑)。
いずれにせよ、ルメットさんには申し訳ないのだけど、このヤコペッティさんのサインは一生大切にする。

さて、長くなったついでに、もうひとこと。
いま、東京国立近代美術館フィルムセンターで、「日本文化・記録映画作家たち」というテーマで特集をやっている。70年代以降に製作された記録映画55本を連続して見ていこうというものだ。
きょうの7時からは野田真吉さんという映画作家の作品を上演するんだけど、見たいんだよね〜。
『日本ドキュメンタリー映画全史』(教養文庫)の著者でもあるんだよね〜。
見たい!けど、どうしても都合が悪いので、その代わり(にはならないんだけど)、僕的にはちょっぴり“貧乏ドキュメンタリー番組”な『銭形金太郎』をテレビで見まっす(笑)。

※「モンド」は、確定的に使われている言葉ではないので、人によってかなり語法・語意が変わると思います。ご了承ください。


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エンジェルス・イン・アメリカ


最近見たTVドラマの中で、胸に沁みたセリフがあったので紹介します。
こんなセリフです──

『愛するのに失敗しても、愛してないんじゃない。心はとらわれている。愛してなきゃ楽だけど』(「エンジェルス・イン・アメリカ」第6話から)

「エンジェルス・イン・アメリカ」というTVムービー(全6話/6時間30分)がアメリカで話題になった。
原作はピュリツァー賞を取り、その後ブロードウェイで上演されトニー賞を獲得、さらにTVムービーとなってエミー賞11部門を受賞、またゴールデン・グローブ賞ではミニ・シリーズ/TVムービー部門で5部門完全制覇……などなど、各界で絶賛された作品だ。

このドラマは、1980年代のニューヨークを舞台に、同性愛者とエイズ禍が引き起こすさまざまな人間模様を描きながら、政治・人種・宗教や生死観などを掘り下げようとしている。

ユダヤ人青年ルイスは、ゲイの恋人プライアーからエイズであることを打ち明けられ動揺する。そしてプライヤーが入院しエイズの症状があらわになり始めると、ルイスはおびえるように彼のもとを去り、ほかの男と親しくなっていく……。
ドラマは、この出来事をひとつの支流に、さらにさまざまな支流を呑み込みながら全6話で6時間30分という大きな流れをつくっていく。
ルイスとプライアーは、その後それぞれに運命の変転に見舞われる。(この辺を細かく書くと、これから見たいと思う人に差し支えてしまうのでカット)。
最終話に至るところでふたりは再会する。プライアーは、ルイスの裏切りをなじる。するとルイスが、冒頭のセリフを吐き、自分の心のあるがままを伝えようとする場面になる。

『愛するのに失敗しても、愛してないんじゃない。心はとらわれている。愛してなきゃ楽だけど』

同性愛とか異性愛とかを超えて、この言葉には人の心の切なさを感じた。
と同時に、自分が「愛するのに失敗」ばかりしてきたんじゃないだろうか、と思った。


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