2005年12月19日
モナリザの微笑みを解析すると……
イギリスの科学誌『ニューサイエンティスト』の最新号で、オランダの研究者が、レオナルド・ダビンチ作のモナリザの表情を分析した結果を発表している。共同通信(12月17日付)によると──
『アムステルダム大と米イリノイ大が共同で開発した「感情読み取り用」ソフトでモナリザを解析したところ、謎の微笑に込められた感情は「幸福感が83%、嫌悪9%、恐怖6%、怒り2%」という結果が出た』という。
解析の基本的な原理は、顔の各部の様相と感情の相関関係に着目し、「中立的」な表情と比較する形で、感情を数値化する仕組みなのだそうだ。
そのような方式で割り出すと、“謎の微笑”を浮かべるモナリザの心理状態は「幸福感が83%、嫌悪9%、恐怖6%、怒り2%」ということになるらしい。
しかしながら、このように数字で言われても、どこか抽象的で、つかみどころのない不満を覚えるのは僕だけだろうか。
もっと、具体的な例に沿って、モナリザの感情の機微を知りたいものだ。
たとえば、乱暴な発想ながら、モナリザが自分の妻だと想定してみてはいかがだろう?
で、妻の「モナちゃん」が静かに微笑んでいる。それを分析すると「幸福感が83%、嫌悪9%、恐怖6%、怒り2%」ということになった。
「幸福感が83%」……彼女がおおむね幸せだと感じている理由は、たぶん今年の年末のボーナスのせいだろう(笑)。
不景気と言われながらも、ダンナの会社の業績は近年最高の好調ぶりを反映し、ドーン!と大金が支給された。以前から欲しかった全自動食器洗い機のみならず、テレビもプラズマに買い替えちゃおうかしら……といった具合に、いろいろ夢はふくらむ。微笑む、と言うより、ほくそ笑む、と言うべき状態か(笑)。
さて「嫌悪9%」だ。業績回復のせいもあって関連会社との忘年会に次ぐ忘年会で、ダンナは連夜の酔っぱらい状態。ひどいときには、スーツ姿のままベッドに入り込んでくる始末。もう、なんてことなの!
次は「恐怖6%」。連日の飲み過ぎで体でも悪くしたら……。一家の大黒柱に倒れられちゃったら、私たち家族はどうしたらいいの!
そして「怒り2%」。
じつは、この「2%」がたいへんにむずかしい。
きわめて微量な感情ゆえに、ひょっとすると本人さえも自覚していないかもしれない。自分の心の中に「怒り」というものがひそんでいることすら、気づいていないかも。
妻のモナちゃんは、おおむね幸せで、わずかながら不満や不安はあるけれど、まずまずの日々を送っている。ところが、2%だけ怒っている。
いったい、この「2%の怒り」は何だろう?
僕が思うに、それは「退屈」。
まずまず幸福で、物事が順調に進み、毎日がうまく行けば行くほど、なぜか人は少しずつ「退屈」におちいっていく。
幸せなのに物足りない……。この、もどかしさ。
このもどかしさに、自分自身さえ気づかぬまま、いらだつ。
これが、ごく微量な「2%の怒り」。
妻モナちゃんに、ひそむ「2%の怒り」。
その矛先(ほこさき)は、いずこへ……?
ワンクリックで投票していただけると、たいへん嬉しいです!
2005年12月12日
モーツァルト少年
人間というのは、どうしても自分を基点に考えてしまうもので、自分が慣れ親しんだものを中心に物事を語ることが多い。
たとえば、SMAPの木村拓哉さんの世代の人が、俳優・田村正和さんの数十年前の青年時代を見ると、つい「若い頃の田村正和って、キムタクに似てるじゃん」と言ったりすることがある。正確には、田村正和のほうが先に生まれ先に活躍してるのだから、「若い頃の田村正和が、キムタクに似てる」のではなく「キムタクのほうが、田村正和に似ている」と言うべきなのだろう。
ちょっと前の話になるけれど、ある飲み屋で「ビートルズ」の音楽がかかっていたら、若いヤツが「これって、オアシスっぽいね」と感想を漏らしていた(苦笑)。
一応説明を加えると「オアシス」というのは、英国のロックバンドで確か10年ほど前にデビューし、いまやカリスマ的存在と言っていいのだろう。とは言え、いまさら念を押すまでもなくビートルズはそれよりさらに30年以上も前に現れ「ロックを創始した」と言っても過言のない存在だ。
ビートルズ知らずの若者の発言「このバンド(ビートルズ)って、なんかオアシスっぽい」のではなく、歴史的系譜的に言っても“その逆”であることくらい知っておいたほうがいいのでは……、と思いながら、僕はカウンターの一番端で“お湯割り焼酎梅入り”をちびちび飲んでいた。
ロックの歴史としてはごく初歩的なものであるにもかかわらず、それを知らないその若者に対し、僕は不思議にも「ま、そういう聴き方も、けっこう楽しいかも」と、途中からふと思い直してしまった。
ま、人間の知識なんて、大なり小なり、こんなもんだろう、と。
けっこういい加減なものなのだ。いい加減なりに楽しいのだ。
ところが、トシをとるにつれて“自分流の見方”がこわばってきて、やたらと知識や経験が邪魔をしてくる。多少“自由気まま”でないと窮屈で仕方がないって言うのに。
ま、そんなことを思っていたら、おあつらえ向きのブツを見つけた。
画像をご覧あれ。なかなかのイケメン。てゆーより、美少年と言うべきか。
衣装がクラシックなだけに、“今の人”には見えないだろうけれど、この際、この人が200年以上も前の人物だと言うことは忘れてしまうことにしよう。
ぶっちゃけ、今ならジャニーズに入っても何ら遜色がないルックス、と思うけど、どう?
音楽的才能もバツグン!
名前は「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」。
この時、年齢は12歳くらいと思われる。
今だったら『イケメン天才・モーツァルト、ジャニーズに入団!!』なんてな(笑)。
つい先日、スイス中部のトゥーン湖畔のホテルで発見された、彼の少年期の肖像画なのだそうだ。肖像画だから、実物より“良さげ”に描かれているとしても、これはかなりの美男を予感させるものがすでにある。制作は1768年とされるが、作者は不明らしい。(画像:EPA=時事通信12月9日付)
ワンクリックで投票していただけると、たいへん嬉しいです!
2005年12月11日
これ、な〜んだ?
絵であることは間違いない。しかも、雪景色。
民家ではなさそうだ。
特徴のある建物で、よく見ると、旗が立っている。
どこの旗だろう?
雪の降り積もった樹木。
その手前、雪の原に、左側には猫らしき小動物がいて、さらに近景に2匹の犬らしき動物がいる。
この建物は、テレビなどで必ず誰もが見ているものなので、「あ、◯◯◯◯◯◯◯だね」と即答する人もけっこういるだろう。旗の模様も、大きなヒントになっている。
はい、では、答え。
これは雪化粧に彩られた、アメリカ大統領官邸「ホワイトハウス」で、じつは葉書なのだ。
では、ここからが本当のクイズ!(笑)
このホワイトハウスの葉書は、約140万人に送付されることになっているそうなのだけれど、いったい何の葉書でしょう?というクイズだ。
クイズとしては“難問”の部類にはいると思うので、さっそく答えに行きます。
この葉書は、今年の米政府のクリスマスカードなのだ。
どう? なかなかの“難問”でしょ?
どこが“難問”かって?
だって、絵柄の中に「メリー・クリスマス」の「メ」の字も「ク」の字も(もちろん英語でだけれど)入ってないんだもの。
サンタもいなければトナカイもいないし。
だから、このカードにどんな趣旨があるのか、基本的にはわからないということになる。
約140万人に送るものとしては、かなり不親切というか、配慮に欠けたもので、保守派の一部が問題にしているそうだ。
ミスなのか、意図的なものなのか。
そこが知りたい(笑)。
ワンクリックで投票していただけると、たいへん嬉しいです!
2005年11月06日
ある誤解
僕の大好きな美術家・奈良美智さんが、でっかい犬のモニュメントを制作し公開した(画像:共同通信)。来年7月に開館予定の青森県立美術館にちなんだもので、青森県出身の奈良さんによって「あおもり犬」と名づけられた、高さ約8・5メートルの巨大な立体物だ。
よく見ると、犬は上半身。奈良さんによると「半分が地球に埋まっているほうが、さらに下に埋まっているものを予感できると思い、半身にした」と語っているらしい。なるほど。
奈良美智さんといえば、すでに世界を舞台に活躍しているアーティストで、よく扱う題材として少女の表情をポップに描いた作品──タッチとしては可愛い感じなのだけれど、ややつり上がった目つきには子供の“心のクーデター”の漂いのような──そのようなものを僕に感じさせてくれる一連の絵がある。

とにかく、大好きなアーティストだ。
ちなみに、上の画像は奈良さんに関する出版物『奈良美智 ナイーブワンダーワールド/別冊トップランナー』(中央出版)の表紙から。
そして、この奈良美智さんの話をすると、必ず思い出すアーティストがいる。
舟越桂さんだ。
彫刻・版画などを精力的に発表している方で、たいへんに魅力的な作家だ。
とくに美術に興味のない方でも「あ、こういった感じの作品か」とすぐにわかるものとして、天童荒太著『永遠の仔』(幻冬舎)の装丁に扱われている、舟越さんの彫刻作品をご紹介したい。

さて、奈良美智さんと舟越桂さんが、なぜ僕の頭の中で隣り合っているかというと、このおふたりの作品がともに強烈な個性を発しているということは言うまでもないことなのだけれど、じつは、僕はかなり長い期間、このおふたりを女性だと思っていたのだ!
これは、僕のたんなる不注意とか不勉強から生じているのだけれど、どちらの作家においても当初ひどい思い込みをしてしまい、奈良美智さんの場合は「奈良美智(なら よしとも)」であるにもかかわらず「奈良美智(なら みち)」と脳裡に刷り込んでしまい、また、舟越桂さんの場合は、作家の森村桂(もりむら かつら)さんが女性であるにならって、「舟越桂(ふなこし かつら)」を女性アーティストであると思い込んでしまったのだ。
この名前から生じた勘違いは、いま思えば、たんに名前に問題があるのではなく、当時の僕の気持ち──「女性アーティスト全般への期待のような信頼のような」ものが強くあって、奈良さん、舟越さんの作品に最初に接したとき「凄い!」と感じた瞬間「ああ、またもや新たな気配=女性の到来だな」と、名前誤認をきっかけに思い込んでしまったのだ。
その後、僕の誤解は消えるのだけれど──消えて、おふたりが男であったからと言って、彼ら作品への感じ方は変わることはなく、それぞれに、それぞれの歩みをもった凄いアーティストと感じて注目しているのだけれど、このとんでもない誤解はいまでも忘れることができない。
それが、男の作品でも女の作品でもどちらでもいいのに、というのがいまの思いだろうか……
ワンクリックで投票していただけると、たいへん嬉しいです!
2005年10月05日
金環食
天体の原理などまったく知らない昔、日食や月食を目の当たりにした人々は、恐怖におののき、ひたすら祈りを捧げたという。
月が太陽の中央部を隠し、太陽の周辺部のみが金の輪のように輝く金環日食。
太陽に突然異変が起こり、あれよあれよという間に、天空に光の輪っかが浮かび上がったら、それは何かの予兆と思うのが普通だろう。
皆既日食のように、太陽がすべて消えてしまうのも恐ろしいけれど、輝くリングとなって我々の目に訴えかけてくる金環食は、ただ恐ろしいだけでなく、あきらかに“謎解き”を求めている。「あのマルは何だ?」と。
つい先日、ヨーロッパの一部および北アフリカで金環食が観測された。
上の画像は、スペインのセゴビアで観測撮影されたもの(ロイター10月3日付)。スペインでは、1764年以来およそ250年ぶりに金環食が天を飾ったことになる。
1764年ということは、あのスペインの大画家ゴヤが18歳にしてサラゴサで絵の修行に励んでいた頃だ。
長じて宮廷画家となるも、その後聴力を失い波乱の道を歩んだゴヤは、『アルバ公爵夫人』、『カルロス4世とその家族』、『着衣のマハ』、『裸のマハ』、『マドリッド、1808年5月3日』、『巨人』など、名画を多数残している。そのゴヤが、青年時代、サラゴサの空に“輝くマル”を目撃しているはずなのだ。
その時、彼はどう思ったのだろう? 金環食の怪を、彼はどう受け止めたのだろう?
日本では、2012年に太平洋沿岸部に沿って金環食が見られるそうだ。
7年後、僕は頭上の金環食に何を思うのだろうか?
人気blogランキングに参加中♪
2005年07月26日
ゴッホの絵〜花を見るか、枝を見るか〜

▲フィンセント・ファン・ゴッホ 『花咲くアーモンドの枝』(1890年)
浮世絵に魅了され日本に行きたいとまで思っていたゴッホの作品から、“日本の香り”を嗅ぎ取ったとしてもそれはごく自然のことで、『花咲くアーモンドの枝』もそのひとつとして僕は興味をもっている。
この絵は、最愛の弟テオに子供が産まれたことを祝し、ゴッホが喜びを込めて描いたものだ。
僕はこの絵を見るたびに、花の可憐さには心が向かず、枝の躍動にばかり目が行ってしまう。
枝の躍動──つまり日本人はそれを「枝ぶり」と言っているわけで──そのフォルムの扱い方に、ゴッホの並々ならぬ気配りが感じられる。
バラ科・サクラ属・落葉小高木のアーモンドは、どちらかと言えばサクラのような咲き誇りを見せ、賑わいのある木なのだそうで、それに比べ、このゴッホのアーモンドはむしろ梅の花のような閑寂さにとどめられている。
また、画面手前に横の枝を強調することによって、いかにも斜幹樹(しゃかんじゅ:幹がぐいっと斜めに伸びている木)のような印象を与えている。これは、日本画によく出てくる梅や松の、ほぼ水平方向の“枝ぶり”を連想させる。
テオ・ファン・ゴッホのひ孫、フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホ(ファンゴッホ協会会長)の証言によると、『花咲くアーモンドの枝』は「私たち家族がいちばん好きな絵で、ゴッホ家のシンボルであり歴史そのもの」なのだそうだ。
激しい作品が多いゴッホにあって、この作品には、彼の心の平静──言わせてもらうならば“わび・さび”にさえ近い境地を感じてしまう。
花を見るか、枝を見るか。この絵には、そんな秘められたメッセージがあるような気がする。
『花咲くアーモンドの枝』を描いて約半年後、パリ郊外のオーベール村でゴッホは自死する。
人気blogランキングに参加しています
王立肖像画家協会主催
←この絵、なかなかいいと思いませんか?近日、ロンドンの王立肖像画家協会主催の展覧会で、展示される作品なのだそうだ。
所は「英国」、有名な「政治家」ということで、この肖像の主が誰だか、もうおわかりになったのでは……?
トニー・ブレア首相だ。
この絵の作者ローナ・ウォズワースさん(25)によると「首相がいちばん描きがいのある人物だった」ため、会議のたびにこっそり追いかけ回して描いていたらしい。それは、まさに“ストーカー”のようだったと言う。
そんな彼女が、昨年、首相本人に直接会う機会を得て、面と向かって肖像画を描くことになったのだそうだ。首相が正式に肖像画のモデルになることは滅多にないらしい。
いつものブレア・スマイルはなく、物思いに沈み、わずかに苦悩さえにじませているその面持ち……。
しかし……、なんと言うか……、演技の行き届いた“渋み”と言えなくもない……。
じっと見ていて、僕はふと思った。ある程度の教養をおさめた英国人が、シリアスな自分を露出する時というのは、ひょっとすると、あのハムレットの心境をお手本にするのではないか、と。
人気blogランキングに参加しています
楽器のようなカメラ
上田義彦(うえだ よしひこ)という写真家が好きだ。広告を多く手がけてきているので、彼の名前を知らなくても、たとえばサントリーの広告などでお目にかかっているはず。
広告に限らず、広い分野で活動している。対象は、人、物、景色……、さまざまなものを撮っている。
上田義彦はカメラを“機器”ではなく“楽器”のような感覚で操っているのではないか、と思うことがよくある。
彼の写真には、まるで“目で見る交響曲”のような、精妙多彩な奥行きがある。
いずれの作品も、徹底した静寂さを感じさせるビジュアルなのに、視覚の中枢は“交響”を感じとる、という摩訶不思議さ。いわば、無音の楽器の響き。
素晴らしい写真家はたくさんいるけれど、僕にここまで“音”を考えさせる写真家はいない。
※上の写真:上田義彦写真集『QUINAULT』(1993)より
人気blogランキングに参加しています
2005年07月25日
ジェームズ・ナクトウェイ&J.F.ケネディ
戦場カメラマン、ジェームズ・ナクトウェイの話をもう少し。
カメラを通して戦争のむごたらしさを訴え続けるナクトウェイではあるが、世界は快復することなく相変わらず殺戮はくり返されている。たくさんの戦場ジャーナリストが強烈な人間不信におちいる中、彼はいっこうにあきらめた様子を見せない。
彼の友人によれば、ナクトウェイを突き動かすものは“希望”なのだと言う。ナクトウェイの中にゴルゴ13を見出す僕としては、それは“希望”ではなく“信念”と言ってほしいところなのだが。
友人はさらに、ナクトウェイは“楽天家”なのだとも言っている。ナクトウェイが“楽天家”……? あわわ、こりゃもう、ゴルゴのイメージじゃねえ……と思ったその瞬間、J.F.ケネディの言葉を思いだした。
『人間がもたらした問題は、人間が解決できるはずだ。我々は究極には同じ輪でつながっている』
キューバ危機に際してのケネディの言葉だ。「究極には同じ輪でつながっている」と公言してしまうところに、ケネディらしい“信念”とも“希望”とも“楽天ぶり”とも言い分けられないゴチャゴチャした何かがある。カリスマって、そんなものなのかもしれない。
そもそもケネディは、“向こう見ず”と言われるアイリッシュ系だが、アイリッシュ系の“怖いもの知らず”は、彼らの“信念”であり“希望”であり、また“楽天ぶり”転じて“大胆さ”から生じているのかもしれない。
ひそかに僕は、ゴルゴ13にはアイリッシュの血が混ざっているのではないかとにらんでいる。
ところで、ナクトウェイは……?
人気blogランキングに参加中♪
ゴルゴ13、実在す。

──────────▲ナクトウェイ(左)──────────
この世の地獄“戦場”を撮り続けるカメラマン、ジェームズ・ナクトウェイ。1948年にアメリカに生まれ、80年代から本格的に戦争取材をライフワークにし、インドネシア、コソボ、パレスチナなどにおもむいている。
ロバート・キャパ賞を5回、ワールド・プレス・フォト賞を2回受賞するなど、その足跡の輝きの中に、彼がいかに戦乱の深み・極みに身を投じてきたかがうかがい知れる。
彼を追い続けたドキュメンタリー映画がある。『戦場のフォトグラファー ジェームズ・ナクトウェイ』 砲弾が炸裂し、銃弾が飛び交い、負傷者がもがき、流血し、死体が転がる荒廃の街なかで、彼はつねに静かな表情でカメラを構え、シャッターを切り続ける。
彼をよく知るジャーナリストたちは口々に言う。
「クールだ。とてつもなくクールな男だ」「彼ほど寡黙な人間はいない。寡黙に自分の仕事を遂行していく」……
ほかのカメラマンが望遠レンズで撮るような危険な場所でも、彼はその核心に迫るために、ためらうことなく現場に近づき踏み込んでいく。20年も死なずにやってこれたことを奇跡と言うべきか…… それらすべてのことが、ドキュメンタリーから伝わってくる。
あるジャーナリストは言う。「戦場であまりにも悲惨なことがあると、俺たちは動揺し、その晩はバーでも行って酔わずにはいられない気持ちになるんだ。ところが、ジム(ナクトウェイ)は一杯の水を飲むだけ。それで完了なんだ」
僕は映画を見ながら、ふと思った。
「ナクトウェイって、ゴルゴ13のような男だな」
不思議な喜びだった。生身の人間で“ゴルゴ13”を感じさせる者など、いままで一度もお目にかかったことがないだけに、何と言ったらいいのか…… 空想上の生き物に、本当に出くわしてしまったような……
ジェームズ・ナクトウェイ。その仕事ぶり、その生き方、その考え方に、男として学びたいものがたくさんある。
人気blogランキングに参加中♪




